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死を諦めた占い師は、皇子に目をつけられた  作者: ここば


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第六話:縮まる距離

景辰を未来視してから二日後の朝。

雨鈴は庭に出て、水盤のそばに立ち、風が水面を揺らすのをぼんやりと見ていた。

翠華が少し離れた場所で控えている。


「また会ったな。」


声がした。

振り返ると、廊下の入り口に人が立っていた。

口元を布で覆っている。

誰だか分からない。


思わず一歩引く雨鈴と警戒する翠華。


「ははっ。俺だよ、志遠。」


「……驚かせないでください。」


「すまない。」

悪びれもなく笑う。


翠華がさりげなく志遠へ視線を向けた。

一瞬だけ、静かに観察する目だった。

それから何かを確かめたように、小さく視線を戻す。


「景辰殿下の具合はどうだ?」


「少しずつ回復しているようです。」


「そうか。」


志遠は水盤のそばに並んで立った。

距離は保っている。

圧がない。


しばらく、二人で水面を見た。

「城は慣れたか?」


「まだです。」


「そうだろうな。」

志遠は小さく笑った。


「俺も最初は慣れなかった。」


「志遠さんも?」


「ああ。」


それ以上は言わない。

でもその一言に、何かが滲んでいた。


「では、またな。」


短い会話だった。

それだけなのに、警戒していた自分が少し馬鹿みたいに思えた。

(……気のせいかな。)

水面が揺れる。

答えは出なかった。


三日目は廊下だった。

翠華と並んで歩いていると、角を曲がったところで志遠と鉢合わせた。

相変わらず口元を布で覆っている。


「今日は廊下か。」


「偶然ですね。」


「そうだな。」


志遠は笑いながら、隣を歩き始めた。

自然な動作だった。

気づいた時には三人で歩いている。


「景辰殿下と知り合って、長いのか?」


「いいえ。最近です。」


「なのに客人扱いか。」


「私も不思議です。」


「景辰殿下らしくないな。」


その言葉には、確かな重みがあった。

この男は景辰を知っている。

表面だけでなく、もっと深いところを。


「志遠さんは、景辰殿下のことをよくご存じなんですね。」


探りを入れてみる。


「まあな。昔から見ていた。」


「昔から。」


「子どもの頃からだ。」


子どもの頃から。

景辰と同じくらいの年頃で、子どもの頃から知っている。


「では、長いお付き合いなんですね。」


「そうだな。」


志遠は少しだけ遠くを見るような目をした。


「長すぎるくらいだ。」


その言い方が、妙に引っかかった。

やがて廊下が分かれ道になる。


「俺はこちらだ。またな、雨鈴。」


軽く手を上げて、志遠は別の方向へ歩いていく。

その背中を見送りながら、雨鈴は小さく息を吐いた。

(探っているつもりが、何も分からなかった。)


四日目は、会わなかった。

庭にも廊下にも、志遠の姿はなかった。

それだけのことだ。

なのに夕方、部屋に戻った時に気づいた。

(……今日は会わなかった。)

そう思っている自分に、少しだけ驚いた。


五日目の昼だった。

翠華と庭を歩いていると、口元を布で覆った人影が向こうから歩いてきた。

志遠だ。


「やあ。」


「……こんにちは。」


「昨日は会えなかったな。」


「ええ。」


「寂しかったか?」

からかうような声だった。


「全然。」


即答すると、志遠は声を立てて笑った。

「即答か。手厳しいな。」


「事実です。」


「俺は会いたかったけどな。」


「なっ。」


紅くなる雨鈴の横で志遠は笑いながら、翠華に軽く会釈した。

翠華は無表情で返す。


「では、今日の分の話をしよう。」


「何の話ですか。」


「なんでもいい。お前と話すのは面白いから。」


その言葉が、思ったより素直に聞こえた。

作っている感じがしない。

(……厄介だ。)

警戒しているのに、嫌いになれない。


「一つだけ気になっていることがあります。」


「なんだ?」


「景辰殿下と古い付き合いのようですが、景辰殿下は志遠という者を知らないと言ったんです。」


静かに、けれどまっすぐに問う。

志遠は少しだけ目を細めた。

沈黙が落ちる。


「……知らないと言ったか。」


「ええ。」


「そうか。」


それだけだった。

否定も、説明もない。


「答えてくれないんですね。」


「今は、な。」


「今は、ということは、いつかは?」


「さあ。」

笑いながら、曖昧に流す。


「またな、雨鈴。」


今日も、答えを持っていかれた。

翠華が静かに言った。


「……よく会いますね。」


「そうね。」


「偶然にしては、少し多い気がします。」


「私もそう思う。」


でも、完全な敵にも見えない。

それが一番厄介だった。


七日目の朝だった。

景辰の部屋へ向かうと、扉の前で医師と護衛が困った顔をして立っていた。

「どうしたんですか?」


「それが……殿下が。」

中から声が聞こえた。


「問題ない。下がれ。」


景辰の声だった。

力がある。いつもの鋭さが戻っている。

扉を開けると、景辰が寝台から降りようとしているところだった。


「傷はもういいの?」


「問題ない。」


「医師の方がそう言ったんですか。」

翠華が心配そうに問う。


「俺が問題ないと判断した。」


「それは医師が判断することでしょ。」


景辰は雨鈴をじろりと見たが、立ち上がるのをやめなかった。


「強引すぎる。」


「動けるから動いている。」


呆れる。

でも今更、驚かない。

景辰は窓の外を見た。

昼の光が差し込んでいる。


「この一週間、志遠という男には会ったか?」


「はい。それにしても……分からない人です。敵意を感じませんでした。」


景辰はわずかに目を細めた。


「そうか。」


それ以上は聞かない。

でも何かを考えている顔だった。


「予定通り、行くぞ。」


景辰が歩き出す。

まだ少し動きが固い。


「本当に大丈夫?」


「大丈夫だ。お前が心配することではない。」


「心配するに決まってるでしょ!」


思わず言ってから、少し後悔した。

景辰が振り返る。

その目が、わずかに緩んだ気がした。


「……そうか。」


それだけだった。

でも、いつもより少しだけ柔らかい声だった。


廊下へ向かう途中、翠華が景辰のそばへ静かに寄った。

雨鈴から少し離れて歩きながら、ごく小さな声で耳打ちする。


「志遠と名乗る方が、この一週間、雨鈴さまに幾度か接触しておりました。」


景辰は歩みを止めない。


「装いは殿下の客人方と遜色ない程度。ただ、常に口元を布で覆っておられました。」


翠華はそれだけ言って、元の位置へ静かに戻った。

景辰は何も答えなかった。

ただ、その目だけが、一段階だけ鋭くなっていた。


やがて、石造りの廊下へ出た。

昼の光が差し込んでいる。

人の気配が少ない。

視た光景と、重なる。

景辰が足を止めた。

周囲を一度だけ見渡す。


「ここだな。」


「ええ。」


沈黙が落ちる。

風もない。

音もない。

ただ、時間だけが静かに流れている。

景辰は、まっすぐ前を向いたまま言った。

「さあ、占い通りか見てみよう。」

その声には、静かな昂りがあった。



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