2話 東の塔の着せ替え人形
イングランド南部、ウィンザーの森を抜けると、市壁に囲まれた小さな町がある。
町の中央通りを進むと当たる城壁の先、小さな丘の上には、大きな城がそびえ立っていた。
そこはウィリアム征服王により防衛用として作られて昔ながらのモット・アンド・ベイリー様式の要塞だ。
城を取り囲む城壁に新しく建てられた、東の石の塔に、マティの居住が割り当てられていた。
東の塔の冷たい石の壁は、蒸気を含んだ空気と暖炉の熱でしっとりと湿り気を帯びている。
その石壁に垂らされた布がゆれ、それをかき分けて生成りのズボンだけを履いた大きな男が布を肩から羽織ながらのっそりと出てきた。
「よし、綺麗にしてきたわね。さあ、ユード、こちらにいらっしゃい。」
濡れた身体をできるだけ布に包み、居心地の悪さと恥ずかしそうな表情とを織り交ぜた表情のユードのたくましい腕を、マティは両手で掴むと椅子に座らせ、白く小さな手でユードの濡れた髪に優しく布を当て、ポンポンと叩く。
まだ少し暖かな水分が布に移り、それと共にハーブの香りが立ち上る。
そう広くない部屋は湯浴みのハーブの芳香で満たされている。
水分を吸った布を置き、長く伸びたブロンドの髪に櫛を入れながら、マティがユードの変化に気づく。
「ユード。胸の傷が増えてる・・・。」
マティはそう言いながら、ユードの鍛えられた胸筋に走るミミズ腫れを優しくなぞった。
ユードは慌てて肩にかかっていた布を両手でつかんで傷を隠そうとするも、マティの手に静止されて動きを止める。
「す、すいません。これは、先日の訓練の時に・・・。」
「うん。今日の傷ではなさそうだなと思ったんだ。・・・この傷は、この前の戦に借り出されたときの傷か? これも、これも・・・。」
ユードの身体の傷を数える指は触れそうで触れない。
されるがままにじっとしていると、マティはそんなユードの顔をじっと見つめ、目の下から頬にかけて綺麗に真っ直ぐに引かれた縦傷を、そっと撫でた。
「そして、アデリンに付けられたこの傷も・・・。ユードは、傷が絶えないな・・・。」
ユードは柔らかそうな赤い髪を揺らすマティの、鮮やかな緑色の瞳に自分の姿を見つけ、鼓動が高鳴るのを自覚する。
マティに並々ならぬ思いを抱くユードは、彼女のその柔らかく温かな指から逃れると、胸に自らの手を当てた。
「胸の傷が痛むのか?」
心配そうに顔を覗き込んでくるマティを前に、ユードは赤くなってゆく顔を左右に振って誤魔化す。
「大丈夫です。」
「そうか。・・・良かった。4年前この宮廷に来た時はこんなに傷だらけじゃなかったのにね・・・。馬鹿みたいに身長も伸びるているし。このままじゃ天井まで届いちゃう。」
ポンポンと胸に当てた手を叩くマティに、少し顔を歪ませたユードが口を開こうとすると、それを遮るように大きな笑い声が部屋に響いた。
「あっはっは! それ! 面白いわね! ユードったら塔の天井をぶち破って大きな巨人になったりして。」
二人の斜め後ろの長椅子に横になっているハーフ・エルフの少女が高らかな笑い声を上げた。
ユードは不機嫌そうにハーフ・エルフを睨みつける。
「・・・うるさい。メリアン。そういうお前はずっとちびのままだな。」
低く声でユードが唸るのをマティは肩に手を置いて制止すると後ろのメリアンを振り返る。
「止めなさい。エルフ同士で喧嘩しないの。」
「聞き捨てならないわね! こんなのと一緒にしないでくださるかしら。あたしにはユードと違って本物の森の血が流れているから。」
マティの言葉に腹を立てた様子のメリアンは長椅子に仁王立ちすると、自慢するように「ふん!」と大きく息を吐き出す。
そんなメリアンに、ユードは片眉を上げながら同じ様に「ふん!」と鼻で笑ってみせた。
「お前だって半人前のくせに。」
「言ったわね! ユードなんて4年前はまだ見れたけど、今なんて化物じみてるわよ! 自分の姿を見てみるといいわ!」
「必要ない。マティ姫が良いと言えば、それがすべてだ。」
「ばっかじゃない?」
言い合いを始める二人の間でマティは大きく腕を横に掲げて二人の顔の前に手のひらを見せながら静止のポーズを取ると、少し強い口調で叱責した。
「やめろ と言っている。二人ともいい加減にしなさい。ユードも。顔まで赤くして。少し落ち着け。」
マティはそう言うと、テーブルの上にある鮮やかな緑色のリボンを手にする。
それには布に蠟を塗り込んで作られた、小さく尖った耳が取り付けてある。
