9話 雪降る書庫の出会い 回想 2
月明かりの寒空の中、鮮やかな赤い髪で、微笑む小さな少女マティ。
金色の美しい髪にエルフの耳を取り付けられ、フリルの腰巻きをつけ、少年の残影を残しつつ、大人並みに背の高いユード。
ふわりと飛んでいきそうなくらいの華奢な小さな体に、ユードとは全く違った、透き通るような白い耳をピクリと動かす年齢不詳のメリアン。
その顔を順番に眺めながら、父親が言っていた「マティ様は少し変わっておられるかもしれないな。」と言葉を濁すような言い方をしていたのを思い出す。
──この異形な様子は、少し変わっているで済むのだろうか。
ウィルはとりあえず、目の前の人物からゆっくりと目を逸らすとルノーに視線を戻す。
「えっーと、ルノー様、僕はこれで失礼いたします。では。」
「ちょっとちょっとちょっと。このちびっこ、今あたし達の事、無視しましたよ? マティ? 見た? 」
月明かりのした、美しい顔でそう煽るエルフの言葉に、その場を去ろうとしたウィルはムッとした。
「ちびっこではないし、無視なんてしていない! 僕はどうして良いかわからないだけだ!」
──エルフなど見たこともなく、物語での話だと思っていた。書庫に入り浸り契約の書類を読んだり、書庫守りジジイが書き集めているアーサー王の噂話を聞いたり、メモの断片を読んだりするのが好きだったが、エルフなどが出てくる怪異の物語はあまり見ていなかった。これがエルフか!
あ、でもハーフ・エルフだから、半分人間ということか?
ウィルは戸惑いつつも、この状況に少し胸が高鳴っていた。
初めて見るハーフ・エルフに、謎めいた噂の赤髪の王太子妃のマティルド様だ。
連れている侍女二人も変わっていれば、彼女も変わっている。
ウィルもいつも「お前は変わっている、変な子だ。」と言われてきた。
そんな状況で書庫に入り浸っているせいで同年代の子どもと話す機会はほぼなかったので、この同年代の彼らに少し興味が湧いていた。
「はっはっは!! お前、開き直ってんな! 新しい反応だぜ。 おもしれぇー! おい。俺達今から『プロテア』探しするから、お前も早く用事済ませて来いよ! 」
「兄しゃま! かくれんぼぉ ! 」
「グウェン。今『プロテア』が隠れてるから、今度は彼女を探すんだ。」
座り込んだ膝の中でグウェンが主張するのを優しく説得しているルノーに、ウィルは尋ねる。
「プロテア? あまり聞かない名前ですね? 」
そこにロージーに手を引かれたマティがやって来ると、赤い髪を揺らしながら何処か得意げな顔をした。
「あだ名を付けたのだ。マティルドが多すぎるからな! 君、知っている? 今この王宮には3人の王妃マティルダの駒がいる。」
「三人のマティルダ?」
マティの言葉とともに、ウィルは胸がドクドクと音を立てるのを聞きながら、少し早口で続ける。
「なるほど! 今、ゲルマニアに嫁がれたマティルダ皇后がご帰省中ですよね! それはそれは美しくて、高貴な方だ。」
「うん。アンジューにいる私の弟など、アデリン様と私の結婚式で見かけたマティルダ様に一目惚れしたそうだよ。」
「・・・え? マティ様、確か9歳ですよね? 弟って何歳ですか? マセてますね!? あー、まぁでもその年代でしたら、そういう憧れも許されるか。僕がスティーブン様やアデリン様に憧れるのと一緒ですかね? 」
「質問が多いな。まぁいい。私は確かに9歳だ。そして弟は、結婚式が1年前だから、7歳だったな。憧れではなくて、本当に結婚してほしいと言っていたらしいぞ? 母上が随分苦労したと聞いた。弟はなかなか言い出したら聞かないからな。あれはあれで素直で可愛いのだが。」
マティの表情が柔らかなものに変わった瞬間、彼女の上に大きな影が覆いかぶさるように広がる。
ぬっと迫ってきたのは、後ろにいたユードだ。彼は少し低くかすれた声で呟いた。
「いや、そもそも人のものですからね。7歳だったとはいえ、ジョフロア様はもう少し分別を持つべきです。今回の祝宴も、マティルダ皇后がいらっしゃるならバルフルールに出向くと駄々をこねたとの話を伺っています。」
「はっはっは。ユードはジョフロアには厳しいな。昔はあんなにかわいがっていたのに。」
振り向いて後ろのユードに向けたマティの笑顔は、先ほどとは打って変わって華やかで、ウィルは彼女の顔を見て”はっ”と気づく。
──ただ実家の話をしているから華やいだ表情になったんじゃない。もしや……これこそが噂に聞く『恋』……なのか?
