一の鬼 誇り高く討たれていく者たち
名のない鬼が暮らす山は、討たれることを夢見る鬼たちで賑わっていた。
季節ごとに、若い鬼たちが連れ立って山を下りていった。
彼らは出立の前夜、角を磨き、牙を研ぎ、最も濃い姿で人間の前に現れられるよう念入りに支度をした。
仲間たちは見送りの宴を開き、討たれて永遠になる者を祝福した。これからお前は物語になるのだ、羨ましいことだ、と口々に言い、酒を酌み交わした。
名のない鬼は、その宴の隅で、いつも黙って座っていた。
ある年の秋、幼馴染の鬼が山を下りることになった。角の太い、声のよく通る、誰よりも濃い鬼だった。
幼い頃から、名のない鬼とよく遊んだ仲だった。二匹で谷川の魚を捕り、岩場で相撲を取り、夜には討たれた鬼たちの逸話を語り合って眠った。
違っていたのは、ただ一点。
幼馴染は、早く討たれて立派な鬼になりたいと願い、名のない鬼は、討たれたくないと願っていた。
「お前も、そろそろ下りないか」
出立の前夜、幼馴染は名のない鬼にそう言った。
「俺たちはもう、十分に濃い。今が一番いい時だ。この角のまま、いい英雄に討たれれば、何百年も語り継がれる立派な鬼になれる。お前ほど考えの深い鬼なら、きっと知恵者の鬼として語られる。一寸法師の鬼みたいに、油断して討たれるんじゃなくて、もっと手強い、もっと格の高い鬼として」
一寸法師の鬼、と幼馴染は言った。
その鬼は、椀の舟で京へ上った小さな侍を一呑みにしようとして、腹の中で針の刀に暴れ回られ、たまらず吐き出して逃げたという。鬼社会では、油断によって討たれた間抜けな鬼として、やや軽んじられている。
しかし、それでも語り継がれている。
間抜けな役であろうと、物語に固定された以上、その鬼は薄れずに済んでいる。
役の格が低くても、消えるよりはましだ——それが鬼たちの共通の考えだった。
「俺は、討たれたくない」
名のない鬼は、いつものように答えた。
幼馴染は困った顔をした。何度も聞いた答えだったが、何度聞いても理解できない、という顔だった。
「どうして。薄れて消えるんだぞ。何者にもなれずに、誰にも覚えられずに、ただ空気に溶けて終わるんだぞ。そんなのは、生きていなかったのと同じじゃないか」
「そうかもしれない」
「だったら」
「でも、ひとつの役に縛られて永遠を過ごすことが、俺には生きているようには思えないんだ。酒呑童子は、もう千年も酒を飲んで首を斬られ続けている。茨木童子は、もう千年も腕を斬られて取り返し続けている。あれは、本当に生きていると言えるのか」
幼馴染は、その問いには答えられなかった。
鬼の社会で、そんな問いを口にする者は、これまで一匹もいなかったからだ。
討たれて永遠になることは、疑う余地のない善であり、幸福であり、目標だった。その前提そのものを疑う鬼の言葉に、幼馴染は返す言葉を持たなかった。
「……まあ、お前はお前だ」
しばらくして、幼馴染はそう言った。
「俺は明日、下りる。いい英雄に出会えるといいんだが。できれば、名のある武将がいい。英雄に討たれれば、間違いなく濃い鬼として残れる」
「うまく討たれろよ」
名のない鬼は、そう言って幼馴染を見送った。
翌朝、幼馴染は他の若い鬼たちと連れ立って山を下りていった。
その背中は、出立の喜びに満ちて、いつにも増して濃く、はっきりとしていた。
数ヶ月後、その幼馴染が見事に討たれたという報せが山に届いた。
ある武将の屋敷を襲い、激しく抗い、最後は堂々と斬り伏せられたという。逃げも隠れもせず、正面から立ち向かって討たれたその姿は、討った武将によって書き残され、屋敷に伝わる武勇伝として語り継がれることになった。
鬼としては、申し分のない最期だった。
報せを聞いた山の鬼たちは、幼馴染の見事な討たれぶりを讃え、また宴を開いた。
あいつは立派な鬼になった、永遠を手に入れた、羨ましいことだ、と。
名のない鬼は、その宴に加わらなかった。
一匹で谷川のほとりに座り、かつて二匹で魚を捕った岩を眺めていた。
幼馴染は、もう薄れない。
武将の物語の中に固定されて、何百年も同じ屋敷を襲い、何百年も同じように斬り伏せられ続ける。それは、鬼社会の誰もが羨む永遠だった。
けれど、名のない鬼の目には、その永遠が、ひどく寂しいものに見えた。
もう二度と、あの幼馴染と谷川で魚を捕ることはできない。
物語の中の幼馴染は、永遠に武将の屋敷を襲い続けるだけで、谷川に戻ってくることはない。
討たれて永遠になるとは、生きていた頃の自分を捨てて、ひとつの役だけになることだった。
名のない鬼は、その日、自分の手を見た。
ほんの少しだけ、向こうの景色が透けて見えるようになっていた。
討たれることを避け続けた身体は、もう薄れ始めていた。




