昔話
むかしむかし、あるところに恋する男がいました。
男は娘にいいました。
「お嫁さんになってください」
娘は男に言いました。
「わたしの好きな花を百本使った花束をくれたら結婚してあげる」
男はその言葉を聞いて、まずは畑を耕しました。耕した畑にたっぷりと肥料を入れて、それから種をまきました。
娘が好きな花は育てるのがとても難しく、肥料もたくさん必要なうえに手間もかかるものです。それを百本も育てるのは至難の業。それだけにプロポーズにはふさわしいものでもありました。
種をまいて、毎日様子を見て、ようやく地面から芽が出たある日のことです。
遠くの国から「神様」がやってきました。
「この土地にはまだ神の力が及んでいない。それはとても不幸なことだ」
それを聞いた男は憤慨しました。神様がいないわけありません。だって、娘の父親が神様に使えるお仕事だったのです。
「われらの神の教えを受け入れなさい。そうしたらこの地はさらに富むだろう」
何を好き勝手言ってくれるのでしょう、この人たちは。
この土地にも神様はいて、この土地は豊かです。とれる野菜はとてもおいしいし、ここ百年ほどは不作とは無縁。みんなとても幸せです。それに、なにより
「お前らの神はようやく出てきた芽を踏みにじってもいいってのか!」
彼らが立っていたのは、男の畑だったのです。
男は思い切り怒りました。芽吹いたばかりの命を踏みにじるなど許されることではありません。しかもその畑で育てていたのは愛しい娘へささげる花たちだったのですから!
「かくして怒り心頭の我らの祖は、畑を踏まれた恨みを力に変えて彼らを追い払ったそうです」
「あっははは、なにそれ間抜けー!」
穏やかな日差しが差し込むサンルーム(という名の温室)で、イルクはそんな話を聞かせた。
イルクは十年ほどの間、魔王領を離れて留学していた時期がある。そのときイルクを受け入れた先の家とは今も付き合いがあり……今イルクがいるのもその留学先の家だ。父王に頼まれたものを届けに来たところで、住人の一人にお茶に誘われたというわけだ。
「それにしても、もしかしてそれイルクちゃんちの遺伝なの?」
「それ、とは」
テーブルの上のティーカップからはアッサムティーの香り。ただしイルクのカップにはアッサムティーにあるまじき水色の特濃アッサムティーが注がれている。実はイルク、自分を実験台にしすぎたせいで味覚をはじめとした五感が鈍くなっている。現在も定期的に留学先の家にいる医師の診察を受けている状況だった。
「なんというか、お嫁さんにはとことん弱いっての? 愛妻家とか恐妻家ってことばはそっちにある?」
「あります」
「なんかそういう血筋なのかなってさ。ほら、魔王様も王妃様にはめっぽう弱いじゃん」
「そういえば、確かに」
あきらかに他人事モードで応えるイルクは、実際、今は結婚と無縁だ。恋愛の気配なし婚約なしの完全フリーである。というか、魔王の子供たちはそろってフリーだ。
イルクは持って生まれた性質のため同族からは敬遠されやすく、その関係で縁談とは無縁。セロはかつて婚約者がいたものの剣術修行にかまけすぎて愛想を尽かされており、ライムに至っては……自分をボーイズラブのネタにされているとわかって近づく勇者はいないのが現状だった。
ファーレン家の未来は、王家としても血統としても地味にピンチだったりする。
「ところで、そのプロポーズに使った花? なんていうの?」
「こちらの世界にあるのでしょうか。紫色で、釣鐘のような形の……強い毒を持つ植物なのですが」
「もしかしてジギタリスかな? ちょっと待ってて」
イルクをもてなす青年はいったんサンルームを出て、戻って来た時には手に植物図鑑を携えていた。イスに座りなおしながら心当たりのページを開いた。
「ほらこれ。ジギタリス。別名・キツネノテブクロ」
「……ああ、これです」
「やっぱりこれか。ファーレンさんちのあたりなら涼しいから育てやすそうなものなんだけどな」
涼しい気候に育ち、病害虫にも強い。ジギタリスは育てるのにもさほど技術を必要としない植物だ。……地球の常識でなら。
「それとも世界が違うと植物の性質も違うのかな? その物語を聞く限り、割と肥料食いでもあるみたいだし」
「よく似た別のものの可能性も捨てきれませんね。今度、うちの土を持ってきましょうか?」
「魔王さんの許可が取れたら! ちょっと面白そうだしね」
こんな風に。
ファーレン家はイルクの留学先……異世界のとある家庭との交流があった。
そしてその『異世界』こそが勇者メイズの故郷たる世界なのだが……知らないことにはどうしようもなかった。