第八十一話:木戸の帳面
禁衛は、翌朝、門前に来た。
鎧の列。先頭の隊長が、令を掲げる。
「――第三皇子殿下。側室・蘇雨鈴殿に、お尋ねしたき儀がございます。禁衛の詰所まで、ご同道を。
」
「断る。」
景辰は、門の内側で、腕を組んだまま答えた。
「調べには応じる。だが、あれをそちらへ渡す気はない。……訊きたいことがあるなら、ここで訊け。」
「殿下。これは、令にございます。」
「誰の令だ?」
隊長が、わずかに言い淀んだ。
「……刑部の。訴人があり、証が揃ったと。」
「証を、言え。」
蒼楽と蒼真が、景辰の左右に立っている。
抜いてはいない。抜かない、と決めている顔だった。
「……宿の主の証言にございます。十日前、殿下の側近が、夫婦を探して宿に押しかけた。翌日、夫婦は姿を消し、川で見つかった。……側室殿には、衆目の前で恥をかかされたという、動機がございます。」
「それだけか?」
「……それだけ、とは?」
「宿の主は、我らが行った時、こう言ったぞ。前夜、上等な御家中の駕籠が迎えに来て、夫婦は荷をまとめて出て行った、と。……その口が、今度は『側近が押しかけた翌日に消えた』と言うのか。順が、逆だ。」
隊長の顔が、強張った。
「――私が、お答えします。」
声が、門の内から上がった。
景辰が振り向く。
雨鈴が、翠華を伴って、静かに歩いてきていた。
「雨鈴、下がっていろ。」
「いいえ。」
雨鈴は、首を振った。
「訴えられたのは、私です。私が答えます。」
隊長の前に立つ。
膝は、震えていなかった。
「隊長様。私が恨んで人を遣ったのなら、伺いたいことがあります。……あの二人を都へ呼び寄せ、西市の宿に置き、三度の飯と酒の代を払っていたのは、誰ですか?」
「……それは」
「私ではありません。私が都へ戻ったのは、あの二人が宿に入った、その後です。……私が来る前から、誰かが、あの二人を養っていた。宿の主は、その銭を受け取っています。誰の銭かも、知っているはずです。」
隊長は、答えられなかった。
「もう一つ。」
雨鈴は、懐から、一冊の帳面を取り出した。
「これは、西の三の木戸の、番の帳面です。木戸番の爺さんから、今日一日だけと言って借りてきました。……十日前の、亥の刻過ぎの行を、ご覧ください。」
隊長が、帳面を受け取り、目を落とす。
その顔色が、変わった。
「――崔、家。」
「上等の駕籠。担ぎ手が六人。札を見せて、その名を書かせた。……駕籠の中から、年寄りの女の泣き声がした、と爺さんは言っています。」
雨鈴は、まっすぐに隊長を見た。
「あの二人を運んだのは、崔家の駕籠です。私の側近が宿に行った、その前の晩に。」
門前が、静まり返った。
禁衛の兵たちが、互いに目を見交わしている。
崔家。その名の重さを、この場の誰もが知っていた。
隊長は、帳面を持ったまま、長いこと動かなかった。
「……これは、私の一存では…」
「だろうな。」
景辰が、静かに言った。
「崔家の名が出た以上、刑部の令など、もう誰の手にも負えん。……上へ持っていけ。それしかあるまい。」
隊長が、口を開きかけた、その時。
「――勅使、御到着!」
門の外から、声が響いた。
禁衛の列が、割れる。
その間を、内侍が一人、静かに進んできた。
御前で玄淵に何かを囁かれ、顔色を変えた、あの内侍だった。
「陛下より、お言葉にございます。」
一同が、跪く。
「――『白楊村の夫婦の一件、朕が預かる。禁衛は手を引け。刑部の令は、これを止める』」
隊長の肩が、目に見えて落ちた。
「――『なお、訴人の名を、朕が知りたい。刑部は、本日中に奏上せよ』」
内侍は、それだけ読み上げると、帳面に目をやった。
「……その帳面は、私がお預かりいたします。陛下が、御覧になりたいと。」
禁衛が去り、門が閉まると、雨鈴はその場に座り込んだ。
「……よく、やったな。」
景辰が、隣にしゃがんだ。
「膝、震えてなかったでしょ?」
「震えていなかった。……今は震えているがな。」
「……うん。」
雨鈴は、笑おうとして、うまく笑えなかった。
「ねえ、景辰。……あの二人を、弔ってもいい?」
「――ああ。」
「憎かった。本当に。でも、駕籠の中で泣いてたって聞いたら。……あの人たちは、私を売って、そして売られたのよ。それで、川に…」
「弔え。俺が、手配する。」
景辰は、雨鈴の頭に、手を置いた。
「お前は、銭を置いて出た。今度は、墓を置いて出ればいい。……それが、お前のやり方だ。」
第一皇子の宮。
秋霞は、報せを聞いても、扇を止めなかった。
「……陛下が、お預かりに。」
「はい。訴人の名を、本日中に、と。」
「そう。」
扇が、ゆっくりと閉じられた。
陛下が、あの娘を庇った。
宮の中では、もう、手が出せない。
――出せないなら、宮の外へ、出せばいい。
「……実家へ、使いを。」
秋霞は、たおやかに微笑んだ。
「父上にお会いしたいと。……もう、遠回りはやめましょう、と。」