何やらいけないようなものを見たような気持ちになったウィルは赤くなる顔が月明かりで見えないか気になりながらモゴモゴとルノーに話す。
「そういえば、マティ様のお父上であるアンジューのフルク様はこの度の祝賀はメーヌ地方の不穏な動きのせいで、お越しになれないとの話でしたね。」
「え? おれ? 俺に聞くの? えっと。そうなの? マティ。俺知らなかった。」
ルノーの言葉を聞いて、マティの顔が一瞬で曇る。
少し彼女の目が潤んでいるように見えた。
「うん……。メーヌの件もあるし、父上はエルサレムへの巡礼もなさる予定との話もあるので、致し方ないだろう。……母上には……会いたかったけど……。」
年相応の泣きそうな表情が、ひどく胸を苦しめる。
アンジューの話など、言うべきではなかった。
書庫での官僚たちとの噂話の感覚でいたせいで、この小さな少女を悲しませてしまったのだ。
親元から離れ、7歳という若さで結婚し、誰も、何も知らない土地で暮らす、という郷愁に思いをはせることができなかった。
どうしたらいいかわからずに、そばいいるユードを見るが、ユードも目に見えて、言った自分よりも慌てている。
ただ、二人であたふたとしていると、ルノーの大きな声がして、彼が立ち上がりマティの肩を優しくぽんと叩いた。
「そうか……。でも、マティ。俺達がいる。さみしい思いなんて俺達がさせないからな。なぁ、ウィル! おっと、そうだ、”プロテア”探しだろ!」
次いでメリアンが優しくマティを抱きしめる。
「そうよ。あなたには私達がいるわ。マティ。元気をお出しなさい。」
「あ……すいませんでした。配慮が足りなくて……。」
おずおずとマティの目の前に立って謝ると、メリアンの拳が肩を突いた。
「そうよ。全く無神経なんだから! 」
「す、すいません……。」
頭の上に乗るユードの大きな手と抱きしめるメリアンの手を優しく取りながら、マティが少しはにかんだような表情で笑った。
「ありがとう。では、”プロテア”探しでもするか。」
「よーし。探すぞ。さぁ、グウェン。誰が一番に見つけるかな?」
「グウェンいちばーん!」
張り切るマティ達を前に、疑問に思ったことを放置できないウィルは申し訳なさそう訪ねた。
「あ、あの。プロテアって誰ですか?」
きりりとした顔に戻っているマティは悪戯そうな表情をしている。
「あはは。そうだったね。今この王宮に三人のマティルドがいる。一人目は私、マティルド。そして、アデリン様の姉であり、私の義理の姉でもあるゲルマニアのマティルダ皇妃。そして、今は亡き王妃の姪で白鳥の騎士ブローニュ伯の娘のマチルダ様。誰が誰か、わからないだろ?」
「そ、そんなことありません! 」
ウィルはそうは言ったもののこの名を呼ばれて、誰が誰か、わかる自信はない。
「そんなわけで、グロリオサ、ダリア、プロテア。と花の名前を付けたんだ。」
「な、なるほど……。けれど、どれも聞いたことのない花ですね。」
「そりゃそうよ。全部エルフの村の花ですもの」
そう割り込んできたのはメリアンだ。
彼女はマティの髪を触りながらつぶやく。
「雨の匂いがするわ。髪が膨張しちゃうわね。結ぶわよ、マティ。」