マティはそのリボンをユードの頭に取り付けると、ブロンドの髪からちょうど作り物の耳がちらりと見える様に整える。
「さぁ。出来た。これで誰がなんと言おうと、ユードはいつも通りの、私のかわいいエルフだ。」
にっこり微笑むマティと、少し困ったような顔のユードの姿を見てメリアンが思わず吹き出す。
「ぶっは! あははは! マ・・・マティ・・・。待って、待って!!・・・下着のズボンだけのユードにかわいいは、ちょっと・・・やばいから。せめて服を着せてからにしてよね。あっはっは!」
「あ。・・・あはは。本当だ。もう。二人が喧嘩なんか始めるから・・・。 ほら、ユード。服を着て。今度は前の衣装より肩口を大きくした。動きにくいって言っていたでしょ? 改良はバッチリだ!」
とびっきりの笑顔でマティがテーブルの上に置いてあった衣服を取り、ユードに広げて見せる。
ユードは深いため息を付くと、麻のズボンの上に皮のキュイスを履き、ループに2つのメイスを取り付けると、マティから渡されたチェニックをフワリと身につける。
メイスを隠しているチェニックは腰で大きく膨らみ、その上からフリルのエプロンの腰紐を結ぶことで、ボリュームのあるスカートのようなシルエットになる。
「ねぇ。マティ。あたしもユードみたいな膨らんだシルエットのチェニックにしてほしいな。」
革のブーツを履いて、キリリとした顔をして持ち場であるマティの部屋の扉の前へと向かう、エルフの耳を付けた いつもの侍女スタイルのユードを見ながら、メリアンはマティに自分の服装の注文をつけ始めた。
「うーん。そうだな。メリアンはメイスを持てないだろうから・・・。このフリルのエプロンみたいなのをアンダーチェニックの下の腰まわりに何枚か縫い付けるとか? まぁ、どのみち重くなるとは思うけど、それでも良いのか? いつもみたいに軽々と石壁を飛び越えたり出来なくなるぞ?」
「えー。それは嫌だなぁ。」
メリアンはユードとおそろいのデザインの侍女スタイルの自分の服をつまみ長椅子から飛び降り、クルっととフリルを揺らして一回りして見せると、少し口を尖らせた。
「なんとかしてよ。マティの作る服は、普通じゃなくて、可愛くて好きなんだけど、ちょっと動きにくいのよ。」
「普通じゃないって、褒めてないだろ。この裾の面積を多く取った刺繍なんて発明だ。とびっきり可愛いでしょ?」
マティはメリアンのエプロンの裾の部分のフリルをつまんだ。
「うん、だから可愛いって言ってるじない。でも、あたしもユードみたいに腰回りが脹らんだのが良い。」
「メリアンは注文が多いな。ユードを見習え。」
マティは開いた扉の外に、仁王立ちで立っているユードの背中を眺める。
メリアンはくすくすと笑いながら、指を頭上に上げると、彼女の明るい金髪がフワリと舞い上がり、ついで扉の外に向けて吹く風がユードの髪とスカートをたなびかせた。
ユードは迷惑そうにメリアンを一瞥する。
「ユードは嫌々着せられてるからね。そもそもユードは侍女じゃなくって、護衛だし。まぁ。それが面白いんだけどね。」
「でも、似合うじゃないか。」
「昔は似合ってたって。今は流石に無理でしょ。あんなでっかい図体の侍女なんて居ないわよ。」
「そうだなぁ。まぁ。でもヘンリー様が布はいくらでも使って良い契約だと、言ってくださったから。」
「そうじゃないわよ。マティったら。時々論点がズレちゃうのよね・・・。」
「あ。そうだ。じゃ、メリアンの布を減してみるか? それで、男物のチェニックの丈にして、中に短めのズボンを履いて・・・。」
マティは口に人差し指を当てながら、ブツブツと自分の世界に入っていく。
それを横目で見ながらメリアンは再び長椅子に横になる。
マティの姿は、小さな少女が人形にきせかえをするそれであるのだが、彼女の様子はそれとはどこか違う。
まるで、森で見てきた人間を排除して自分たちの世界に閉じこもるエルフの様な・・・。
「ま、もう少し衣装を可愛くしてもらえるなら、構わないか。」
メリアンはそう言いながら再び手を頭上に伸ばす。
先ほどユードを誂ったときと同じ風の精霊は、メリアンの指先からフワリと風を起こして再びユードをかすめると、石の階段を駆け抜ける。
階段の灯り取りの小さな穴からフワリと夜空に出た精霊は、階段の下に居た来客の存在を告げる信号をメリアンに送り、冷たい風に取り込まれてすっと消えた。




