15話 シュヴォシェ 2
高く冷たい星空が赤い炎に染まっている。
ウィルは落ち着きなげに、ウィンザーの城壁の上をウロウロと歩いていた。
ルノー達が出発してから、一時間ほど。
いまだフォレストを炎上させている火は勢いを弱める気配はなく、静かな風が黒煙を赤く染めながらフォレストの上空を覆っている。
――ここまでは、スティーブン様から聞いたヘンリー王のシナリオ通りだ。
この春から始まったノルマンディでの男爵たちの反乱での主力、知略を持つと有名なボーモントの双子の兄、レスター伯ウォルラン・ド・ボーモント達の敗色が濃くなった今、焦った彼の手の者達による陽動ゲリラ、“シュヴォシェ”が近々始まるだろう。
そう言われてスティーブンと共にウィンザーへと急ぎ帰ってきた。
――シナリオは頭に叩き込んである。あのフォレストの炎が鎮火しようが、しまいが、この後はウィンザー城の兵力が手薄になったと思い込んだボーモントの双子の片割れロバートが攻めてくる。
しかし、手薄のはずのこのウィンザーにはスティーブン様。
そしてウォルランの軍勢を挟み撃ちすべく、すでにエクセターの兵を動かしドーセットに駐在している、デヴォンのボールドウィン長官だ。
ここまでの男爵たちとの戦略戦は、ヘンリー王の圧勝。
震えるほど芸術的なヘンリー王の先読みはまさに「結末から逆算する怪物」
そしてその怪物に頼りにされ重要任務をまかされる時勢に乗る漢スティーブン様に仕える俺!
最高にかっこいい!
ウィルは独り興奮しながら、周囲を見渡す。
見た限りでは、いまだロバートの軍勢が掲げる篝火は見えない。
城壁から降りると、小走りでスティーブン達が待機している控えの間に入った。
スティーブンは準備を終え、長い脚を交差させて長椅子に一人ゆったりと座っていた。
ウィルが部屋に入るのを確認すると、上目遣いに少し垂れた目を見開いてギロリと睨みつける。
「まだか?」
すかさずウィルはスティーブンの側に近づくと、キリリとした顔で報告する。
「メシール・スティーブン。今のところ、異常ありません」
そのウィルの言葉に、スティーブンは少しがっかりした顔をする。
「すでにマティンズ(夜間の祈りの時刻)を知らせる鐘は鳴っただろう。何をしているんだ?」
イライラとした様子のスティーブンは椅子から立ち上がると、立てかけてあった剣を手にした。
「見回りに行く。どのみちロバートには、このウィンザー城に傷一つつけさせるつもりはなかったのだ。無駄な血は流さないほうがいい。ヘンリー王も可能性は考慮するが、本心ではロバートの裏切りなど信じてはおられぬと仰せだったからな。もし、裏切っていたとしても、俺が説得できるなら、彼には正道に戻ってほしいと思っている。ウィル。行くぞ」
泥臭く、腹のさぐりあいの多い宮廷の中で、このスティーブンのまっすぐな心意気をウィルは好ましく思っている。
心を穏やかな気持ちにさせるこのスティーブンの心情を、彼は心から慕っているのだ。
――たしかに、あれだけの類まれな知略を持つボーモント兄弟を手放すのは、王としても惜しいだろう。
スティーブンの後ろを歩きながら彼とは対照的なヘンリー王の逆算理論の策略に思いを馳せる。
――もしかしたら、ヘンリー王は、スティーブンのこの性格を分かったうえ、ロバートを説得することも計算にいれていたのかもしれない。
便宜上スティーブンに説得されたとするならば、丸く収まることのほうが多い。
「恐ろしいことだな」
考えに没頭しすぎて口に出てしまった言葉に、スティーブンが振り返ると、ウィルの顔を心配そうに覗き込んできた。
「大丈夫だよ。ウィル。ロバートは少し見た目が怖いところもあるが、話せばわかる奴だよ」
「いやいや、メシール・スティーブン。俺、以前会ったことあるんですけど、少し、とは優しすぎますよ。あの方、めっちゃ怖いじゃないですか」
以前、ウィンザーの書庫に通い詰めていた頃、ロバートが書庫を訪れてきたことがあった。
書庫守のジジイと当時話していた内容はわからなかったが、薄っすらと記憶に残っているのは、難しい話のなかで、ロバートが羊皮紙を読み解く姿だった。
「リーディング・ストーン(読書石)片手に、すっごい怖い顔で睨まれましたよ。それでその後、ローマ教皇カリストゥス2世の使節団と大人顔負けの高度な哲学や論理学の議論を披露したとかいう話聞いて、余計に恐れ多いというか……。」
「会ったことあるか。ならば話も早いな。ロバートはかなり目が悪いらしいんだよ。だから見えないから、なんというか、眼光が鋭くなるというか。彼が使うリーディング・ストーン*¹も、ローマ教皇の使節団での功績を評価されて、ヘンリー様から褒美として下賜されたかなり貴重な物らしい。何でもデイビット殿に北の世界の果てから届けてもらったという話だ」
「メシール・スティーブン……余計に会うの怖くなるから辞めてくださいよ……」
「はっはっは。類まれな秀才と仲良くなれる機会だと思えよ」
スティーブンはどんよりとした顔のウィルの前で破顔しながら、大きな声で笑うと、城門で、門兵から手綱を受け取る。
