10話 雪降る書庫の出会い 回想 3
先程まで星が瞬いていた空は、雲が流れるように広がり始め、湿った冷たい風が頬を凍らせようとしているかのように吹きつける。
お使いを終えたウィルは、父親の目を盗んでこっそり大広間を抜け出していた。
走るウィルがたどり着いたバルフルールの港には、多くの船が停泊している。
その中、目の前でひときわ目立つ2艘の船。
黒くタールの光る大型のロングシップ。
見上げる船首に彫り込まれた黒ぐろと光るヘンリー王の象徴の獅子像は、海を静かに眺めている。
その隣の、ぼんやりと雲のかかり始めた月明かりに美しく光る白い船。
船首には体と同じ、ライムウォッシュで塗られた獅子像は、白いたてがみは天に昇らせ、鋭いキバを見せ、ぎょろりとした目で薄っすらと雲から顔を見せる月を睨みつけていた。
海からは凍えるほどの冷たい風が吹き上げ、置かれた篝火が狂ったように踊っている。
そんな中、明日の出航のために、日が沈んでも積み荷が続々と船に載せられていく。
活気の良い声の飛ぶ荷積み作業を行う男たちの傍らで、まだ祝宴は始まっていないというのに、酒を飲み始め、すっかり出来上がった騎士や貴族たちが大きな声で話したり歌ったり、馬鹿騒ぎする声が響いていた。。
──まずは何事も情報収集からだというのは鉄板だ。俺が一番最初に見つけてやる!
ウィルはそう意気込んで乗り込んだ港で、怒号と子どもの騒いでいる声を聞く。
「早くつまみ出せ!」
「痛え! このクソガキ、噛みつきやがったぞ!」
躯体の良い大きな男どもにつまみ上げられた少年がバタバタと両足を上げて周りを蹴りつけながら、騒いでいる。
「離せ! 俺もこの白いロングシップに乗りたいんだってば! 一人ぐらいいいだろ! ケチ! この! 酔っ払い!」
「馬鹿野郎! お前みたいなクソガキが、アデリン様の船に乗ろうなんざ10年早いんだよ。もう来んなよ! 次はつまみ上げるだけじゃすまねぇからな!」
「あー! クソ! 覚えてろ! お前らぁ!」
ぽいっと投げ捨てられた少年は、べしゃりと地面に両手を突いて着地すると、まるで子犬が威嚇しているかのように、歯をむき出しにして吠えている。
唖然として見ていたウィルの視線に気がついたのか、少年がこちらを向いた。
「ん? お前もアデリン様の船に乗りたいのか? 無理だぞ。何ってったって、このハリー様が失敗するくらいだからな! 」
「……僕は、そんな事する気はないけど。」
「? お前、乗りたくないの? あんな白くてすげぇ船に、乗りたくないヤツなんているわけないだろ? 」
「え? 逆になんでそんな事してんの? 確かにあのロングシップには乗ってみたいけど、アデリン様の船なんて、警備は鉄壁に決まっているだろう? 正規で入る以外で、君がどうやって忍び込もうとしたのかはわからないけど、荷物の中に入り込んで人に運んでもらうくらいの計画性を持ってやらないとまず100%無理だと思うけど。」
キョトンとした顔をして地面に座り込んでいた少年は、膝を叩いて大きな口を開いて笑い始めた。
「あっはっは! すげーなお前! かぁー! そっかー! そんな作戦があったかー!」
「……無計画……?」
「ん? なんか言ったか? お前なんかいい作戦作れそうだな! 俺は、ヘンリーの王室近衛隊長のジョセリン・ド・ラ・ポメロイの息子、ハリー・ポメロイだ! なぁ、もう一回チャレンジするからお前、いい方法考えろよ!」
ハリーはお尻の土を払いながら立ち上がると、砂の付いたままの手をウィルに差し出した。
「嫌です。」
「えええええ? なんでぇ?」
「手、汚れてる。それに、僕はそんな事の手伝いをしている暇はないから。」
「あ。手か。ホントだ。汚れてんな。悪りぃ悪りぃ。」
