6話 来客 4
「チェス?」
「おや。知っているかい?」
ルノーの驚いた声に、デービットの嬉しそうな声が重なる。
「はい。以前、父上の客人がいらした時に、”チェスというゲーム”、だと、言うことで触らせてもらった事があります。」
「ぼぼぼぼ、僕は、知らないな! そのゲーム! それは一体どんなゲームなのだろう? いや、それより、ゲームも興味があるけれども、ルノー様、何故それを今まで思い出さなかったのですか? ヘンリー様の客人とはどこの国の方だったのですか? 最近のことなら僕が知らないのも納得できますが……。」
ウィリアム・ドービニが耳の近くで早口でまくしたてるのをルノーは右手で静止しながら、並べられた人形の一つ、ひときわ大きなサイズの王座で王冠を被り刀を横向きに膝の上に置いた《キング》をつまんで、マティの目の前に置いた。
「俺が見たのはこんな人形じゃなくて、もっと抽象的な形で、素材は石でもセイウチの牙でもない、えーと、なんて言っていたかな? 忘れちまったけど、色は鮮やかなターコイズブルーと、マンガンの黒二色だったぜ。」
「マンガン! ルノー様、それ、南方の職人が言う『マグネシア』ですよ? あの大聖堂の硝子を紫に染め上げる秘薬を、ゲームの駒に使うとは!」
大げさに驚くウィリアム・ドービニの表情は滑稽で、ロージーとグウェンと顔を見合わせながらマティが笑っていると、デービットもつられて笑い始めた。
「ふふふ。ウィリアム・ドービニ。君は、本当に優秀だね。マグネシアも知っているとは。しかし、ルノーが見たのは、あれだろ。サイコロを使っていたのではないかな? だとしたら、南方の『エシェ』というゲームだろう。私は見たことがないが、その駒は、北の世界の果ての神聖なる火山にある湖畔のような、乳白色の青いうわぐすりと、夜の帷に横たわる異界の女神『銀の砦』の瞬きのような、黒いうわぐすりを塗って作られた、美しいオリエント陶器で作られているらしいよ。さて、そして僕が持ってきのは、北の国のチェス。セイウチの牙で出来ている製品だ。ごらん。この《キング》の座る背に描かれた文様や《クイーン》の美しい衣装のひだ。そして《戦士》のユーモアに富んだ表情。色こそ単色だが、どれも引けを取らない美しさだと思わないかい?」
穏やかに語るデービットのその美しい言葉が、音楽のように響いて南方の『エシェ』という色鮮やかな色彩の駒の 残像を残しつつ、目の前の白いチェスの美しい造形を鮮明にする。
マティの横でロージーがほぅっと、息を飲む音がする。
「……まぁ。なにこの、同じゲームの話とは思えないほど美しい表現。ほんとに同じ言語? お兄様のは狼語だったのかも……。」
「えーっと、ロージー。お兄ちゃん、ちゃんと同じ言語喋ってたよな?」
そんな会話に笑いながら、デービットは部屋の隅に置いてあったテーブルと椅子を部屋の中央に、マティの作業台の向かい側に置くと、ルノーが二色の正方形が互い違いに組み込まれたマス目の盤をそのテーブルの中央に置く。
そしてマティの目の前で二人は向き合って座ると、駒をコトンコトンと軽快な音を鳴らしながら配置し始める。
ウィリアム・ドービニはそんな二人の周りを興味津々と言った様子でぐるぐると回りながら、なおもおしゃべりは止まらない。
「南方のゲームと言えば教会が不道徳なバクチとして禁じているのが確か『エシェ』と言われていたゲームだった気がするのですが。ひょっとしてこれはその不道徳なゲームと同じではないのですか? 騎士たるものサイコロの目に運命を委ねるなど合ってはならぬ事だと教会よりキツくお達しが合ったとのことですが、ひょっとしてデービット様はご存知ではなかった、とかですか?」
「ははは。大丈夫だよ。ウィリアム・ドービニ。このチェスは、南方の『エシェ』とは違うゲームだよ。僕の国スコットランドのさらに北の国、凍てつく最果ての地からやって来た物だよ。」
「ええ? それはそれで恐ろしい代物ですね! スコットランドよりさらに北の凍てつく最果ての地といえば、常に焔を噴き上げるという神聖なる山があり、そこには地獄の入り口(門)があるのだとの噂を聞いたことがありますが?」
「そうだね。僕もその噂は聞いたことがあるけど、貿易をしてみると別段普通だよ。まぁ。だけど、この《クイーン》の駒を見てご覧。」
デービットは自分の陣地に並べた《クイーン》を掴むと、盤の真ん中にコトリと置く。
《クイーン》の駒がまっすぐにマティを見つめている。
──頬杖を付いたクイーンはどことなく不安そうで、まるでため息でも聞こえてきそうな、そんな表情をしているように見える。
けれども大きく見開いた瞳は、どこかすべてを見定め、強い意志を表しているみたいだ。
そんなマティの心の声が聞こえてしまったのだろうか。デービットがマティの顔を覗いて、「不安そうだろ?」と口にした。
「この憂いを帯びた表情。北のチェスにはね、ただの王妃クイーンという造形ではなく、復讐の炎で国を焼き尽くした『ブリュンヒルド』のような、恐ろしい女王の影が宿っているんだよ。」