そう言うと、メリアンはうっとりとした表情でマティの髪の一束をつまむとスイスイと編んでいく。
「マティのこの赤くきれいにウェーブした髪。美しいでしょ? グロリオサという花は、まさにマティみたいな花なの。赤く燃えるような強い印象のウェーブと、毒を持つわ。」
固く編み込まれたその一房は、燃えるような赤が強調され、髪全体が炎の様に揺らいで見える。
そのマティが緑色の瞳をキラキラさせながら、後ろから髪を結ぶメリアンを仰ぎ見る。
「毒を持つのか? 聞いてないぞ? 」
「言っていないもの。花粉や生けた水を舐めるだけでも、体の内側からやられるわ。ふふふ。マティらしいでしょ? 」
とびっきりの笑顔でそう言うメリアンをマティは不敵な笑みで微笑み返す。
「ふふ。面白いじゃないか。メリアン。君も毒されないように気をつけるんだな。」
反対側の髪の一房も結び終えたメリアンは、マティの髪にそっとキスをすると笑顔で答えた。
「マティのそういうところ好きよ。ふふふ。次は、ダリアのマティルダ皇后ね。花びらが幾重にも多く重なった華やかな花だわ。ひらひらとした花びらと言うよりも羊皮紙が丸まったみたいな花びらって言うとわかるかしら? この花も濃い深い赤色で、その丸まった花びらの先端が尖っているせいで、少し棘々しい印象もあるけれど、全体は丸くて美しい花よ。水もこまめにあげなければすぐ枯れてしまう繊細な一面もあるわ。何よりも、スッと伸びる茎が凛とした印象を与えるの。」
羊皮紙という言葉を聞いて、ウィルはメリアンの言うように、わかりすぎて、花の想像を断念する。
どうやっても羊皮紙の紙の束をまとめて花に見立てる想像しかできなくなってしまったからだ。
花とは無縁なホコリと、カビと獣の匂いのするその束は、心は踊るが、華やかな気分にはならない。
「最後は、プロテアのマチルダ様。大きくてぷっくりとした、咲くと王冠のような存在感のある花よ。果実のような蕾を守るために変形したガク、総苞片に包まれていて、それが花びらのように開くの。小さく愛らしい花たち丸く集まって、まるで白鳥の羽毛のような気品のある花だわ。」
三人三様の花が、色鮮やかに景色を染めていく。
冷たい海の風も、エルフの里の華やかな色合いの花たちが咲き乱れる芳香は吹き飛ばせず、この場はその香りに包まれている、そんな気持ちになる。
ウィルは春が訪れたような気持ちの中で、先程得意そうに「あだ名を付けたんだ!」といっていたマティの顔を思い出し「ははは」、と笑ってしまった。
「マティ様の先程の口ぶりだと、すっかりマティ様があだ名をつけたのかと思いましたよ。」
「!!!べ、別にいいだろう。メリアンは私の侍女だ。私がつけたと言っても過言ではない!」
マティが慌てて言い訳をする姿は、なんだか微笑ましい。
そこにルノーが割って入ってきた。
「花は食えねえけど、俺達その白鳥みたいな花がみたいよなって、話になったんだ。で、今から探すんだ。お前も来るだろ? 早く用事終わらせて来いよ!」
そう言うと、ルノーは忙しそうにウィルの肩をバチンと叩くと、「じゃあな」とその手を上げた。
バルフルールの道で一人残されながらマティ達の背中を見送ると、ウィルは自分の仕事を終わらせるべく、倉庫へと急いだ。




