第106話 「ambivalent antinomy」
ネメシス・ダムドが、二柱の【無機知性体】を撃破した直後。
そこに、別の【無機知性体】が降臨した。
黒装束で、まるで影のように見える。
多分、実体化していないのだろう。
「初メマシテ。ソシテ、御機嫌ヨウ。諸君。
私ハ、【マクスウェルの魔】。ソコデ寝テイル、
【ラプラスの魔】ノ・・・マァ、弟ノヨウナ者ダ。」
【マクスウェルの魔】とは、気体分子の速度の高低を選り分ける
能力を持ち、それによって、二つの部屋に穿たれている、
分子一個だけを通す穴を開閉することで、二つの部屋の
一方を高温に、他方を低温にすることが出来る。
しかし、これは、エントロピー増大の法則である、
熱力学第二法則に反している、という矛盾だ。
何故か、この【術理の世界】においては、
【マクスウェルの魔】は、【ラプラスの魔】の
弟みたいなものだというのだが・・・。
警戒するネメシス・ダムドだったが・・・。
「オット。コチラニ争ウ意思ハナイ。倒サレタ仲間ノ記憶ヲ
回収シニキタダケダカラナ。」
「あっちで、我が元・弟子と交戦している人造人間は、
回収しないのか?」
「ソレハ・・・我ガ兄【ラプラスの魔】ノ領分ダ。彼ガ回収スル。」
本当に交戦の意思はないのか?
軽く挑発してみるか・・・。
「ところで、何故【ラプラスの魔】、【マクスウェルの魔】と
呼び、【ラプラスの悪魔】、【マクスウェルの悪魔】とは
呼ばないのだ?」
「イイ質問ダ。『熱力学第二法則』ハ、『エントロピー増大則』
トモ呼バレルガ、乱雑ニナルトイウコトダ。ソレニ反スルコトハ、
即チ、秩序デアッテ、無秩序ヲ好ム悪魔トハ対極ノ存在デアロウ?
demonトdaemonグライ違ウ。
ダカラ、【マクスウェルの悪魔】デハナク、
【マクスウェルの魔】ナノダ。」
因みに、OSの中にいるのは、daemonの方。
ギリシャ神話のダイモンが元ネタで、寧ろ、守護神という意味に近い。
「【ラプラスの魔】は?」
「未来ヲ推測出来ルダケデ、『悪』デハナイ、トイウコトダロウ。」
両者とも、この【術理の世界】においては、悪魔ではなく、
寧ろ、守護神に近い存在だという。
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一方、その頃、【蝙蝠山卿】と【砂漠谷襟】の
決闘は、まだ続いていた。
「我々の関係は、ambivalent antinomy。
相反する二律背反。ドッペルゲンガーの法則により、
一方が存在する限り、他方は存在できない。」
解説しよう。
まず、「ambivalent」は、心理学などにおいて、
「相反する精神」を、「antinomy」は、
哲学などにおいて、「二律背反」を表す。
因みに、ガンマ関数には相反定理と呼ばれる式があり、
ゼータ関数の双対性を導出する際に使う。
ゼータ関数の双対性は、ゼータ関数と、負ゼータ関数の関係であり、
両者は、オイラーによって、太陽と月の関係に準えられた。
そして、ドッペルゲンガーの法則。
ある有名人が街を歩いていたとき、自分と非常によく似た、
まるで生き別れの双子のように酷似した人物に出会った。
しばらくすると、その有名人は病気で死んでしまった。
信じ難いかも知れないが、これは実話である。
勿論、自分のそっくりさんに会ったことが直接の死因では
ないだろうが、それに吃驚して、寿命を縮めたという
可能性までは否定できまい。
況してや、自分と同一人物が、同時刻に二箇所以上に
存在できないことは公理、自明の理、世界の理である。
互いは、映し鏡に映った、互いの影のような存在であり、
戦闘でも、影属性や鏡属性の技能が多用される。
それもまた、偶然ではなくて、必然なのだろう。
二人は、【蜃気楼】、【逃げ水】、【陽炎】、【不知火】、【縮地】
といった技能を多用し、相手の技能を躱す。
解説しよう。
【縮地】に関しては、登戸研究所での模擬戦の時に既に解説済みだが、
念の為、復習しておくと、相撲の立ち合いの直後、気が付いたら
相手が自分の目の前にいるのは、まるで地面を縮ませたかのよう。
運動をしている物体ではなく、空間の方が縮んでいるという思想は、
相対性理論における、ローレンツ収縮を彷彿とさせる。
【蜃気楼】と【逃げ水】は、砂漠で、オアシスが見えたとき、
実際の距離よりも近くに見えるが、実際は、目測よりも
遠いため、恰も、オアシスの方が遠ざかっていくかのよう。
上・下の空気の温度に、寒・暖の差があるとき、【逃げ水】と呼び、
逆に、上・下の空気の温度に暖・寒の差があるときを【蜃気楼】と
呼ぶ。通常の【蜃気楼】を「上位蜃気楼」、【逃げ水】を
「下位蜃気楼」や「地鏡」とも呼ぶ。要するに光の屈折現象だ。
また、光の屈折現象が水平に起きるときを、「鏡映蜃気楼」と呼ぶ。
【不知火】は、この「鏡映蜃気楼」に属する、といわれている。
