12話 雪降る書庫の出会い 2
ひんやりと足元から感じる冷えと、パン!!という大きな爆ぜる音に意識が覚醒させられる。
目の前に広げられた本と、羊皮紙の乗ったテーブルの向こうで、再び暖炉で燃える薪がバチン!!と高い音を響かせる。
「……まだ見ぬ追憶の白鳥乙女……」
ウィルはボソリとつぶやく。
インクの匂いの先の、雨に濡れたあの石の匂いはかき消されたが、色褪せず今なお残る、小さな世界で走り回って探したあの港での思い出。
結局見つけることはできなかった「プロテア」だったが、その代わりに、かけがえのない友、そして守るべきものを見つけたあの日。
「お。なんじゃ、小僧。妄想タイムは終わりか?」
ぼんやりとしていたところに、しゃがれた図書ジジイの声が響く。
「!! 妄想なんてしてねぇし!」
ニヤニヤとした顔の図書ジジイを睨めつけながら、ウィルはガタンと、大きな音を立てて立ち上がり、冷気をまとった扉のノブを掴んだ。
「がっはっはぁ! 照れんでも良い。健全健全。何年も『まだ見ぬ追憶の白鳥乙女プロテア様』と、あんだけ騒いでおったのだ。そりゃ興奮もするじゃろうて。」
「だから!! ちげぇって! このクソジジイ!」
「走ると滑るぞ、雪じゃからな。」
「うっせぇ!!」
ウィルはそう言い残すと、書庫から飛び出し、目の前の螺旋階段を駆け上がる。
1つ目の踊り場の中央にある重く軋む扉を開けると、数センチほど雪の降り積もる外回廊へと出た。
城も、中庭も、雪に覆われ、外壁の外に続く黒い森の木々にも白い雪がこんもりと帽子のような雪を乗せている。
その白く染まる世界に舞う小雪が、赤く火照った顔の鼻先に落ちてスッと溶けた。
ウィルは立ち止まると空を見上げ、ほうっと息を吐く。
白い煙がほわりと綿毛の様に空に上がった。
なんとなしに、それを何度か繰り返し、ため息と一緒に最大の綿毛を作り出して、回廊の前方に視線を戻すと、 その先に一人の女性の姿がある。
——回廊の先には客間があるはずだ。
雪がすべての音を包みこみ、世界が静まり返るなか、ウィルの心臓は、ドクッドクッと激しく打ち、耳鳴りが頭に響く。
白銀の世界に舞い降りたようなその姿に、ウィルは息を飲むと体が硬直していくのを感じた。
それなのに体中の血液が沸き立ち始め、脳みそまで脈打ち、頭はその音に支配され思考は飛ぶ。
うつむき加減に、足元に視線を落とし、白い雪を踏みしめながら歩む姿はまるで湿地に住まう美しい白鳥の様で、薄い茶色の髪と水色のドレスが揺らぐと、周囲で雪がふわりふわりとまるで踊る様に舞い上がる。
長い外套に取り付けられた首元の白い毛皮を白く細い指で口元にたぐりよせ、愛らしいさくらんぼのような唇から白い息がこぼれる。
——まさか、まだ見ぬ追憶の白鳥乙女……プロテア様?
ウィルがそう思った瞬間、その女性がこちらに気がついて、視線が合う。
少し離れた距離ではあったが、その瞳に吸い込まれてしまう感覚に陥ったウィルは、雷に打たれたような衝撃に、なすすべもなく、ただ呆然と彼女に目を奪われ棒立ちになった。
そんなウィルの様子に少し首をかしげながら、彼女がなにか口にしようとした瞬間。
彼女の後ろから侍女らしき者が現れ声を上げた。
「プロテア様!」
侍女はふわりとフードをプロテアの頭に被せると、キリリとした表情でこちらを牽制すると、プロテアの肩を抱いてくるりとこちらに背中を向かせる。
「勝手に御ひとりで外に出ないでくださいまし! 寒うございますから。さぁ、中へ。」
グイグイと押す侍女に少し抗うプロテアは、被せられたフードを頭から外すと、少しすねたような顔が再び顔を出した。
「はぁ……。分かっているわよ。ちょっとだけ雪の様子がみたかっただけだわ。」
そんなプロテアのフードを侍女は再び被せる。
「わたくしめに言っていただければ、外の様子くらい見てまいります。」
フードに隠され、プロテアの表情は見えなくなってしまっ
たが、不満そうな声が雪の中に響く。
「自分の目で見たかったの。ね? もう少しいいでしょ? 」
そういうプロテアに、侍女は声色を変えながら回廊から見える雪を被った深い森に目をやると、大げさに震えて見せた。
「ここウィンザーは、このような雪の日、夜に決まって激しくなるそうです。木々が雪に閉ざされた夜、森から『角の狩人』が鎖を鳴らして這い出てくるのだとか……。彼の姿を見た者は、契約を求められ魂を冬の嵐に連れ去られてしまう……。」
「そう。それ、それで……」
「姫様! とにかく、お部屋に戻りましょう。」
侍女はプロテアの言葉を遮ると、ちらりと棒立ちのウィルを一瞥し、再びプロテアの肩を押して、帰るよう促す。
侍女に押されながらプロテアは、眩しいほど白い雪の下に、濃く、深い影を作る森に、名残惜しそうな視線を投げると客間へと戻ってゆく。
ウィルは、ただただ、言葉を失い、扉にプロテアの姿が消えるまで、その場に立ち尽くしている。
パタリ、と扉が閉まる音が響いて、わずかほど経ってから、ウィルは胸を押さえながら唸り声をあげる。
——い、息が出来ない! 何だこの心臓は!!
