第六十七話:明かせぬ証
その夜、景辰の部屋には、限られた顔ぶれだけが集められた。
景辰、蒼楽、高峻、蒼真、翠華。そして、毛皮の掛布にくるまった雨鈴。
「――使ったのか。」
景辰が最初に言ったのは、それだった。
「二分だけよ。ちゃんと蒼真に言ってから、座って使った。ちゃんと、決めた通りにやったの。」
「……そうか。」
景辰は、それ以上は言わなかった。言わない代わりに、火鉢をもう一つ運ばせた。
「では、視えたものの説明を。」
雨鈴は話し始めた。
狭くて薄暗い場所。伏せた男。組み立てられる弓。放たれた矢。もやの中で崩れた、色の塊。
「倒れたのが誰かは、分かりません。……周りは、いつも視えないので。」
「場所は?」
「屋根がすぐ上にありました。伏せて、下を見下ろす形。……足場の回廊で間違いないと思う。」
「時刻は?」
「式典の、最中だと思います。楽も鳴っていました。」
高峻が、素早く筆を走らせている。蒼楽は腕を組んだまま、天井を睨んでいた。
「……で、殿下。厄介なのは、ここからですよね。」
「ああ。」
景辰は、低く言った。
「この証は、誰にも見せられん。」
部屋が、静かになった。
――そうなのだ。
雨鈴は、掛布の縁を握った。回廊に射手が潜んでいると、この国の誰かに告げるとする。当然、なぜ知っているのかと問われる。
答えられない。
「『側室が未来を視た』などと言えば、どうなるかは知れている。」
高峻が、静かに言った。
「まともに取り合われないか。……取り合われた場合は、もっと悪い。妖しの術を使う女を連れ込んだ、と。それこそ、和議を潰したい者たちには、願ってもない口実になります。」
翠華の顔が、強張った。
(……そうか)
雨鈴は、初めてそこに思い至った。
この力は、私だけの問題じゃない。私が気味悪がられるだけじゃ済まない。
景辰の首まで、絞めることになる。
「一つ、ございます。」
蒼真が、口を開いた。
「未来視を持ち出さずとも、伝えられることが。」
「言え。」
「昼間、私と雨鈴様が、この目で見ております。足場の職人の中に、大工の歩き方をせぬ者がいた。踏み込みの足が決まっており、あれは弓を引く者の立ち方であると。……これは、ただの見立てです。誰にでも言えます。」
景辰の目が、光った。
「――使えるな。」
「私が言えば、武官の見立てとして通ります。雨鈴様が仰るより、角も立ちません。」
「よし。それで玲琅殿下へ通せ」
雨鈴は、思わず蒼真を見た。
この人は、たった一日で、この力の隠し方まで考えている。
「……蒼真、ありがとう。」
「務めです。」
「では、もう一つの厄介ごとを。」
高峻が、筆を置いた。
「柏峰様と巌牙様に、どこまでお伝えするか。」
景辰の眉が、寄った。
あの二人は、兄の目だ。話せば、道中の何もかもと同じく、都へ流れる。
「……巌牙は、腕が立つ。」
蒼楽が、渋い顔で言った。
「悔しいですけど、あれは相当です。式典であの人数を捌くなら、正直、頭数が要る。……こっちの護衛は、殿下と雨鈴ちゃんの二人を守るだけで手一杯ですよ。」
「使えば、兄上に全部筒抜けだぞ。」
「筒抜けで結構じゃないですか。」
蒼楽は、肩をすくめた。
「だって殿下。あの方、雨鈴ちゃんが射られて困る側でしょう。……あんだけ止めた人ですよ。」
部屋の空気が、少しだけ緩んだ。
景辰は、しばらく黙っていた。
「……高峻。柏峰を呼べ。」
「は。」
「射手の件だけを話す。誰から聞いたかは伏せる。……あの男が兄上に流すなら、それも構わん。この状況で、兄上に知られて困ることは何もない。」
柏峰は、話を聞いても顔色を変えなかった。
「承知いたしました。」
それだけ言って、深く礼をした。
「巌牙は、当日、雨鈴様の側へ置きます。よろしゅうございますか?」
「――私ではなく?」
景辰が、眉を上げた。
「はい。」
柏峰は、まっすぐに答えた。
「殿下のお側には、蒼楽様と護衛衆がおられます。ですが雨鈴様のお側は、蒼真様お一人。……人手の足りぬ方に、腕の立つ者を置くのが道理かと。」
道理だった。理屈は、完璧に通っている。
通っているのに、景辰は、しばらく柏峰の顔を見ていた。
この男は、誰の命令で、そう答えているのか。
――主の口癖を、そのまま繰り返しているだけではないのか。
「……好きにしろ。」
「は。」
夜も更ける頃、玲琅の使いが来た。
翠華が受け取った文には、簡潔にこうあった。
――職人の名簿、照合済み。礼部の記録は十二名。実際に足場に上がった者、十七名。
五人。
名簿にない男が、五人。
「……多いですね。」
蒼真の声が、硬い。
「一人二人なら、日雇いの手違いで済みます。五人となると、意図があります。」
「射手が一人と、逃がす者が四人。……あるいは。」
景辰が、続けた。
「射手が、一人とは限らん。」
背筋が、冷えた。雨鈴が視たのは、一人だけだ。他にいたとしても、視ていない顔は視えない。
文には、もう一行あった。
――陸青が、まだ戻りません。
雨鈴は、文を持つ手が止まった。
三歩後ろを、八年歩いてきた男。名簿を洗いに行った、あの人。
「……いつから?」
「今朝、出たきりだそうです。」
翠華の声が、細かった。
窓の外で、風が鳴った。式典は、明日の昼。
(……戻ってきて)
顔も、ろくに覚えていない。だから、視ることもできない。
雨鈴は、暗い窓に向かって、ただ祈った。




