第24話 離婚はなくならなかった
紘子のスマホへ、短い返事が届いた。
早苗から読める向きではなかったが、彼女は画面を見て、確認できました、と小さく言った。
明日の連絡について、元夫へ送った文への返事だった。
どこへ何を返すかが、今回は、はっきりしていた。
「離婚した日付は、同じでした」
紘子は画面を伏せて言った。
七番機の音は止まり、服を取り出す前に、二人で受付へ座り直していた。
早苗は彼女の言葉を聞き、控え帳へ目を戻す。
利用前の状況には、行き違いがあり、同じ確認を重ねることがある、と記してある。
早苗の記憶の中で、紘子は親同士で連絡する場所を決め、子どもへ確認の役を回さないようにしていた。
ここに書いた自分は、別の状況を聞いている。
「日付を、自分でも先に見たくなって。あの一言を送ったら、別れなかった自分になるかもしれないと、少し、身構えてたんですね」
紘子は両手を机へ置いた。
「でも、別れました。そう決めたことも、覚えています」
早苗は、残念でしたかとは尋ねなかった。
机の端に寄せたコップから、彼女が水を一口飲む。
「寂しいと言ったとき、相手は、そんなふうに思ってたのかと、聞きました。最初は、自分もいろいろしてたって、話になりました」
紘子も、してくれなかったと言いたいわけではないと返した。
それでも、暮らす中で、自分の気持ちが用件の後へ回る時間が長かった。
元夫からも、気持ちを話すことを避けていたという言葉が出た。
一度の会話で、お互いを完全に理解できたわけではなかった。
「私も、相手が黙ってたことを、全部、分かったふりはできなかったです。聞いて初めて、そうだったのかって思う所があって」
紘子は少し考えた。
「でも、それを聞いて、じゃあ同じ家でやり直そう、とは、二人ともならなかった」
離婚する話が、言わなかった方の記憶にもあった。
言った方では、気持ちの話をした後で、この先、どこまで一緒に決める必要があるかを、時間を取って話したという。
暮らす家は分ける。
子どもの予定は、親同士で確認する。
学校などから来た連絡を、どちらかが読んだはずだと思い込まない。
相手へ伝えたときには、確認した返事まで確かめる。
「親として話すことと、夫婦として暮らすことを、分けて考えました。前の方では、別れたい話をするだけで、へとへとになってたので」
早苗は、紘子の家のことを、決まりの手順のように聞かないようにした。
「新しい方でも、連絡が遅れることはあります。私が忘れる日もあるし。だから、その都度、戻す場所を決めてます」
完璧な二人へ変わったわけではなかった。
ただ、行き違いを全部、子ども経由で埋めようとはしない記憶が増えた。
子どもの好きな色も、行きたい所も、それぞれの時期に本人が選んでいた。
「前の方でも、子どもが悪かったことは、ないんです。私たちが、間に入ってもらってしまった所があっただけで」
紘子ははっきり言った。
早苗はうなずき、結果の申告を短く書いた。
離婚は同じ。離婚前に気持ちを話し、子どもの生活と連絡の仕方を、落ち着いて決めた経緯がある。
現在も、確認をしながら行事を分担している。
「ここまで、残してよろしいですか」
紘子は読んで、はい、と答えた。
学校名も、子どもの予定の細かな中身も、帳面へは書かなかった。
ワンピースを取り出すと、内側の脇に、白い文字があった。
『あなたと暮らすと、私はずっと寂しい』
紘子は自分で読み、表へ返した。
紺色の布の形は、変わっていない。
「また、着ます。卒業式のためだけでなくて」
彼女は袋へ入れながら言った。
「白い字のことを、毎回考えなくなる日も、あるのかもしれませんね。それは、忘れてしまうのとは違う気がします」
早苗は返事を探し、急いで作るのをやめた。
紘子はもう答えを求めていなかった。
自分の服を畳み、持って帰る準備をしている。
帰る前、紘子は明日、子どもが友達と出かける予定だと話した。
親が送り迎えをする範囲を、元夫と確認できた。
それが終われば、自分は、読みかけの本の続きを読むつもりだという。
早苗はガラス戸を開け、彼女を送った。
服を一着返して、夜の仕事が終わった。
翌週、健太が作業用のズボンを持ってきた。
ポケットの端が擦れている。中へ物を入れる前に、小さい傷みを直したいという依頼だった。
早苗は状態を見て、受取日を尋ねた。
「来週の、この日なら。仕事の予定が出てるので、そこは、動かないと思います」
健太が手帳を示す。
春の面接の後、彼は条件を確認し、合わなかった応募先へは進まなかった。
その後、別の仕事を始めていた。
早苗が知っているのは、彼が普通に服を預けるようになってから話した、いまの暮らしだった。
「慣れましたか」
「まだ、全部は。聞き忘れることもあります。でも、分からないまま、大丈夫ですって言う前に、一回止まれることは増えました」
今日は、七番機の前へ行かなかった。
紺色のスーツも、持ってきていない。
健太は料金の見通しと、仕上がりに使える布の色を確かめた。
少し見える所なので、元と近い方を選ぶ。
早苗は必要な範囲を記し、控えの紙を渡した。
「前の会社へ入らなかった方でも、仕事が終わることは、あるんですね。あのときは、そこ、ちょっとがっかりしました」
健太が笑った。
早苗は一度、手を止めた。
「そう、話してくださっていましたね。私は、帳面と、川原さんに教えて頂いた分でしか知りませんが」
健太はうなずいた。
「はい。だから、今の仕事が、あれの当たりの結果です、って話ではなくて。終わった後で、また探した分です」
彼は預かり票を鞄へしまった。
次に入れる物の場所を、自分で空けてから戻す。
客が帰ると、早苗は受取予定の並ぶ受付簿を開いた。
普通の紙に、現在の約束がいくつも残っている。
変わらないために特別な帳面へ入れる必要はない。
必要なときに確かめ、相手と話し直し、自分で書き足せばよかった。
夕方の終わりに、早苗は住居の棚を開けた。
淡い青のブラウスを、手前へ少し移す。
同じ家へ戻ることだけが、あの日の自分を救う形なのだろうか。
紘子が離婚した日付を確かめたときの声を思い出した。
落胆の声としては、聞かなかった。
早苗はまだ、自分の答えを決めたわけではなかった。
それでも、尚之へ会うために、先にこの服を七番機へ入れる必要はないと、少しだけ、具体的に思えた。