話を聞いているのか聞いていないのかわからないハリーは、手をズボンで拭くと、ニッコリと満面の笑顔で手を差し出してくる。
「ほら。これでいいか?」
「……僕は、首席執事ウィリアム・ドービニ・ピンセルナの息子 ウィリアム・ドービニ・ジュニアだ。」
ウィルが渋々ハリーと握手すると、ハリーは、思い切りその手を握り、走り始めた。
「ちょと、おい! 離せよ!」
「だっはっはー。お前、隠れられそうな荷物探してくれよ! 一緒に潜り込もうぜ!」
「ちょっと、嫌だってば! お前、はなし聞けよ!」
「硬いこと言うなってぇ!」
楽しげに笑いながら走るハリーに引っ張られながら、手を解こうとするも、ガッチリと掴まれた手は離れそうにない。
ハリーは迷うことなく、倉庫の方へと進んでいっている。
──このままだと、本当に一緒に潜り込まされそうだ。
そう考えたウィルは彼を説得することにした。
「くっ! 馬鹿力っっ! おい! ハリー。聞けよ! お前、潜り込んでも明日は出航しないよ!」
その言葉に、ハリーが突然走るのを止めて立ち止まる。
全力に近いスピードで走らされていたウィルは急なハリーの動きについていけず、思い切り彼の背中に自分の顔をぶつけた。
「ぶぐぅ!」
「明日は出航しねぇの? なんで? 船乗りたちは明日出航だって言ってたぞ?」
真顔で振り向くハリーに、ウィルはぶつけた衝撃で痛む顔をさすりながら、深いため息をついた。
「あの月にかかる雲を見ろよ。」
ハリーに言いながら指さす先。
夜の空には星の姿が消え、月にかかる薄雲はすごい勢いでその光の前を走り抜けていく。
「さっきまで星も月もはっきり見えていたのに、もうあんなに見えなくなってる。明日は雨だ。それも激しく降る。契約では明日出航となっているが、早くても、明後日になるんじゃないか?」
月の見え隠れする空を見ていたハリーの首がぐるりとウィルの方を向いたかと思うと、肩に力強く手が乗せらた、と思うまもなく、その肩を前後に揺らされ、ウィルは頭を激しく揺らされて悲鳴を上げた。
「なんだよ! 辞めろよ!」
「おっっまえ、すっげぇぇな! マティ様の侍女のメリアンみてぇじゃん!」
ハリーを振り払おうとして上げたウィルの手が、"メリアン"という言葉に反応して、思わず彼の頬にあたり、「ふぎゃー」と言うハリーの情けない声が石造りの倉庫に響く。
「あ……。済まない。」
「……俺も、すまん。ユードさんにもいつも注意されるんだった。わりぃ。思いついたらすぐ動きたくなっちまうの、悪いクセなんだよな。」
恥ずかしそうに頭をかいているハリーに、ウィルは「ユードと、メリアン」と小さく呟きながら、たずねてみた。
「なぁハリー、ひょっとして、マティ様と、ルノー様、知ってる?」
その言葉を聞いたハリーは、ぱぁっと表情を明るくさせた。
「もちろんだ! マティ様は俺の師匠のユードさんの仕えてる王妃様だぜ!そしてルノー様の妹のロージー様とグェン様とは、たまに遊び……えっと、……護衛として仕えたりしてるぜ! なんだ? お前も仕えたいのか? 俺に言っても無駄だぜ! 親父に怒られちまう! 」
「え。……そんな事ハリーにお願いしないし、無理なのもわかってるよ。」
「じゃ、なんだ? はっ!! まさか! お前! マティ様と、ルノー様たちを狙ってんのか!!」
突然ハリーの顔が険しいものになり、その眼光が鋭く光る。
ウィルは、先程の強引な様子からハリーとは戦うなとの危険信号を察知する。
──策も装備もないこの状況で、パワー系でやられたら俺は確実に怪我をする!
ウィルは、大慌てで両手を振った。
「ち、違う違う! 勘弁してくれよ! さっき会ったんだよ! そんで、みんなで"プロテア様"を探しをしてるんだ!」
予期せぬ言葉に、ふにゃりと力の抜けたハリーは、首を少し横に傾けると、目をしばたたかせた。