「ブリュンヒルド……」
マティは、悲劇の舞台を前にした観客のように、その白い冷たそうな《クイーン》の駒を眺める。
──炎で焼ける国を見つめていると言うよりは、月明かりの中、冷たい海に沈みゆく、あの帆影を連想させる。
マティは自分の考えを振り払うように小さく首を振った。
見つめるチェス盤の中央に、デービットはコトリと小さな音を立てて、《クイーン》の隣に盾をかじる《戦士》を並べた。
「そう。そのブリュンヒルドだが。彼女は魔法の刻まれた北の最果ての地の高貴な武器を持っていたのだが、戦いの最中で英雄たちの手に渡ったそうだよ。それは巡り巡って、このフランクの地、あるいはノルマンディーのどこかに眠っているという噂さ。」
目をキラキラとさせてチェス盤を眺めていたハリーが、興奮した様子で叫んだ。
「魔法の刻まれた北の最果ての高貴な武器! 盾なのか? 俺、ユードさんみたいなメイスだと良いと思うな!」
「そうだねぇ。一般的にブリュンヒルドは北の神話ではヴァリキリーという乙女戦士らしいからね。盾も持っているけど、確か彼女はオーディンの槍より少しこぶりな槍を使うという話だったよ? まぁ、別にこれって決まった約束があるわけでもないし。鉄槌でもいいと思うけどね。昔から神話でも契約でも、時の権力者が自分の都合の良いように改ざんするなんてざらにあるものだからね。それに比べたら槍と鉄槌なんて些細なことさ。」
ゆらゆらと《騎士》の駒を人差し指で揺らしながら、デービットはちらりと開いた扉の前に佇むユードの背中を見て微笑むと、再びその駒と《クイーン》の駒とを自分の陣地に並べ直し、ルノーとウィリアム・ドービニにゲームを教え始めた。
ロージーの後ろでは、ハリーが落ち着かない様子で布の端切れを掴んでブンブンと振り回し剣の稽古をしながら興奮して叫び始めた。
「眠ってる、そのお宝、俺が叙任式後、騎士になったら、ノルマンディーを旅して、必ず手に、入れてやるぜ!」
力強く拳を上げて豪語するハリーに、ロージーは上目遣いで振り返ると、その手をそっと握り、ねだるように小さく呟く。
「ハリー。あなたは、私達の側から離れてしまうの?……私達よりも、その魔法の刻まれた武器を選ぶの?」
「俺、マティ様やロージー様グウェン様の側から、離れないって、今決めました。絶対側にいますから!」
ハリーが即ロージーrの手を握り返す。
先程までのデービットの話す北の国の話は、彼の低く穏やかな声も相まって、まるで部屋に北の国の冷たい風が渦巻くように吹いて感じられていたのが、この軽快な会話と暖かな暖炉の熱が部屋とマティの心を温める。
微笑むマティの横で、グウェンがきりりとした顔をして立ち上がると、ハリーからロージーの手を奪って見せた。
「別に良いわよ。ハリー。大丈夫よ。ロージーなら私が守ってみせるわ。マティ様もユードがいるから大丈夫。」
「え? じゃぁ、えーっと、俺、どうすれば……。」
「冗談よ。マティ様も、ロージーも。一緒に守りましょうね。私達で!」
困って立ち尽くすハリーの背中をラダが笑いながらバチンと叩くと、ハリーはヨロリと身体を揺らしながら、グウェンをびっくりした顔で眺めた。
「……グウェン様は、戦士にでもなるつもりなのですか?」
「ええ。ブリュンヒルダのその武器。私がヴァリキリーになって手に入れてみせるわ!」
「な! ずるいじゃないですか! それに、さっきウィルにブリュンヒルダのようになったら、家が滅びると言われてましたよねぇ!」
「だから、その魔法の武器があれば、大丈夫ってことでしょ! 任せなさいよ!」
「グウェン。ちなみにヴァリキリーは神様だから、あなたにはなれないわよ?」
ロージーの一言に、グウェンとハリーが驚いた顔で振り向く。
「え?」
「え?」
二人のハモリに最初に吹き出したのはメリアンだった。
次いでマティが笑い、ロージー、グウェン、ハリーと笑いの輪が広がり、「なんだかわからないけれど面白いな」と、デイビット、ルノー、ウィリアム・ドービニと続いていく。
ユードが何事かと振り向くと、ルノーが笑いながら手招きをして彼を呼ぶ。
「ユードも一緒にチェスしようぜ。もう任務もいいだろう?」
「東の塔、このゴーストルークには今、騎士が2人、そして騎士見習いも2人いるんだ。大丈夫だよ。ユードも来なさい。」
デービットに言われておずおずと部屋に入るか否か悩んでいるユードにグウェンが走りよると、彼の大きな手を握り引っ張って部屋へと引き入れる。
ユードの髪がゆれ、暖かな暖炉の明かりに照らされたその頬に走る縦傷がほんのりと赤く火照って見えた。
マティはキュッと口元を締めて、ガタガタと音を立てる鎧戸を見上げる。
──外では今だ冷たい風が吹いているようだな。
夜空に流れる雲の隙間から月が僅かに東の塔を照らす。
東の塔の上層階は賑やかな笑い声で溢れ、月の隠れた暗い空へとこぼれていった。