鼓動が激しく、息も絶え絶えで、手まで震えている。
ずっと、『まだ見ぬ追憶の白鳥乙女』と、呼んでいた、3年前のバルフルールでは会えなかった乙女。
主であるスティーブンや、従騎士仲間達に、恋の話をされるたびに、半ば面白半分にトルバドール(吟遊詩人)などが歌う詩の真似事で口にしていただけだった。
そして、そんなふうにして、ぐるぐると思考の回る頭に最終的に浮かぶのは先程のプロテアの顔だ。
少し驚いた顔で、大きな瞳を丸くした愛らしい様子は、なんと表現したらいいのだろう。
スティーブンに教えてもらった一文が思い浮かぶ。
私たちの愛は、サンザシの枝のよう。
夜の間、凍てつく雨と氷のなかで激しく震えているが、
翌朝になれば太陽が広がり、緑の葉と枝を輝かせるのだ
戸惑いつつも、その詩に自分たちを重ねてみる。
雪の降る冷たい回廊での出会いから、温かな緑の輝く中庭でプロテアと語り合う自分。
——ああああ。待って待って! マジで!!
沸騰するかのように燃え上がる顔。
追いつかない鼓動が体からはみ出して走り出しそうな感覚に陥る。
頭から湯気が出そうなほど熱い体を冷やそうと、ウィルは回廊の中庭側の低い塀に降り積もる雪の中に、顔を突っ込む。
ジュウ!っと音が出そうな勢いで、雪が水に変わり、ウィルの顔を濡らすが、一向に冷める気がしない。
理由のわからない状態に戸惑いつつも、反芻するように言葉が口からこぼれ落ちた。
「……アルベスピ(albespi)」
「なんだそれ。飯の呪文か?」
突然の声に驚いて顔を上げると、目の前の中庭から2階の外回廊を見上げるユードの姿があった。
首をかしげるユードの体からは、もうもうと蒸気が出ている。
「ユード! お前! いつからここに? ってか、いつから見てたんだ?」
「? 小一時間はここで鍛錬していたが、お前見つけたのは、ちょっと前からだ。お前がなんか一人で踊ってんなって思ったら、頭打ちつけたりしてるから、大丈夫だろうかと、見てた。大丈夫そうだな。」
ユードはそう言うと、ニコリと笑い、肩に担いでいた練習用の木の剣ワスターを目の前に下ろし、凄まじい勢いで振り始めた。
いつもの侍女の服ではなく、鍛錬の時の格好をしたユードは、長い髪を後ろに束ね、白いシャツに黒いパンツにブーツと、軽装だ。
しかし、白いシャツには泥が飛び散って汚れている。
それもそのはず、雪の積もった白い中庭は、ユードの周りだけ雪が溶けて、黒い土が露出して掘り返されぬかるんでいる。
それをものともせず、顔に泥が飛び散ろうが一心不乱に稽古をする姿は、昔と変わらない。
見られていたのは恥ずかしいが、プロテア様を見られなかった事に、なぜか安堵しながら、ウィルはユードに向かって叫ぶ。
「アルベスピは、スティーブン様に教わった、南の国の古い言葉だ! サンザシの枝のことだ! おい、聞いているか! ユード!」
ユードはウィルの声に反応することなく、一心に剣を振るっている。




