第八話:城の構図と、予期せぬ招待
その夜、夕食。
艶やかな飴色の肉料理。香草を散らした魚。彩り鮮やかな野菜炒め。
見たこともない点心がいくつも籠に盛られていた。
こんな豪華な食事を前にしても、蒼楽の言葉が、頭の中でぐるぐると回って離れない。
「こういうのはたまにありますんで。」
たまにある。
あっさりと言い切ったあの顔が、どうしても引っかかる。
部屋の灯火が、静かに揺れている。
翠華は隣で控えていた。
「翠華。」
「はい。」
「今日みたいなことって、本当にたまにあるの?」
少しの間があった。
「……事実にございます。」
「どのくらいの頻度で?」
「一定ではございません。」
珍しくない。
蒼楽と同じ答えだった。
「誰がそんなことを。」
翠華は針仕事の手を止めた。
「それは分かりません。ですが、殿下のお立場を考えれば、珍しいことではなく。……少し、長い話になりますが。」
「聞かせて。」
翠華は静かに口を開いた。
「この国には現在、第一皇子から第五皇子までおられます。」
「そうよね。」
「ええ。ただし、皆さま母君は異なります。皇后陛下には皇子がおられません。ゆえに、皇子方は皆、妃嬪の御子です。」
「妃嬪?」
「後宮における側室方の総称にございます。」
なるほど、と頷く。
「つまり、全員が次の皇帝を狙える立場にある。」
「おっしゃる通りです。」
翠華は続けた。
「第一皇子殿下は年長で、古くから臣下に支持されております。慎重なお方ですが、動きは遅いとも言われております。」
「第二皇子は?」
「才覚に優れ、社交にも長けておいでです。現在もっとも勢いがあると見る者もおります。」
何となく厄介そうだ。
「そして第三皇子が、景辰殿下。」
言われると、少しだけ姿勢を正してしまう。
「殿下は、ご自分から誇ることをなさいません。」
「……そうだろうね。」
「ですが、物事を読む目は誰より深く、決して侮れぬお方です。味方には厚く、敵には容赦なく。ゆえに恐れられ、また慕われてもおります。」
ここに来てから、廊下ですれ違った人々の様子を思い出す。
ただ怖がっているだけではない、あの空気。
「ああ……なるほど。」
「私どもは、殿下にお仕えできることを誇りに思っております。」
迷いのない声だった。
雨鈴は湯呑みに口をつけながら、景辰の顔を思い浮かべる。
冷静で、強引で、何を考えているか分からなくて、時々少しだけ笑う男。
「第四皇子と第五皇子は?」
「第四皇子殿下はまだ若く、政からは距離を置かれております。第五皇子殿下の母君は高い家柄のご出身で、身分としては最も格式が高いとされております。」
「つまり、全員それぞれ強みが違うんだ。」
「ええ。そして、それぞれに後ろ盾となる者たちがおります。」
翠華の声は穏やかだったが、その奥に後宮らしい複雑さがにじむ。
「寵愛を受けておられるのは、第二皇子殿下の母君と、景辰殿下の母君——麗妃さまでございます。」
「景辰の母親も?」
「ええ。」
そこは少し意外だった。
「では、第五皇子殿下の母君は身分こそ高くとも、陛下のお心はまた別ということですね。」
「さようでございます。」
雨鈴は頭を抱えたくなった。
「面倒くさ……」
「後宮とは、そういう場所にございます。」
翠華はにこやかに言う。
笑っていい話なのか分からない。
「……つまり景辰って、結構危ない場所にいるのね。」
「ええ。」
即答だった。
「ですが。」
翠華は針を置き、静かに続ける。
「それでも殿下は、ご自身の足でそこに立っておられます。」
灯火が揺れる。
その言葉だけが、不思議と胸に残った。
自分の足で立つ。
私も自分で選んでここに来た。
でも、本当の意味で立てているのかは、まだ分からない。
昼間、血の中で微動だにしなかった姿を思い出す。
あの男は、ただ巻き込まれているだけではない。
自分で選んで、そこにいるのだ。
「翠華。」
「はい。」
「景辰が慣れたって言ってた。ああいうことに。」
「……ええ。」
「いつから?」
翠華は少しだけ間を置いた。
「それは、殿下ご自身から聞かれた方がよいかと。」
答えない。
でも答えられない理由がある顔だった。
雨鈴はそれ以上聞かなかった。
窓の外では、夕暮れの名残がまだかすかに残り、群青の空に宮の灯りが一つ、また一つとともり始めていた。
景辰がいつから慣れたのか。
どうして慣れなければならなかったのか。
その答えは、まだ遠い気がした。
でも、いつか聞ける日が来るかもしれない。
そう思えるようになっていることに、雨鈴は少しだけ驚いた。
——コン、コン。
控えめなノックの音に、雨鈴が顔を上げる。
すぐに翠華が扉へ向かい、静かに応対した。
短いやり取りのあと、戻ってきた翠華の表情には、わずかな緊張が浮かんでいる。
「雨鈴さま。」
声音まで、いつもより少し硬い。
「……他のお客様が、ぜひお茶をご一緒にと申しております。」
「他の、お客様?」
聞き返した瞬間、部屋の空気が静かに張り詰めた。




