第7話 拾い物
周囲は騒がしかった。
一団にとって、ようやく取れた休憩だった。
だが、油断はできない。
血と土の匂いが濃い。
戦の最中にだけある、落ち着きのない空気だった。
兵たちが動き回る中、率いる男は歩きながら報告を受けていた。
「報告します」
少し緊張した声。
「倒れていた男ですが……あれは炎鬼ガルドです」
周囲の兵が、わずかにざわめく。
その名はよく知られていた。
しかし報告を受けた男は、初めて聞いたように眉を寄せる。
「ドゥルガン軍でも名の通った男です。
炎の魔法を使う剣士で、腕も立つ」
兵は言葉を選ぶように、一拍置いた。
「……ただ、素行は最悪だったと聞いています」
殺しすぎる。
従わない。
金に汚い。
制御が効かない。
そういう評判だ。
別の兵が口を挟む。
「正面からやり合えば、並の兵では相手になりません」
「子どもに倒されるような相手ではない、というのが正直なところです」
率いる男は、まだ何も言わない。
報告は続く。
「現場を確認しました。
魔法の痕跡は、ガルドのものだけです」
焦げ跡。
焼けた土。
空気に残る、熱の名残。
「他の者が魔法を使った形跡は、確認できませんでした」
疑念が、はっきりと形になる。
「……あの年齢で、あの相手を倒せるとは考えにくいかと」
それは、この場にいる者たち全員の共通認識だった。
男は突然笑った。
腹の底から響くような、遠慮のない笑いだった。
周囲の兵が思わず顔を見合わせる。
「もし本当にあのガキに倒されていたのだとしたらだ」
男は笑いを残したまま言った。
「炎鬼なんて、たいそうな名前を付けるべきじゃないな」
肩をすくめる。
「聞いて呆れる」
笑いはすぐに収まった。
切り替えが早い。
男の視線が、崩れた倉庫の方へ向く。
「だが」
口の端が、わずかに上がった。
「少し面白い」
興味を失ったようでもあり、
逆に別の興味に移ったようでもあった。
男は顎で指示する。
「そのガキを呼んでこい」
短い命令。
「はっ!」
兵が一人、即座に返事をして動いた。
ほどなくしてアルは連れてこられた。
腕を捕まえられているわけではない。
だが、行かないと言う選択肢など許されないといった圧迫感だ。
男の前に立たされる。
男はアルを上から下まで眺めた。
値踏みするようでもあり、どこか楽しそうでもあった。
「ほう……」
短く息を漏らす。
それから、名乗った。
周囲の兵たちが、わずかに姿勢を正す。
「ヴァルディオス・レオニスだ」
堂々とした声だった。
誇りも、野心も、隠そうとしない。
その名を聞いて、アルの頭に浮かんだ感想は一つだけだった。
――長い名前だな。
それだけだった。
ヴァルディオスが名乗ると、周囲がしんと静まり返った。
その沈黙を、怒号が切り裂いた。
「――不敬だぞ!」
「辺境伯閣下の御前だ、頭を下げろ!」
「下げぬなら――斬るぞ!」
声が四方から叩きつけられる。
一人の声ではない。
複数の兵が、示し合わせたように叫んでいた。
怒号は、理屈ではなく圧だった。
正しさを問い詰める声ではない。
従え、と命じる声だ。
アルは思わず肩をすくめた。
何が起きているのか分からない。
だが、自分が何か致命的な間違いを犯しているらしいことだけは肌で感じ取れた。
そのときだった。
一歩、前に出る影があった。
年嵩の男だった。
鎧はよく手入れされ、装飾も多い。
声を荒げることなく、だが確かな重みを伴って口を開く。
「……静まれ」
低い声だった。
怒号を上書きするでもなく、ただ上から蓋をするように落ちた。
次第に叫びが収まっていく。
年嵩の男は、アルをまっすぐに見据えた。
「頭を下げなさい」
命令だが、怒りはない。
当然の作法を告げる調子だった。
「こちらにおられるお方は――」
一拍、間を置く。
「ここら一帯を治める、ヴァルディオス・レオニス辺境伯閣下であられます」
その名が告げられた瞬間、周囲の兵たちの空気がさらに引き締まった。
アルは遅れて理解した。
――領主。
頭を下げるべき存在。
そういうものなのだと、遅れて分かった。
アルはぎこちなく首を垂れようとした。
そのとき。
「――いい」
短い声。
ヴァルディオスが、軽く手を上げていた。
その動きだけで、年嵩の男も周囲の兵たちも動きを止める。
「やめておけ」
静かな声だった。
だが、逆らう余地はない。
ヴァルディオスは、アルを見たまま言った。
「民にとって誰が領主かなど――どうでもいい」
その言葉に、周囲の空気が一瞬凍りついた。
「そうだろ?」
にやりとした表情で、ヴァルディオスはアルに問いかけた。
「さて」
視線を外さずに、続ける。
「お前の名は?」
問いは軽い。
だが、逃げ場はないような威圧感があった。
「……アルです」
短く答える。
ヴァルディオスはわずかに目を細めた。
「短いな」
それだけ言って、肩をすくめる。
「では――俺はヴァルでいい」
即断だった。
貴族としての名でも、家名でもない。
まるで友人のあだ名を決めるような軽さ。
「閣下!」
鋭い声が割り込む。
年嵩の兵だった。
先ほどまでとは違い、明確な焦りが滲んでいる。
「おやめください!
