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誰が焔を終わらせたか  作者: 桐谷 灯


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第9話 焚き火

 静かな夜だった。


 森の中に、小さな火が灯っている。

 焚き木が爆ぜる音だけが、一定の間隔で揺れていた。


 一団は野営に入っていた。


 兵たちは思い思いの場所で腰を下ろしている。

 誰もが疲れていた。


 鎧の継ぎ目を拭う者。

 破れた外套を確かめる者。

 乾いた血を、無言でこすり落とす者。


 火の近くでは、数人が簡単な手当を受けていた。

 包帯は足りず、裂いた布が腕や太腿に巻かれている。

 顔をしかめて呻く者もいれば、歯を食いしばって黙っている者もいる。


 話し声は低い。

 冗談を言う者はいない。


 アルは焚き火の前に座っていた。


 膝を抱えるでもなく、背を丸めるでもない。

 ただ地面に腰を下ろし、ぼんやりと火を見ている。


 炎は揺れている。


 どこか非現実的で、夢の中にいるような気がした。


 暖かさは、分かる。

 近づけば熱いことも、知っている。


 それでも、どこか遠かった。


 誰かに名前を呼ばれたような気がして、顔を上げる。

 だが、こちらを見ている者はいない。


 再び火を見る。


 森は静かだった。


 焚き火の向こうで、誰かが腰を下ろした。


 アルは顔を上げなかった。

 影が視界の端で揺れただけだった。


「お前の知識のおかげで、かなり助かった」


 軽い口調だ。


 アルは少し遅れて顔を上げる。


 焚き火を挟んだ正面に、ヴァルが座っていた。

 鎧は着たまま、兜だけを外している。

 火の明かりが、その顔を下から照らしていた。


「もちろん、全員無事でとはいかなかったがな」


 そう言って、ヴァルは肩をすくめる。


「それでも犠牲はずいぶん減らせた。

 あれだけで済んだのは上出来だ」


 アルは何も言わなかった。


 火を見ている。

 視線は炎に向いているが、焦点が合っているかは分からない。


 ヴァルは気にした様子もなく話を続けた。


「狼の群れに襲われた時は、正直どうなるかと思った」


 軽い調子だった。

 命の危機の話をしているとは思えないほどだ。


「数も多かったし、木の影に隠れられて、なかなか厄介だった」


 アルは小さく瞬きをしただけだった。


 ヴァルはそれを横目で見て、わずかに口角を上げる。


「お前は使える」


 火が小さく爆ぜる。


「案内が終わった後も、俺のところに来い」


 アルはようやく口を開いた。


「……考えておきます」


 声は低く、抑揚がない。


 ヴァルは、少しだけ黙った。


 それから、不思議なものを見るような目でアルを見る。


「あまり待たんぞ」


 短い一言だった。


 ヴァルはそれ以上何も言わなかった。


 焚き火から視線を外し、立ち上がる。

 鎧が小さく鳴った。


「……休む」


 それだけ告げると、背を向けた。

 少し離れた場所に張られた天幕へと歩いていく。


 振り返らない。

 歩幅も乱れない。


 機嫌を損ねたようにも見えた。

 だが、本当にそうなのかは分からない。


 アルはその背中を見送った。


 ――怒らせてしまっただろうか。


 そう思ったが、胸は動かなかった。

 心配とも、後悔とも違う。

 ただ、そういう可能性を思い浮かべただけだ。


 他人事のようだった。


 焚き火に視線を戻す。

 炎は、さきほどよりも少し小さくなっている。


 薪が、ぱち、と小さく爆ぜた。


 そのとき、足音がした。


 ゆっくりとした重い歩み。


「……気にするな」


 低く、落ち着いた声だった。


 顔を上げると、ガウェインが立っていた。

 先ほどまでとは違い、兜は外している。


「閣下はああいう方だ」


 責めるでも、庇うでもない。

 事実を述べる調子だった。


 ガウェインは焚き火のそばに腰を下ろした。


 距離は近すぎず、遠すぎない。


「やりたいことはないのか?」


 問いは静かだった。

 探るようでも、急かすようでもない。


 アルはすぐに答えなかった。


 焚き火を見つめたまま、少し間を置く。


「……わかりません」


 それが正直な答えだった。


 ガウェインは頷いた。


「なら、森を抜けた後は領都までついて来るといい。

 閣下も、そこへ向かわれる」


 押しつける調子ではない。

 提案だった。


「領都には、人も物も集まる。

 お前の知らないものも、選べる道もある」


 アルは黙っていた。


 返事を期待されていないことは分かっている。

 それでも、言葉が見つからない。


「きっと、やりたいことが見つかる」


 ガウェインはそう言った。


 断言ではない。

 だが、そう信じているような口ぶりだった。


 アルは少しだけ顔を上げた。


「……そうでしょうか」


 問いというより、確認だった。


 ガウェインは短く答える。


「きっとだ」


 迷いのない声だった。


 しばらく、火の音だけが続いた。


 アルがぽつりと口を開く。


「……狩りは苦手だったんです」


 声は低い。


「必要なことだとは分かっていました。

 でも、命を奪うのは……苦手でした」


 焚き火が静かに揺れる。


「今日、狼に向けて矢を放ちました」


 一拍。


「……何も、感じませんでした」


 ガウェインは何も言わない。


 遮らない。

 慰めの言葉もない。


 アルは続ける。


「何も、なくなってしまった。

 動く心も……なくなってしまったんです」


 それは告白ではなかった。

 確認だった。


 自分の中を、言葉でなぞっているだけだった。


 ガウェインは、しばらく黙っていた。


 焚き火の中で薪が崩れる。

 火の粉が短く宙を舞って、消えた。


「……それでも」


 低い声だった。


「まだ生きている」


 アルは何も返さない。


 否定も肯定もなかった。

 ただ、その言葉を受け取っただけだった。


 ガウェインはそれ以上言わなかった。

 視線を火から外し、夜の森へ向ける。


「もう休め」


 穏やかな口調だ。


「できるだけ早く森を抜けたい。明日は早い」


 それだけ告げると、ゆっくりと立ち上がった。


「……眠れなくても横になれ」


 背を向けて歩き出す。

 焚き火の光が、鎧の縁を一瞬だけ照らした。


 アルはその背中を見送った。


 やがて、周囲の気配も薄れていく。

 話し声は消え、動く影も減る。


 焚き火の前に、アルは一人残った。


 火はまだ燃えている。

 暖かさも確かにある。


 それでも。


 胸の奥は静まり返ったままだった。


 アルは横になり、目を閉じる。


 闇はすぐそこにある。

 だが、眠りは来ない。


 ただ、夜が深まっていくだけだった。

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