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二

解約の翌週も、四号棟の三階には組合員がいた。


木曜の二時過ぎ、私は箱を抱えて、階段を上がった。臭いは、もうほとんど残っていなかった。特殊清掃の業者が入ったのだと、三階の奥さんが言った。それでも、二階の踊り場を過ぎたあたりで、私は息を浅くした。体が勝手にそうした。


三階で箱を渡して、空き箱を受け取った。


四階を見上げるつもりはなかった。階段の折り返しで、首が勝手に上を向いた。


四階の戸口に、箱が出ていた。


青い折りたたみのコンテナが、畳まれて、壁に立てかけてあった。七月のあいだ、毎週そうだったのと同じ場所に。同じ角度で。蓋の上に、注文書が一枚、挟まっていた。


私は、四階まで上がった。


ドアには、何も貼られていなかった。表札は外されていた。ドアの合わせ目に、白いテープの剥がれた跡があった。


注文書を、抜き取った。


組合員番号の欄に、高野さんの番号が書いてあった。品目の欄に、数字が並んでいた。7に、横棒が入っていた。


男性用肌着、L、一。

歯ブラシ、二。

茶碗、一。

箸、一膳。


いつもの注文ではなかった。豆腐も牛乳も、飴も無かった。


私はしばらく、そこに立っていた。ドアの向こうは、静かだった。チャイムには、触らなかった。


 *


センターに戻って、受注の山根さんに注文書を見せた。


山根さんは、組合員番号を端末に打ちこんで、首をかしげた。


「解約済みですね。先週、息子さんが」


「四階の戸口に、出てたんです。箱と一緒に」


「悪戯でしょ。息子さんか、親戚の誰かが片づけのついでに。それか、近所の子ども」


山根さんは、注文書を指先でつまんで、裏返した。裏は白かった。


「字、本人のですか」


「本人の字です」


言ってから、どうしてそう言い切れるのか、自分で分からなくなった。山根さんは私の顔を見て、少し黙った。それから、注文書をシュレッダーの口に入れた。細い音がして、紙が吸いこまれていった。


「坂口さん、休んだほうがいいですよ。お盆、取ってないでしょう」


私は、七月の第三木曜のことを、山根さんに言わなかった。言えば、どういう顔をされるか、分かっていた。


 *


次の木曜、私は四階を見上げなかった。


三階で空き箱を受け取って、階段を下りた。トラックの荷台に戻して、次の家へ回った。


順路の最後の家で、トラックの荷台に上がって、回収した空き箱を畳んでいたときだった。


三階の家の箱の底に、紙が一枚、貼りつくように残っていた。


注文書だった。組合員番号は、高野さんのものだった。男性用肌着、L、一。歯ブラシ、二。茶碗、一。箸、一膳。7に、横棒。


紙を剥がすと、その下から、黄色い包み紙の飴が一つ、転がり出た。はちみつの飴だった。


私は荷台の上で、しばらく、それを拾えなかった。三階の家は、飴を買わない。毎週、何を頼むか、私は全部覚えている。


センターに戻って、山根さんに注文書を渡した。飴のことは言わなかった。飴は、ポケットに入れたまま、捨てられなかった。


その次の週には、三枚になった。三階の家の箱と、団地の二軒先の家の箱と、順路の最後の家の箱から。どれも、私が回収した箱だった。同じ日に別の順路で回収された箱からは、一枚も出てこなかった。


山根さんは、それを所長に見せた。


 *


所長の村井さんは、事務所の奥の、間仕切りの向こうに私を呼んだ。机の上に、三枚の注文書が並べてあった。


「息子さんからね、本部に電話があったそうだ」


村井さんは、注文書を見ないで言った。


「担当は、毎週来ていて、何も気づかなかったのかって。協定のことも、調べたらしい。それで、これだろう」


村井さんは、注文書の端を、指で揃えた。


「坂口がやったとは、思ってない。でも、こういうのは、お前の回収分にだけ入ってる。息子さんの耳に入ったら、何を言われるか分からない」


しばらく、木曜は戸田に回ってもらう、と村井さんは言った。お前は、倉庫の仕分けに入ってくれ。少し休め。


私は、はい、と言った。


ほっとしていた。それが、自分でも分かった。もう、四号棟の階段を上がらなくていい。四階を見上げなくていい。ほっとして、それから、ひどく恥ずかしくなった。


次の木曜、戸田くんが、私の順路のトラックに乗って出ていった。出がけに、窓から顔を出して言った。


「四階、まだ箱出てたら、どうします?」


「拾って、山根さんに」


「了解っす」


戸田くんは、いつもの明るい声で言って、走っていった。


 *


その夜、マンションの郵便受けに、厚い封筒が入っていた。


生協のロゴが入った、組合員向けの封筒だった。宛名は、私の名前だった。私は生協の職員だが、組合員ではない。


部屋に入って、台所のテーブルで開けた。


中には、来月号のカタログと、注文書の束と、加入申込書の控えが入っていた。


控えの、加入者の欄に、坂口修、と書いてあった。住所の欄に、このマンションの住所と、部屋番号。電話番号の欄に、私の携帯の番号。7に、横棒が入っていた。


私の字ではなかった。


配達曜日の欄には、木曜、と書いてあった。


翌日、山根さんに、それとなく聞いた。新規の加入で、坂口という名前の申込みは来ていないか。山根さんは端末を叩いて、来てませんね、と言った。私の顔を見て、それ以上は何も聞かなかった。


控えの右下に、受付日の欄があった。


日付は、私が順路を外された日だった。

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