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外れ刻印の灰掃き、魔物の群れを刈るたび廃村が目を覚ます ~追放された少年は灰鐘を鳴らし、底なしの夜を今日で止める~  作者: 花守りつ


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005 弓持ちの少女

昨日得た力は、今日になれば当たり前の準備になる。黒杉の林でそれを忘れた者から、灰獣に飲まれる。俺はそういう谷で、捨てられた外れ刻印を抱えて立っていた。

 この日、俺たちの前にあった問題は腐肉鴉だった。相手は腐肉鴉。数は二百に近い。一つずつなら刃で足りるが、群れになれば息も足場も奪ってくる。

 ここまでに得たものは、最初の灰粒、灰鐘の火床、澄み水と腹の底の熱、一呼吸だけ早く踏み込む足。どれも小さな獲得だったが、小さな獲得が重なると村の動きが変わる。問題は、灰獣のほうもこちらの変化を嗅ぎつけることだった。

 誰かを助けると、守る場所の重さが増える。その感覚は、胸の真ん中に残ってなかなか消えなかった。

 黒杉の林で一番怖いのは、強い敵そのものではなく、昨日の勝ち方を今日も使えると決め込むことだった。灰の匂い、風の向き、足場の湿り、遠くで響く小さな音。そのどれか一つが変われば、同じ腐肉鴉でもまるで別の戦いになる。だから俺は、刃を抜く前に必ず周りを見た。

 アグは俺の少し後ろを歩いた。まだ信用しきってはいないらしく、近づきすぎず、離れすぎもしない。灰犬の仔は、俺より先に風の匂いを嗅ぎ、危ない方角へ小さく唸った。

 誰かに指示されることも、誰かを待つこともない戦いは、自由というより心細い。けれど、心細いからこそ、俺は足音や匂いや灰の流れを一つずつ拾うようになった。

 群れは、遠くから見ると一枚の布のようだった。灰色の布が地面を這い、ところどころに牙や角や羽が光る。近づけば、それが一匹ずつ違う飢えを持っていると分かる。

 腐肉鴉は、ただ突っ込んでくるだけではなかった。先に弱いところを探し、次に音でこちらを焦らせ、最後に数で押す。騎士団の教本には載っていない戦い方だが、この谷ではそれが普通だった。

 アグが吠え、腐肉鴉の先頭を横へ逸らした。小さな体で噛みつくのではなく、相手の目線を奪う。その一瞬で俺は踏み込み、牙がこちらへ戻る前に刃を走らせた。

 短剣を低く構え、先頭の腐肉鴉を足元から払う。倒した一匹が灰へ崩れる前に、次の影が肩へ飛び込んできた。俺は半歩だけ沈み、背中ではなく腰で回る。刃の先が円を描き、三つの喉をまとめて裂いた。

 恐怖が腹に来る。だが、恐怖を否定しても足は速くならない。俺はそれを息と一緒に飲み込み、次の一歩を選んだ。逃げる一歩ではなく、群れの中心を割る一歩だ。

 二百に近いという数は、口にすればただの言葉になる。けれど目の前で動くと、それは壁であり波であり、こちらの心を削る音になる。俺は数えすぎないことにした。一匹を倒し、次を倒し、倒れた灰が足元に道を作るのを待つ。

 アグの足跡が、灰の上に細い線を引いた。俺はその線を踏まないように走る。獣の鼻が選んだ場所は、たいてい沈まない。言葉は通じなくても、戦い方は少しずつ噛み合っていった。

 腐肉鴉は、木々の間に吊るされた少女を狙っていた。少女は片腕で枝にしがみつき、もう片方の手に折れた弓を握っている。足元には仲間だったらしい荷袋が散らばり、鴉の羽で黒くなっていた。

「動けるか」

「弓が折れてなければね」

 声は震えていたが、目はまだ諦めていない。俺はその目を見て、助けると決めた。決めたからには、群れの数を考える時間はない。

 俺が幹へ駆けると、鴉が一斉に降りた。羽音で耳が塞がる。少女は折れた弓を投げ、俺の目の前へ来た一羽の軌道を変えた。俺はそこへ刃を入れた。

 彼女の名はミナ。黒杉の森で狩りをしていたが、灰獣の流れが変わって仲間とはぐれたという。廃村へ戻る道で、彼女は俺の左手を見ても外れとは言わなかった。代わりに、「その印、灰がどっちへ行きたいか分かるんだね」と言った。

 鐘へ捧げる灰は、ただ多ければいいわけではなかった。焦って濁った灰を入れると、道は歪み、火は荒れ、水は苦くなる。倒した数より、どう倒し、どう拾い、誰のために使うか。その違いが、翌朝の村の姿に出る。だから俺は、腐肉鴉を斬るたび、刃の先だけではなく倒れたあとの灰の流れまで見ようとした。

 まだ村と呼ぶには足りない時期だった。やるべきことは派手な勝利ではなく、屋根の穴を塞ぎ、井戸の縁を固め、夜までに眠れる場所を一つでも増やすことだった。大きな力を得たように見える日でも、誰かが薪を濡らしたり、水袋を置き忘れたりすれば、夜には全部が危うくなる。小さな失敗がそのまま死につながる。だから俺たちは、獣の数だけでなく、靴紐の結び目や鍋の底の焦げまで気にするようになった。