そのような――」
「いいから」
ヴァルは、振り返りもせずに言った。
「しかし!」
「黙れ」
声を荒げない。
しかし、それだけで言葉は止まった。
「さて」
再び前を向く。
「そろそろ出発しよう」
それは、決定事項を告げる調子だった。
「アル」
名を呼ばれる。
「案内しろ」
命令だった。
確認ではない。
アルは返事をしなかった。
返事をするよりも、事態の整理がまだ追いついていない。
「閣下!」
年嵩の兵が、またもはっきりと前に出た。
「やはり反対です」
言葉は丁寧だが、声は強い。
「森には魔物がおります。
加えて、地形も複雑」
一つずつ、積み上げるように告げる。
「この人数では統率が崩れます。
万一、分断されれば――」
「他の道は使えん」
ヴァルが被せた。
年嵩の兵の言葉を、途中で断ち切る。
「もう罠が張り巡らされているだろう」
即答だった。
迷いはない。
「それに、こっちの方が近い」
指で森の方角を示す。
「時間をかければ、敵に追いつかれるだけだ」
合理的な判断。
だが、あまりにも踏み切りが早い。
「しかし!」
年嵩の兵は引かない。
「魔物の存在は無視できません!
それに、この少年に全てを任せるなど――」
「――急報! 急報!」
張り上げられた声が、空気を切り裂いた。
兵が一人、駆け込んでくる。
息が乱れ、鎧が鳴る。
「何事だ!」
複数の声が重なる。
兵は片膝をつき、即座に報告した。
「近くに――ドゥルガン軍本隊が接近しています!」
一瞬、ざわめきが走る。
「数は――」
「どれくらいだ!」
「詳細は不明!
ですが、このまま留まれば――」
兵は、はっきりと言った。
「接敵します!」
空気が一段重くなる。
移動か、迎撃か。
判断を誤れば壊滅だ。
年嵩の兵が、即座に口を開こうとした。
だが、その前に――
ヴァルが笑った。
にやり、と。
先ほどと同じ、愉快そうな笑み。
「……決まったな」
誰に言うでもなく、呟くような声。
「森へ出る。すぐにだ」
即断だった。
迷いはない。
他の選択肢など、初めからなかったかのように。
「アル!」
名を呼ばれる。
「先頭に行け」
命令だった。
拒否も、準備も、考慮されていない。
ヴァルはアルの身体を一瞥する。
「……馬は」
一瞬だけ考え、すぐに結論を出した。
「――乗れないな」
足元も、顔色も、呼吸も見ていた。
それでも置いていくという選択肢はないらしい。
「誰か乗せてやれ」
その一言で、場が一気に動き出した。
兵たちが慌ただしく走り出す。
武器を整え、隊列を組み直す。
怒号と指示が飛び交う。
静止していた時間が、嘘のようだった。
アルは、その中心に立たされていた。
何が起きているのか、完全には分からない。
だが――
もう留まる場所はない。
流れは前にしか進まなかった。




