8話 雪降る書庫の出会い 回想 1
「おい、ウィル! こっちだ!」
ウィリアム・ドービニは、今だ成長過程にある細い腕いっぱいに木製のカップをいくつも抱えて、家ほどの大きさのワイン樽の隙間縫うように歩く自分の父親の背中を追いかけながら、キョロキョロとあたりを見回しては、父親から叱れていた。
──そうだ。この凍えるような冬の匂いは、あの夜と同じだ。
ウィンザー城の書庫で「マチルダ姫が来る」と聞いてうろたえていたウィリアム・ドービニの意識は、激しい潮の香りと共に、3年前のあの「始まりの夜」へと引き戻されていく。
凍てつく11月の風の吹くノルマンディ・バルフレールの海岸は驚くほど澄み渡り、はるか遠くに少し欠けたオレンジの大きな月がポッカリと顔を出している。
バトラー(首席執事)である父の手伝いで走り回されているウィルは、バルフレール要塞内にある大広間の、たくさんのテーブルの上に木製のカップを置くと、怒号が響く。
「おい、ウィル。次はここのテーブルに置く燭台とロウソクをもってこい。こんなんじゃ足りねぇ! おい、ディスペンシエ(司厨官)共! お前ら、ヘンリー王に恥をかかせる気か! こんなじゃ顔もわかりゃしねぇ! 契約文面しか見てねぇから人の顔見るのにどのくらい明かりがいるかもわかんねぇんだろ! もっと周りに気を配れ!」
そう怒鳴りながら父はウィルに麻袋を投げつける。
──これに入れろということか。ここで口を開くものなら、盛大なとばっちりを受けるのは、目に見えているな。
ウィルは麻袋を抱えると、今だ怒号の響く大広間を後にする。
──11歳になったのだから、祝宴に参加させてやる、跡取りとして王宮を勉強してこいと言われて、楽しみ来たのに、只の小間使がほしかっただけじゃないか。やってられっかよ。こんなの。
心の中で毒づきながらも、ここでこの仕事をほっぽり投げるわけにも行かない。
夕空を登り始めたばかりの大きな月の照らす中、先程通り抜けた大きなワイン樽の側まで戻ると、小さな影が走り抜けるのが見えた。
「? 誰かいるのか? 猫か?」
「猫じゃねぇよ! お前、黙れよ! 見つかんだろ!」
返ってきた子どもの声に、興味を覚えたウィルは、声の主を探して、影が走り抜けたワイン樽の裏に入り込む。
そこには、自分と同じくらいの年齢の少年が、隠れていた。
ウィルはその少年の側に寄ると、小さな声で話しかける。
「……なにしてんの?」
「……見てわかんねぇの? お前バカか? かくれんぼに決まってんだろ。」
──身なりのいい服装に、大きな態度。おそらくどこぞの王家の御子息か。それにしても、この年でかくれんぼ?自分はとうの昔に卒業したが。
ウィルがそう考えながら首を傾げていると、少年がぱっと赤い顔になって、大きな声を出した。
「お、俺じゃねぇから! 妹が!」
「あ!! にぃしゃま、みちゅけた! マティしゃまー。にぃしゃま、いた!」
少年の声に幼い声が重なり、幼女がひょっこり顔を出す。
「ほら。見つかったじゃねぇか。……な? 俺は妹の子守でかくれんぼしてたんだよ。別に俺が遊んでいたわけじゃねぇし。」
駆け寄る幼女を迎えながら、少年が恥ずかしそうに話すと、腕の中の幼女が不思議そうにウィルを見上げてくる。
「だぁれ? 」
「ん? たしかにお前、見ない顔だな。客人か? 俺はルノー。ルノー・ダンスタンヴィルだ。 コイツは妹のガンドレッド・ダンスタンヴェル。略してグウェン。俺達はアデリン王子の腹違いの兄妹だ。」
「ぐうぇんねぇ、6しゃいだよ!」
小さな手をいっぱいに広げて6本の指を見せてくるグウェンに、ウィルは微笑みながらその小さな頭を撫でる。
ふんわりの甘い香りがして、なんだか気持ちが穏やかになる。
「ヘンリー様の御子息、ルノー様に、グウェン様でしたか! 僕は、ヘンリー様にお使えする首席執事ウィリアム・ドービニ・ピンセルナの息子です。はじめまして。」
「何だ。ピンセルナの息子か。あいつ今日、怖いな! お前、逃げてきたのか?」
「あはは。逃げられたら良いんですけどね。今から燭台とロウソクを取りに行くお使い中ですよ。」
「そっか、お前も俺と同じでお仕事中か。お互い苦労するな!」
無邪気にグウェンと同じ顔で笑うルノーに、毒を抜かれたような気持ちで笑っていると、再びワイン樽の影から顔がひょっこりと現れる。
「ルノー。誰と話している?」
鮮やかな、まるでワインで染め上げたような赤い巻髪の小さな少女だ。白い肌と緑の瞳が、よりその赤を際立たせていた。
──この少女は、たしか、レディ・マティルド様ではないか?