【陽炎】も、温度が異なる空気の密度差によって生じるゆらめきで、
光の屈折現象だが、こちらは局所的なもので、この空気の密度差が、
層状となった大規模なものが、【蜃気楼】、【逃げ水】、【不知火】
である、といえるだろう。
火属性や氷属性の魔力を纏いながら、周囲の空気に温度差を与えつつ、
剣術の開き足で左右に移動し、術者の動きを読み難くさせる。
左右にユラユラ程度なら【陽炎】、気が付いたら相手の
横に回っている【不知火】といった感じだろうか。
【蜃気楼】なら、上半身に火属性か、下半身に氷属性を纏い、
【逃げ水】なら、上半身に氷属性か、下半身に火属性を纏い、
相手の懐に飛び込む【縮地】とは逆に、後方へ飛び退けば良い。
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【砂漠谷襟】は、火属性の魔力を纏い、金属光沢を帯びていた
自分の手から溶融した、ハンダのような液体金属を自分の影に
数滴垂らした後、【陽炎】を使い、その影を分身させる。
そして、【砂漠谷襟】が、己の魔力の全てを放出して叫ぶ。
「【百鬼夜行・仮面舞踏会】!」
すると、銀色の仮面を装着した影靈達がその影の中より立ち上がる。
「【百鬼夜行】は影属性の奥義級、【仮面舞踏会】は鏡属性の奥義級
の技能だ。そんなことをしたら・・・。」
「アッハ、ハハハ、ハッハ、ヒィ。」
【砂漠谷襟】は高笑いしながら、自身の身体が金属化してゆくのにも
構わずに切り札を放ち、やがてその全身を液体金属が覆い、彫像と化した。
「くっ・・・【パウリ効果】を発動!」
こうして、【砂漠谷襟】だった彫像は砕け散った。
それが、【砂漠谷襟】の最期だった。
その破片も、砂漠の谷らしく、【蜃気楼】の様に消えていった。
黒翼に紫炎を纏った不死鳥の様に、
【蝙蝠山卿】は影靈達の群れに急降下し、
その全てを焼き尽くし、無に帰した。
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常井氏と土師青年は、豚野郎共との戦争に備えて、
計算RPG【Primzahl】の迷宮の最奥の部屋に
管理されている、反物質兵器を手に入れるつもりらしい。
一方、弓削青年には、【幽離】―幽体分離―の対策として、
自身の魂が、この世界の宿主としている病みエルフ自身の魂を
再起動する任務が課せられた。何故なら、それは、
二つの魂が共存できる、この計算RPG【Primzahl】の世界でのみ、可能だからだ。
【幽者】ユゲタイから分離した、弓削青年の魂と、
宿主である病みエルフ自身の魂の両者が対峙する。
弓削青年は、病みエルフに呼びかける。
「そういえば、君の名前を聞いていなかったな。」
「病みエルフであるオレに名前はない。」
「では、俺が命名してやろう。蝦夷エルフ達の名前は、
古英語や、中英語のアルファベットから命名されていたから、
君は、ルーン文字の最初の6文字から、『フサルク』と呼ぼう。」
アッシュ、エズ、ソーン、ウィンは古英語、
エテルとヨッホは中英語のアルファベットが由来である。
「『フサルク』。それが・・・オレの名前?」
「そうだ。あくまで仮の名前だ。
いつか自分で別の名前に変えてもいい。」
現実世界でも、例えばアイヌ民族は、生まれた直後には
仮の名前を付けておき、成長した後で、別の名前を
命名する習慣があったという。
「分かった。取り敢えず、今は『フサルク』と名乗ることにする。」
弓削青年は、かつての弓削少年が成長したら、
こういう姿になるだろうと予測される姿をしている。
この姿もある意味では、仮の姿である。
中学受験の時点で声変わりは終わっており、
身長は160cmを超えていたが、長身の割に痩身で、
ブロッコリーと揶揄されていた髪型は、
勿論、白髪ではなく、黒髪である。
一方、病みエルフのフサルクは、カリフラワーと揶揄される、
白銀の髪と、真紅の眼という、「アルビノ」特有の容貌をしていた。
二人は、突然、計算RPG【Primzahl】の中で、
七辻の舞台に転移した。
そして、二人がその七辻の中心に立ったとき、七叉路の各々から、
かつて塾業界で「七人の侍」と呼ばれた、
七体の豚野郎共が、その醜悪な姿を現した。
「オゥオゥ!」
「ゲーム脳の毒舌お坊ちゃまよォ!」
「よくも今までさんざん邪魔してくれたなァ?」
「ブロッコリーとカリフラワーが両方いるけど・・・。」
「今日がテメェらの命日だァ!」
「よし。野郎共、殺っちまえ!」
ゲームの中での模擬戦相手のシミュレーションにしては、
かなり再現度が高いな。まさか本物か?
【マクスウェルの魔】も、【蜃気楼】や【逃げ水】、
【陽炎】や【不知火】といった現象も、或いは、
スターリングエンジン等のエンジンも、熱力学的には、
「高温と低温」に関する理解が重要となってきます。