 敵も変わった。腐肉鴉は、こちらが正面から斬れるようになると横へ回り、道を作ると道を壊し、灯を増やすと影を濃くした。昨日の成功は、今日の餌になる。俺はそれを悔しいと思ったが、同時に少しだけ安心もした。敵がこちらに合わせて変わるなら、こちらもまた変われるということだからだ。

 戦いの最中、弓持ちのミナがいなければ届かない場所が何度もあった。俺の刃は前へ進むが、背後の水袋までは運べない。だから、今あるものを過信せず、足りないものを数え続けるしかない。役割という言葉をまだ知らなくても、足りなさを知ることはできた。

 戦いの合間、俺はよく鐘楼の影で手を開いた。左手の刻印には、細かな灰が爪の間まで入り込む。洗っても完全には落ちない。昔なら、それが嫌だった。外れと呼ばれた印に、さらに灰が染みつくのが惨めだった。今は違う。この灰で見張り火と弓手の居場所が生まれ、誰かが水を飲み、誰かが夜を越す。汚れではなく、通ってきた道の色だと思えるようになった。

 俺たちは勝つたびに、次に負ける理由も見つけた。水が戻れば水を狙われる。炉が戻れば炉を奪われる。人が増えれば人を人質にされる。だから喜びはいつも半分だけ口にし、残り半分は準備へ回す。それがこの谷で長く生き残るための作法になっていった。

 その日のカナンには、黒杉の林から運ばれてきた匂いが残っていた。焦げた灰、濡れた土、金属の冷たさ、誰かの汗。美しい匂いではない。けれど、無人の廃村にあった乾いた静けさよりはずっとましだった。音も匂いも汚れもある場所は、誰かがそこで生きている証だ。

 不安は大きかったが、増えたものが少なすぎるからこそ、誰もそれを粗末に扱わなかった。俺はその空気を、何よりも大事にした。強い刃は折れることがある。高い柵も破られる。けれど、誰かが倒れたときに別の誰かが手を伸ばす習慣は、簡単には壊れない。灰鐘が本当に育てていたのは、俺の腕でも村の壁でもなく、その習慣だったのかもしれない。

 だから俺は、腐肉鴉を前にしても、最初のころのようにただ生き延びることだけを考えなくなった。生き延びたあと、何を残すか。誰が次に使える形へ変えるか。どの獲得を、どの弱い場所へ渡すか。そんなことを考えながら刃を握るようになったとき、外れ刻印という言葉は、少しずつ遠い場所の悪口になっていった。

 誰かが俺に礼を言うたび、俺はうまく返事ができなかった。礼を言われるほど立派なことをしているつもりはない。ただ、昨日拾った灰を今日のどこかへ置き、今日倒した腐肉鴉の灰を明日のどこかへ渡しているだけだ。それでも、礼を言う相手がいる村は、置き去りにされた谷底とは違った。

 この日を越えた先に、どんな大きな道があるのかは考えなかった。考えれば足が鈍る。俺たちに必要なのは、遠い栄光ではなく、今夜の灯が消えないこと、明日の朝に井戸へ並ぶ列があること、弓持ちのミナがまた自分の役割へ戻れることだった。そういう小さな条件を積み重ねた場所だけが、いつか大きなものに耐えられる。

 灰鐘へ見張り火と弓手の居場所を捧げると、鐘楼の石が内側から淡く光った。大きな奇跡ではない。だが、昨日なら諦めていた作業が今日ならできる。その差が、この村では命を分ける。

 鐘の音が収まると、村のどこかで必ず生活の音が増える。槌の音、鍋の音、子どもが走る音。戦いのあとにそれを聞けるから、俺は次の群れにも向き合えた。

 今回の獲得は見張り火と弓手の居場所だった。言葉にすると一つだが、その一つは何通りにも使える。折れた狩弓と結びつければ戦いの手になり、人の手と結びつければ暮らしの支えになる。

 俺は外れ刻印と呼ばれていた。魔法を撃てず、剣の紋もなく、癒やしの光も持たない。けれど外れとは、誰かの物差しからこぼれたというだけだ。こぼれたものを集める手が必要な場所もある。

 灰鐘は、願えば何でもくれる宝ではない。こちらが倒し、運び、選び、時には諦めたものを、別の形に組み直すだけだ。だからこそ、手に入れたものには重みがある。

 戦いが終わると、村人たちはすぐに動き始めた。倒れた者を運び、破れた布を縫い、拾える灰を清め、使える骨をより分ける。勝ったという言葉を口にする前に、次の夜へ備える。それがカナンの一日だった。

 ミナは俺の肩の傷に布を巻きながら、「無茶をするな」と言った。俺が返事をする前に、アグが濡れた鼻を押しつけてきた。痛みに顔をしかめた俺を見て、ミナが少しだけ笑った。

 ミナは廃村を見て、ここは捨てた場所ではなく待っていた場所だと言った。誰も大声で喜ばなかった。喜ぶには疲れすぎていたし、疲れを口にすれば膝が折れそうだった。それでも、広場へ戻る足は昨日より少しだけ強かった。

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