ウィルが乗馬する頃には、もうすでに数十名の騎士たちが控えており、先程ルノー達が出陣してから、2時間足らずで再びウィンザーの門扉が開く。
不穏な空気を感じ取っているかのように、街道は静かで冷たい風がウィルの髪を揺らす。
――ルノーたちは、上手くやっただろうか。
ルノーの緊張した顔を思い出すと、少し心配になる。
――突然の初陣で、あの図太い神経のハリーすら、緊張していたくらいだ。
震える手で突き出す剣の重さは、ウィルも半年前に経験した。
思い出すと、ざわざわと心になんとも言えない気持ちが黒ぐろと広がるような感覚になるが、おそらくは誰もが通る道だ。
――そして、自分もこれから誰かと剣を交えるかもしれない。
背筋をのばしながら少し小高い丘にたどり着いた時、先頭の騎士が小さな声で囁いた。
「スティーブン様! 明かりが」
少し前で馬を歩かせていたスティーブンが頷くと、さっそうと前方へと進んでいく。
ピリリとした空気が漂う中、しばらく進むと、ウィルの視界にも松明の明かりがいくつか見え始めた。
おそらくこの見晴らしの良い丘の上で揺れるスティーブンたちの持つ松明の炎を相手にも確認できるはずだ。
ゆらゆらと揺れる松明が照らす旗は、ロバートの掲げる旗で間違いない。
ゆったりと速度を変えることなく進んで来る一団に、スティーブンが大きな声を張り上げて自分の身分を知らせる。
「私はブロワのスティーブンである。卿はロバート・ド・ボーモントか?」
「いかにも。自分はロバート・ド・ボーモントである」
一定の距離をおいて双方が立ち止まり、その場に緊張が走る。
「このような夜更けに、少数とは言え、軍勢を連れてのウィンザー近郊へ。いったいなんの御用ですかな? まさか兄ウォルラン・ボーモント同様、謀反というわけはあるまいな?」
スティーブンのよく通る声が響く丘の上は、いつの間にかスティーブン配下の騎士たちが掲げる松明で、闇が消えている。
炎に照らされて映し出されるロバートの顔は、以前の書庫で見た、書類に顔を近づけてウィスビー・レンズを背中を丸めて覗いていたと思えば、眠たそうな目を細め契約を睨みつける官僚的な表情とは違っていた。馬上での彼は、鋭い目つきは同じだが、背筋がすっと伸び、少し痩せ型ではあるが身長は高く独特の風格を漂わせ、妙な威圧であふれていた。
「一度は兄に挙兵を促されましたが、形式ばかりと、このまま帰るつもりでした。もしスティーブン殿に信じていただけるなら、このまま援軍として、兄ウォルランの軍勢とも対峙する腹構えはあります」
「卿と兄ウォルラン殿の仲の良さは知っている。それでも尚且つ、対峙すると?」
スティーブンは問い詰めるわけではなく、ただ穏やかに、けれども嘘偽りは許さぬという事を言外に漂わせていた。
「はい。兄にすでに勝ち目はありません。上げた拳を下ろせずにいるのも明白。兄を諌めるのも、兄弟の務めかと」
「はっはっは。確かに腹は座っているな。では、我らの城にご案内しよう」
スティーブンは、大きな口を開いて笑いながら、くるりとロバートに背を向けると、来た道をゆったりと戻り始める。
ウィルは剣に手をかけ、ロバートの手が腰元の剣に手を伸ばそうものなら、一刀両断にしてやろうと睨みつけていると、ロバートが両手を上に上げた。
「そう怖い顔するな。君は、確かウィンザー書庫に通い詰めていたアーサー王大好き少年のウィリアム・ドービニ君だったかな? スティーブン殿に仕えるとは、ずいぶんと成長したものだ。君の仕える主は、まるでアーサー王のように、真っ直ぐな理想的な御方だ。心配しなくても、あれだけの貫禄を見せられたら、私も騎士として、彼の背中に打ち下ろす事なんて出来んよ」
ロバートの真っ直ぐな表情にウィルが少し警戒を解いたところで、スティーブンの指示が飛んできた。
「ウィル! ルノー様達に、こちらは大丈夫だと、伝えに行ってくれ! おそらくボールドウィン長官もすでにフォレストに到着している頃だろう。そちらにも伝えてくれ」
ロバートがスティーブンの言葉を聞いて、少し驚いた顔をして「デボンのボールドウィン長官か……」と呟いているのをウィルは見逃さなかった。
――驚いているな。ウォルランの軍勢がドーセットを拠点にしている情報も流れ、ボールドウィン長官を動かして、挟み撃ちする戦術が動いていたとは想定していなかったのかな。ヘンリー様の怪物の如き先見には、さすがのロバートも舌を巻くか。
ウィルはニヤニヤとしながら、大きく息を吸い込んだ。
「メシール・スティーブン! シ・フレ・ジュ!(必ずや)」
叫ぶと同時に馬に拍車をかけ、夜の闇の中を赤く燃えるフォレストを目指した。
*¹ヴィスビー・レンズ:スウェーデンのゴットランド島(ヴァイキング時代の遺跡)で発見された水晶のレンズ。10〜11世紀頃の高品質な加工技術で、一部のレンズは美しい銀の細工が施され、ペンダントなどの装飾品としても愛用されていた。
名前変更ワレラン→ウォルラン(2026.10.09.) ボーモント→・ド・ボーモント(2026.10.20.)
文章一部変更(2026.11.04.)




