↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死を諦めた占い師は、皇子に目をつけられた  作者: ここば


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

77/95

第七十七話:空いた部屋

宮へ戻る途中で、雨鈴はしばらく、口を利けなかった。

見届けたぞ、の五文字が、まだ耳の奥で鳴っている。


「……ねえ、景辰。」


「何だ?」


「私、とんでもないこと言っちゃったかな、御前で。」


「言ったな。」


景辰は、前を見たまま答えた。


「あの場で糸の主の追及を願い出た。……父上は面白がったが、面白がらぬ者もいる。今頃、青くなっている顔が、幾つかあるだろう。」


「……怖くなってきた。」


「今さらだ。」


口の端が、少しだけ上がっていた。それを見て、雨鈴も、少しだけ笑えた。


「――夫婦に、会う。」


笑いが消えたところで、景辰が言った。


「え……」


「あの二人は、都にいる。誰かの銭で動いた駒だ。駒に触れれば、指した手が分かる。」


雨鈴は、膝の上で指を組んだ。

顔も忘れます、と言って背を向けた。

あの言葉は、本気だった。二度と会わないと決めたのだ。


「……それと、もう一つ。」


景辰の声が、低くなった。


「押し付けられて、と、あの男は言った。誰に、いつ、預けられたのか。……あの男の口から、それを聞く。」


雨鈴は、顔を上げた。

白楊村を出る馬車の中で、この人はそう言った。

あの家に来る前の記憶は、と。あれからずっと、考え続けていたのだ。

私が考えないようにしていたことを。


「……分かった。行く。」


「無理はするな。」


「無理じゃない。……糸の主に繋がるなら、私の顔くらい、いくらでも貸すわ。」


同じ頃。第二皇子の宮。

四阿の卓に、小さな木の札が置かれていた。

半分に割られた割符。

景明は、それを裏返した。

焼き印の、家紋の片割れ。

――長いこと、動かなかった。


「……主。」


柏峰が、静かに声をかけた。

景明は答えず、割符を指で押さえたまま、目を閉じていた。

知っている紋だった。

知っていて、当然だった。

この宮で、その紋を見ない日はない。

やがて、景明は目を開けた。その顔には、何の表情もなかった。

柏峰が仕えて十年、初めて見る顔だった。


「……そういう、ことか。」


「主。」


「夫婦は、まだ都にいるな?」


「西市の外れの宿に。……ですが、昨日の茶会が流れました。あの家は、もう二人を用済みにしているかと。」


「押さえろ。生きたまま。」


景明は、立ち上がった。


「口を封じられる前にだ。……あの二人の口が、証になる。急げ。」


柏峰が去ると、景明は割符をもう一度、見た。

あの人を死なせた家。娘を捨てさせた家。

――その家の娘が、微笑みながら、この後宮の正妃の座に座っている。


西市の外れの宿は、昼から静まり返っていた。


「昨夜、遅くにございます。」


宿の主は、揉み手をしながら、しかし目には怯えを浮かべて言った。


「お迎えの駕籠が来まして。上等な、御家中の駕籠で。お二人とも、荷をまとめて、出て行かれました。……行き先は、私どもは何も。」


「迎えの者は、どんな?」


「黒っぽい衣の、物静かな……顔は、よくわかりません。」


蒼楽が、舌打ちした。


「一足、遅かったですね。」


部屋は、空だった。

飲みかけの酒。散らかった衣。急いで出た痕跡。

三日間、絹を着せられて祭り上げられた二人は、用が済んだ夜に、消えた。

雨鈴は、戸口に立ったまま、その部屋を見ていた。

憎んでいた。恐れていた。顔も忘れると言った。

それでも――この部屋の空虚さは、胸のどこかに、冷たく落ちた。

(……用済みになったら、消される)

誰かの駒として使われて、捨てられた。私を苦しめた二人が、私のせいで。


「……雨鈴様。」


翠華が、そっと肩に手を置いた。


宿を出たところで、蒼真が足を止めた。


「殿下。」


路地の向こうに、見覚えのある影があった。

物静かな男が、宿の裏手から出てくるところだった。

景辰たちを見つけて、その足が止まる。

――柏峰。

互いに、しばらく無言だった。


「……兄上の指図か。」


「は。」


柏峰は、隠しもせずに頭を下げた。


「夫婦を押さえよ、と。……我らも、一足遅うございました。」


景辰の目が、鋭くなった。


「兄上が、あの夫婦を、なぜ?」


柏峰は、答えなかった。答えないことが、答えだった。


「……白楊村で、生まれを探ったのも。旅の間、あれの出自を訊いて回ったのも。全部、兄上の――」


「私からは、何も申し上げられませぬ。」


深く一礼して、柏峰は路地の奥へ消えていった。

残された景辰は、拳を握りしめていた。

兄上は、何かを知っている。

雨鈴の生まれについて、俺の知らない何かを。

それを、俺に隠したまま、先に手を伸ばしている。


「……景辰?」


雨鈴が、心配そうにこちらを見ている。

この娘は、まだ何も知らない。自分が誰の子かも、誰に狙われているのかも。

そして兄上は、それを知っていて、黙っている。


「――兄上に、会う。」


景辰は、低く言った。


「今度は、こちらから。」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。