第七話:占い通りの襲撃
石造りの廊下は、静かだった。
昼の光が差し込んでいる。
人の気配が少ない。
視た光景と、重なる。
景辰が足を止め、周囲を一度だけ見渡した。
護衛たちが自然な動作で、廊下の要所へ散っていく。
慣れた動きだった。
「警備は増やさない。人払いもしない。廊下に立つ兵の数も、歩く時刻も――視た日のまま、何ひとつ変えずに迎える。」
それが、景辰の出した条件だった。
介入すれば、未来は変わる。なら、何も変えずに迎えれば、視た通りに起こるはずだ。
この男は、自分の首を賭けて、それを確かめる気でいる。
雨鈴は景辰の少し後ろに立ち、廊下の奥を見た。
(来る。)
分かっている。視た通りに、全部起きる。
止めない。
止めたいけど、今回は、止めない。
出会った日の夜を思い出す。
あの時は止めようとして、拒まれた。
景辰は自分でこれを選択した。
だから今は、ただ見ている。
遠くから、足音が響いてきた。
荒い呼吸と共に、誰かが走ってくる。
あの男だった。
衣は乱れ、足取りも不安定だ。
腕から、血が流れている。
男は景辰の姿を見つけた瞬間、目の色を変えた。
迷いなく距離を詰めてくる。
その動きには、明確な殺意があった。
「——っ。」
雨鈴は息を詰めた。
袖の内から抜き放たれた刃が、一直線に景辰の喉元を狙う。
次の瞬間、空気が裂けた。
横から踏み込んできた護衛が、刀を抜き放つ。
抜刀と同時に振り下ろされた刃が、男の腕を正確に捉えた。
金属が肉を裂く鈍い音。
遅れて、血が弾ける。
「がっ……!」
短い悲鳴。
それでも男は止まらなかった。
残った腕でなお刃を振るおうとする執念が、むしろ異様だった。
別の護衛が背後から踏み込み、肩口へと強く打ち込む。
骨を砕く鈍い音と共に、男の体が崩れ落ちた。
床に広がる血。
赤が、ゆっくりと石に染みていく。
あの日、屋根の上で視た映像と同じ色だった。
死は、いつでもこんなに呆気ない。
知っていたはずなのに、慣れない。
その光景の中心に、景辰が立っていた。
無傷のまま。
ただ、動かずに見ている。
何も、変わらない。
(……同じだ。)
視た通りだった。
寸分違わず。
兵士たちが男を取り押さえ、状況はあっけなく収束した。
景辰は、ゆっくりとその場を見渡した。
それから何事もなかったかのように、静かに息を吐く。
「予定通りだな。」
こちらを見ずに言った。
「……ええ。」
声が、少しだけかすれた。
「お前の力は本当に使える。」
淡々としている。
床の血を見ても、刃を見ても、この男の声は変わらない。
(慣れている?)
それとも、慣れるしかなかったのか。
景辰は振り返り、雨鈴を見た。
「顔色が悪い。」
「そりゃ…ね。」
「俺の傍にいるうちに慣れるさ。」
「慣れたくない。」
即答すると、景辰はわずかに目を細めた。
「……そうか。」
景辰は短く言い、廊下を後にした。
景辰と共に部屋へ戻ると、しばらくして扉が軽く叩かれた。
「失礼します、殿下。」
明るい声だった。
廊下の緊張とはまるで無縁の、どこか気の抜けた調子。
「入れ。」
扉が開く。
現れたのは、金色の髪をした青年だった。
柔らかな金髪は光を受けて淡く揺れ、整った顔立ちには人懐っこい笑みが浮かんでいる。
長身で姿勢は良いが、どこか力の抜けた立ち方をしており、第一印象だけなら軽薄にすら見える。
でも、その足取りに無駄がない。
室内を一瞬で把握する視線の動きだけは、鋭かった。
「どうもどうも、お取り込み中に失礼します。」
軽い口調でそう言いながら、室内へと入ってくる。
「報告か。」
「はい。今回の件、ひと通りまとまりましたので。」
それから、ふと雨鈴へと視線を向けた。
「ああ、そうだ。先にご挨拶を。」
にこりと笑う。
「はじめまして。殿下の護衛団に所属している、蒼楽です。」
軽く手を上げる仕草。
「一応、リーダーってやつですね。」
あまりにも気安い紹介だった。
「……蘇雨鈴です。」
遅れて名乗ると、蒼楽は嬉しそうに頷く。
「いい名前ですね。覚えやすい。」
その反応は自然で、取り繕った様子がない。
けれど、どうしても重なる。
さっきの迷いなく振り抜かれた刃。
肉を断つ音。
血の飛び方。
目の前のこの青年と、それがどうしても結びつかない。
視線に気づいたのか、蒼楽は少し首を傾げた。
「何かついてます?」
「……あなた、本当に同じ人?」
思わず口に出る。
「さっきの、あの動きと、雰囲気が全然違って。」
「ああ、あれですか。」
あっさりと理解したように頷く。
「仕事なんで。」
それだけだった。
軽い言い方。
だが、その一言で十分だった。
「守るために、ただ斬るだけですよ。」
笑みは崩れない。
だがその奥に、わずかな鋭さが見える。
「殿下を守るのが、俺の役目ですから。」
視線が景辰へ向く。
そこに迷いはない。
ただ当然のことを言っているだけの顔だった。
「頼りにしている。」
景辰が短く言う。
その一言に、蒼楽は肩をすくめる。
「ありがたいですね。期待には応えないと!」
軽口のようでいて、言葉に嘘はない。
「で、本題なんですが。」
蒼楽の声が、少しだけ引き締まる。
「今回の賊、単独です。特に背後関係もなさそうで。」
「そうか。」
「まあ、こういうのはたまにありますんで。」
あっさりと言い切る。
たまにある。
その言葉の重さを、蒼楽は気にした様子もない。
景辰も同様だった。
「引き続き頼む。」
「ハッ。」
再び軽い調子に戻る。
「じゃあ、長居するのもアレなんで、この辺で。」
そう言って、蒼楽は踵を返す。
扉へ向かいながら、ふと足を止めた。
「あ、雨鈴ちゃん。」
と言いながら振り返る。
「殿下の側にいるなら、そのうち慣れますよ。」
にこりと笑う。
「色々と。」
何を指しているのかは言わない。
けれど、十分すぎるほど伝わる。
そのまま何事もなかったかのように部屋を出ていった。
扉が閉じる。
静けさが戻る。
雨鈴はゆっくりと息を吐いた。
「……たまにあるって、本当に?」
不安そうに景辰を見る。
「ああ。」
「慣れるものなの、こういうのに。」
「慣れる者もいる。」
「あなたは?」
少しだけ間があった。
「慣れた。」
その一言が、妙に重かった。
いつから慣れたのか。
どうして慣れなければならなかったのか。
聞けなかった。
聞いていい話かどうか、まだ分からない。
「……本当に、普通じゃない世界。」
小さく呟く。
景辰は短く返した。
「そうかもな。」
でも、その声はいつもより少しだけ、穏やかだった。




