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外れ刻印の灰掃き、魔物の群れを刈るたび廃村が目を覚ます ~追放された少年は灰鐘を鳴らし、底なしの夜を今日で止める~  作者: 花守りつ


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004 刃は走りを覚える

南の畑跡の朝は、いつも灰の匂いから始まる。昨日までなかったものが一つ増えると、そのぶんだけ谷の奥も深く暗くなる。楽になったと思った瞬間、闇は別の入口を見つけてくるのだ。

 この日、俺たちの前にあった問題は骨兎の跳ね群れだった。相手は骨兎。数は四十六。一つずつなら刃で足りるが、群れになれば息も足場も奪ってくる。

 ここまでに得たものは、最初の灰粒、灰鐘の火床、澄み水と腹の底の熱。どれも小さな獲得だったが、小さな獲得が重なると村の動きが変わる。問題は、灰獣のほうもこちらの変化を嗅ぎつけることだった。

 速くなることは、逃げるためだけではないと初めて知った。その感覚は、胸の真ん中に残ってなかなか消えなかった。

 南の畑跡で一番怖いのは、強い敵そのものではなく、昨日の勝ち方を今日も使えると決め込むことだった。灰の匂い、風の向き、足場の湿り、遠くで響く小さな音。そのどれか一つが変われば、同じ骨兎の跳ね群れでもまるで別の戦いになる。だから俺は、刃を抜く前に必ず周りを見た。

 アグは俺の少し後ろを歩いた。まだ信用しきってはいないらしく、近づきすぎず、離れすぎもしない。灰犬の仔は、俺より先に風の匂いを嗅ぎ、危ない方角へ小さく唸った。

 誰かに指示されることも、誰かを待つこともない戦いは、自由というより心細い。けれど、心細いからこそ、俺は足音や匂いや灰の流れを一つずつ拾うようになった。

 最初に来たのは匂いだった。焦げた毛、濡れた鉄、古い土。次に音が来る。無数の爪が石を叩き、草を裂き、呼吸を一つのうねりにして押し寄せてくる。

 骨兎は、ただ突っ込んでくるだけではなかった。先に弱いところを探し、次に音でこちらを焦らせ、最後に数で押す。騎士団の教本には載っていない戦い方だが、この谷ではそれが普通だった。

 アグの足跡が、灰の上に細い線を引いた。俺はその線を踏まないように走る。獣の鼻が選んだ場所は、たいてい沈まない。言葉は通じなくても、戦い方は少しずつ噛み合っていった。

 アグが吠え、骨兎の先頭を横へ逸らした。小さな体で噛みつくのではなく、相手の目線を奪う。その一瞬で俺は踏み込み、牙がこちらへ戻る前に刃を走らせた。

 短剣を低く構え、先頭の骨兎を足元から払う。倒した一匹が灰へ崩れる前に、次の影が肩へ飛び込んできた。俺は半歩だけ沈み、背中ではなく腰で回る。刃の先が円を描き、三つの喉をまとめて裂いた。

 恐怖が腹に来る。だが、恐怖を否定しても足は速くならない。俺はそれを息と一緒に飲み込み、次の一歩を選んだ。逃げる一歩ではなく、群れの中心を割る一歩だ。

 四十六という数は、口にすればただの言葉になる。けれど目の前で動くと、それは壁であり波であり、こちらの心を削る音になる。俺は数えすぎないことにした。一匹を倒し、次を倒し、倒れた灰が足元に道を作るのを待つ。

 骨兎は兎の形をしているが、跳ねるたび骨の棘をばらまく。足を止めれば棘を踏み、追えば別の群れに囲まれる。俺は畑跡の畝を使い、奴らを細い列へ誘い込んだ。

 刃が最初の一匹を裂いた瞬間、足の裏に熱が走った。体が軽くなるのではない。次に置くべき足の場所が、灰の線で見える。ほんの一呼吸。それでも十分だった。

 俺はその線を踏み、二匹目の背後へ回り込む。三匹目が跳ぶ前に肩を沈め、四匹目の棘を五匹目へぶつけた。速さは力だが、力だけではない。相手の速さを曲げることでもある。

 畑跡に残った灰を均すと、土がわずかに固くなった。道と呼ぶには細い。だが、次に走るとき、俺は昨日より少し遠くへ行ける。

 一呼吸だけ早く踏み込む足をどう使うかで、村の一日は変わる。俺の体へ入れれば次の踏み込みが早くなり、灰を吸った短剣へ入れれば戦いの幅が広がり、広場へ撒けば子どもでも走れる足場になる。どれを選んでも正解に見え、どれを選んでも何かが足りない。だから俺たちは、勝ったあとにも必ず話し合った。戦いのあとに残る沈黙を、相談の声で少しずつ埋めた。

 まだ村と呼ぶには足りない時期だった。やるべきことは派手な勝利ではなく、屋根の穴を塞ぎ、井戸の縁を固め、夜までに眠れる場所を一つでも増やすことだった。大きな力を得たように見える日でも、誰かが薪を濡らしたり、水袋を置き忘れたりすれば、夜には全部が危うくなる。小さな失敗がそのまま死につながる。だから俺たちは、獣の数だけでなく、靴紐の結び目や鍋の底の焦げまで気にするようになった。

