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死を諦めた占い師は、皇子に目をつけられた  作者: ここば


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第六十八話:楽の高み

式典の朝は、抜けるように晴れた。

王宮の大広間は、朝から人で埋まっていた。

着飾った貴族。異国の使節。居並ぶ武官。

中央には長い緋の敷物が敷かれ、その先の壇上に、玉座が据えられている。

 

景辰は賓客の列の前方に。雨鈴は、そこから少し離れた末席に。

左に蒼真。右に巌牙。二人の間に挟まれて、雨鈴は立っていた。


「――回廊は?」

 

小声で尋ねると、蒼真が短く答えた。


「夜のうちに、玲琅殿下が兵を入れて改められました。足場も撤去済み。……何も出ておりません。」


「何も?」


「人も、道具も。……一足違いで、引き払われたかと。」

 

背中に、嫌な汗が伝った。

場所を変えられた。ではどこへ。

雨鈴は、そっと広間を見渡した。柱。梁。二階の桟敷。

どこも人でいっぱいで、伏せて隠れられるような場所は――。


やがて楽が鳴り始め、王が姿を現した。

一同が跪く。荘重な口上。王の言葉。長い長い儀礼が、順を追って進んでいく。


賓客の献上の段になり、景辰が進み出た。

両国の睦みを言祝ぐ、型どおりの挨拶。王が鷹揚に頷く。広間の空気が、少しだけ和らいだ。

 

そして、玲琅が壇の脇へ進み出た。

今日の王女は、目が覚めるほど美しかった。

金の歩揺が揺れ、緋の敷物の上を、迷いのない足取りで歩いていく。

 

(……綺麗)


見惚れかけて、雨鈴は、ふと違和感を覚えた。

楽の音が、大きい。

――式典の、最中だと思います。楽も鳴っていました。

昨夜、自分でそう言った。楽が鳴っていた。

 

でも。

(……あれ?)

視た時、楽の音は、他のざわめきよりも、ずっと近くで鳴っていなかったか。

もやの向こうの音は、全部が同じように遠いはずだ。

それなのに、あの男のいた場所では、楽の音だけが、やけに近かった。

 

雨鈴は、顔を上げた。

楽人たちは、どこにいる?

 

――いた。

広間の奥、壇の斜め上。柱に支えられた張り出しの上に、楽人の一団が座っている。

その頭上には、深く突き出した庇。庇の内側は、暗い。

狭い。屋根が、すぐ上にある。伏せた姿勢で、下を見下ろす形。

(……あそこだ!)


「蒼真!」


声を殺して、袖を掴んだ。


「楽人の上。庇の内側。あそこよ。」


蒼真の目が、跳ねるようにそちらへ動いた。

 

一拍。


「――巌牙殿。」


「見えている。」


低い声が、返ってきた。


「布が、動いた。人がいる。」


二人の武官の身体が、同時に沈んだ。


「雨鈴様、動かないでください。柱の陰へ。」


「でも、玲琅様が――!」


雨鈴は、そこで気づいた。

庇の内側から見下ろせるのは、壇の下。緋の敷物の、ちょうど中ほど。

今そこを歩いているのは、景辰ではない。

――玲琅だ。

(矢が狙ってるのは、王女様……!)

なぜ、と考えるより早く、答えが出た。

この婚姻を潰したい者たちが、王女を殺す。

しかも異国の使節が居並ぶ、この場で。黎国の一行がいる、この場で。

誰が下手人にされるかなど、考えるまでもない。


「――玲琅様!!」


雨鈴は、叫んだ。

作法も、身分も、末席も、全部忘れた。

腹の底から、市の呼び込みで鍛えた声を、広間いっぱいに響かせた。


「上です!庇の中!!」

 

楽が、乱れた。

人々が振り返る。何百という視線が、末席の異国の女に集まる。

玲琅が、はじかれたように顔を上げた。

そして、庇の内側から、光が奔った。


――が。

その一拍前に、緋の敷物を、影が横切っていた。

どこから飛び込んできたのか、誰も見ていなかった。

ただ、王女の前に、一人の男が立っていた。

 

――陸青。

衣は破れ、片腕に血の滲んだ布を巻き、顔には殴られた痕。

それでも、その足取りには、一分の迷いもなかった。

 

男は、王女を抱えるようにして、背を庇い。

矢を、受けた。


「――!!」

 

広間が、爆ぜた。

悲鳴。倒れる楽器。逃げ惑う衣。兵が走り、槍が上がる。

庇の内側で影が動き、巌牙が、すでにそちらへ駆けている。

もやの中で崩れた、色の塊。

あれは、この人だったのだ。


「陸青!!陸青、しっかりなさい!」

 

玲琅が、膝をついていた。

王女が、人前で、床に膝をついていた。

血に濡れた男の頭を抱え、その名を、何度も呼んでいる。


「……申し訳、ございません。」

 

陸青の声は、掠れていた。


「戻るのが……遅く、なりました。」


「馬鹿!喋らないで!」


「名簿を、洗っておりましたら……囲まれまして。……手間を、取らせました。」

 

男の口の端が、わずかに上がった。

八年、三歩後ろを歩いてきた男の、初めて見る笑い方だった。


「医者を!誰か、早く!!」

 

雨鈴が駆け寄った時、翠華はもう帯を解いて止血に入っていた。稽古の通りの手つきだった。

 

庇の上では、短い、けれど容赦のない格闘が起きていた。

やがて巌牙が、男を一人、引きずり降ろしてきた。

日に焼けた頬。落ちくぼんだ目。

――あの顔だ。

雨鈴が視た、あの男だった。


「……こいつ一人です。他は逃げました。」

 

巌牙が、床に男を投げ出す。

その拍子に、男の背負っていた矢筒から、矢が数本、床に散らばった。

王宮の兵が、それを拾い上げ――そして、顔色を変えた。


「この矢羽根は……」

 

広間が、静まり返った。

拾い上げられた矢は、こちらの国のものではなかった。

黒に近い深緑の矢羽根。柄に刻まれた、小さな刻印。

――黎国、禁軍の制式。

 

ざわめきが、波のように広がっていく。無数の視線が、ゆっくりと、一方向へ向けられた。

異国の使節。黎国の一行。

その中心に立つ、第三皇子・景辰へ。


「……なるほどな。」

 

景辰の声は、驚くほど静かだった。


「王女を殺し、その罪を我らに着せる。……これが、本命か。」


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