忘れようのない印象的な赤い髪とその姿を目にして、ルノーが彼女の名前を呼び確信する。
「ああ。マティ。彼はピンセルナの息子……。名前なんだっけ?」
「ウィリアム・ドービニです。」
ルノーの紹介に、見様見真似の騎士の礼をしながら赤い髪の少女に名乗ると、赤い巻髪の少女は美しく微笑む。
「ピンセルナの息子か。いつも世話になっている。私はウィリアム・アデリンの妻、マティルドだ。マティでいい。」
──父からマティの話は聞いていたし、去年の結婚式の時にちらりと見ただけなので、こうして間近で話などする機会があるとは思っていなかったので、少し驚いたな。聡明そうな美しい少女で、父の話では少し変わっている、とは言っていたが、別段変わった所は、ないように感じられる。
そのマティの後ろで控えていた侍女に抱きかかえていた幼女が、可愛らしい小さな声で恥ずかしそうに名を告げる。
「わたしはロージー。この子はユードですわ。」
「ああ。彼女は僕の妹ロへジア・ダンスタンベル。略してロージーだ。そして彼はユード。優秀なマティの護衛で男だよ。ちなみにあのエルフの耳は付け耳で、マティの趣味で……色々付けさせられている。」
「ルノー。付けさせられているとは語弊のある言い方だな。ユードほどあれが似合う者はいないだろう? あなたも、そう思わないか?」
9歳とは思えない圧でルノーをたしなめるマティの瞳は深く緑で、ウィルはその瞳に吸い込まれるような感覚で、気がつけば彼女の言葉に頷いていた。
──改めてよく見れば、侍女は確かにマティとは違った透き通るような美しさで、白い肌には尖ったエルフの耳が良く似合い、金色のつややかな髪が流れるその肩は、確かにガッチリとした幅広さで、女性のラインの衣服を窮屈そうな形で……。
──ちょっと待て! 彼? 護衛で男?
ウィルは、先程のルノーのことばを思い出して絶句する。
──女性と言うには背も高いし、ガッチリしすぎだ。よく見れば喉仏もある。しかし、マティの言うように、驚くほど衣装も頭に付けられているエルフの耳もよく似合っている。似合ってはいるが、彼は……。
「え?」
「あっはっは。いつ見ても面白いなこの反応は! 最高だぜ! いっひっひっひ!」
ウィルの反応を見ながら、ルノーが腹を抱えて笑っている。
「ルノー様。笑いすぎです。」
ロージーを抱きかかえたままムスッとした顔でユードが口を開くと、その後ろからまた一人金色の髪の少女が現れる。
「そして、ここで私が出てきて、驚くのがセットね。」
クスクスと笑うユードと揃いの服を着たその少女もまた、ユードと同様にとんがったエルフの耳がついていた。
しかしそれは、ユードのものとは、圧倒的に違う。
大理石で作られている像の様な滑らかな白い首筋から伸びる耳の先端がピクッと動く。
その僅かな動きに揺れる柔らかな髪は朝日に照らされた麦畑の暖かな金色で、切り揃えられたその前髪からのぞく瞳は青く鉱石の様な輝きを放っており、普通の人間との違いが明らかだ。
──本物? まさか本物のエルフ? ……初めて見た。
にこやかに笑うその熟れたさくらんぼのように淡い赤色の小さな唇から出る、鈴の音の綺麗な声とは対象的な切れ味のある言葉に、ウィルは胸をサクリと刺された。
「エルフ、初めて見ましたー、なんて安っぽい言葉なら言わなくて結構よ。あたしはメリアン。半分は本物のエルフの血が流れているわ。俗に言うハーフ・エルフね。」
メリアンの言葉にウィルは、あんぐりと口を開き、マティとユードとメリアンの顔を順番に眺める事しかできなかった。