 骨兎の動きには、谷の悪意だけでなく学習のようなものがあった。柵を避け、弓手を狙い、井戸や炉を先に壊そうとする。こちらが村として戦い始めると、敵も村の弱いところを噛むようになった。つまり戦場は、俺の前方だけではなく、台所や井戸端や名札の棚にまで広がっていた。

 アグの役割も、その日から少し変わった。言葉を交わせる相手がいなくても、風の向きや足跡や獣の唸りは役割を持つ。俺はそれを拾い、自分の動きへ繋げた。一人で戦っているようで、谷の中には使える合図がいくつもあった。

 戦いの合間、俺はよく鐘楼の影で手を開いた。左手の刻印には、細かな灰が爪の間まで入り込む。洗っても完全には落ちない。昔なら、それが嫌だった。外れと呼ばれた印に、さらに灰が染みつくのが惨めだった。今は違う。この灰で一呼吸だけ早く踏み込む足が生まれ、誰かが水を飲み、誰かが夜を越す。汚れではなく、通ってきた道の色だと思えるようになった。

 一呼吸だけ早く踏み込む足を手にした喜びは、長くは続かない。すぐに、誰が管理するのか、どこへ置くのか、壊れたときどう直すのかという話になる。最初は面倒だと思った。けれど、面倒な相談ができる場所は生きている。死んだ村には、誰が鍵を持つかで言い合う声などない。

 夜の前には、必ず一度だけ広場が静かになる。鍋の湯気が細く上がり、灯籠の火が揺れ、子どもたちが眠る場所を取り合う。そこへ遠くの唸りが混じると、全員の手が止まる。恐怖が消えたわけではない。それでも、手はまた動き出す。カナンはそうやって、毎晩少しずつ廃村ではなくなっていった。

 不安は大きかったが、増えたものが少なすぎるからこそ、誰もそれを粗末に扱わなかった。俺はその空気を、何よりも大事にした。強い刃は折れることがある。高い柵も破られる。けれど、誰かが倒れたときに別の誰かが手を伸ばす習慣は、簡単には壊れない。灰鐘が本当に育てていたのは、俺の腕でも村の壁でもなく、その習慣だったのかもしれない。

 だから俺は、骨兎の跳ね群れを前にしても、最初のころのようにただ生き延びることだけを考えなくなった。生き延びたあと、何を残すか。誰が次に使える形へ変えるか。どの獲得を、どの弱い場所へ渡すか。そんなことを考えながら刃を握るようになったとき、外れ刻印という言葉は、少しずつ遠い場所の悪口になっていった。

 準備の終わりには、必ず小さな確認をした。水袋の数、矢の束、逃げる子どもの順番、けが人を寝かせる戸板、灰を吸った短剣の置き場所。強くなるほど、こういう確認は増えていく。面倒だと思う暇はない。面倒を省いた場所から、群れは入り込む。カナンで得た力は、確認する手間を減らすものではなく、確認できる範囲を広げるものだった。

 力は、使った瞬間よりも使った後に正体を見せる。誰かを怯えさせる力なのか、誰かの仕事を楽にする力なのか、誰かがもう一度眠れる場所を作る力なのか。一呼吸だけ早く踏み込む足を手にしたあと、俺たちは必ずその正体を確かめた。確かめずに進めば、灰鐘の音は少しずつ濁るからだ。

 戦いが終わると、地面に残った灰は風に散らず、俺の刻印へ細い糸のように寄ってきた。熱いわけではない。ただ、胸の奥で小さな鐘が鳴る。その音が鳴ったぶんだけ、俺たちは何かを一つ取り戻せる。

 一呼吸だけ早く踏み込む足は、俺一人を強くするだけでは終わらなかった。水に混ぜれば井戸が澄み、炉に入れれば火が安定し、道に撒けば小さな足でも逃げ遅れない土になる。灰掃きの刻印は、力を独り占めする刻印ではなかった。

 今回の獲得は一呼吸だけ早く踏み込む足だった。言葉にすると一つだが、その一つは何通りにも使える。灰を吸った短剣と結びつければ戦いの手になり、人の手と結びつければ暮らしの支えになる。

 本来なら、力を得れば危険は減るはずだ。けれど、この谷では逆だった。こちらが一つできるようになると、灰獣は二つ先の形で現れる。だから成長は終点ではなく、次の困難へ進むための足場だった。

 誰か一人が強くなれば済む話ではなかった。前へ出る者、遠くを見る者、火を守る者、名を残す者、子どもの手を引く者。その役割が噛み合って初めて、村は一本の剣より折れにくくなる。強さは腕だけでなく、絡み合う手の数でも決まるのだ。

 息が落ち着くと、痛みがまとめて戻ってきた。肘、脇腹、太もも、指。生きている体は面倒だ。面倒だが、痛みを数えられるうちはまだ動ける。

 畑跡にまいた灰が、夜のうちに硬い道へ変わり始めた。俺はその音を聞きながら、短剣についた灰を指で拭った。終わった戦いの灰は軽い。だが、次に来るものの影は、いつもその下に沈んでいる。

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