↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死を諦めた占い師は、皇子に目をつけられた  作者: ここば


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

63/95

第六十三話:国境の笑顔

白楊村を出て、二日。

峠を越えると、風の匂いが変わった。

山肌に張り付くような細い道を下り、川沿いをさらに半日。

やがて前方に、灰色の石を積んだ砦と、固く閉ざされた門が見えてきた。

 

――国境の関。

物見の兵が、こちらを見下ろしている。

矢倉の影。槍の穂先。旗の色が、ここから先は違う。


「……着いたな。」

 

景辰の声も、心なしか低かった。

先の戦から、十年足らず。

和議はあれども、友好とは程遠い相手。

その国の土を、これから踏む。

 

雨鈴は、膝の上で手を握った。

頭の中で、あの人の声が蘇る。

――あの国は、笑って迎える顔の裏で、何を考えているか分からん相手だ。


関の向こうには、迎えの一団が待っていた。

先頭の男が、深々と礼をする。

年の頃は四十半ば。恰幅がよく、絹の官服を隙なく着こなし、そして――笑っていた。


「ようこそ、お越しくださいました。昊(こう)国礼部侍郎、賀昌(がしょう)と申します。景辰皇子殿下の御一行を、王都までご案内つかまつります。」

 

流暢な、こちらの国の言葉だった。発音の癖すら、ほとんどない。


「丁重な出迎え、痛み入る。」


「なんの。両国の睦みの、大切な御客人にございますれば。」

 

賀昌は、笑顔のまま一行を見渡した。

その目が、荷の数を数え、護衛の腕を測り、そして、雨鈴の上で、ほんの一拍だけ止まった。


「……おや。そちらの姫君は?」


「私の側室だ。同道させている。」


「これはこれは。御側室様まで。……ようこそ、遠路はるばる。」

 

賀昌は、雨鈴にも深々と礼をした。

礼の角度は、完璧だった。完璧すぎて、温度がなかった。

 

(――笑って迎える顔)


雨鈴は、習った通りの礼を返しながら、思った。

この人の笑顔は、市で見たどの商人の笑顔とも違う。

売りたいものがあるのでも、値切りたいのでもない。

ただ、こちらの全部を検分するための、道具としての笑顔だ。

 

その夜は、国境の町の迎賓の館に泊まった。

出てきた夕餉は、豪勢だった。見たこともない香辛料の匂い。

大皿に盛られた肉。琥珀色の酒。


「さ、どうぞ。我が国の自慢の膳にございます。」

 

賀昌が、にこやかに勧める。

雨鈴の箸が、伸びかけて――止まった。

――宴の席で出されたものは、迂闊に口にするな。


「……まあ、美味しそう。」

 

笑顔で受けながら、隣の翠華へ、ちらりと目をやる。

翠華は心得た顔で、給仕の作法という体を装い、皿のひとつひとつに先に箸をつけていった。

毒見だと気取られない、流れるような手つきだった。

 

賀昌は、その様子を、笑顔のまま眺めていた。

眺めて、何も言わなかった。

何も言わないことが、「気づいている」という何よりの返事だった。

 

膳が下がる頃、賀昌が、世間話の調子で切り出した。


「王都までは、あと五日ほどにございます。式典の前日には、王宮にお入りいただき……ああ、そうそう…」

 

男は、ぽんと手を打った。


「王女殿下におかれましても、皇子殿下のお越しを、それはそれは心待ちにしておられますよ。」


――王女。

卓の空気が、わずかに変わった。


「……王女殿下、とは?」


「玲琅(れいろう)様。我が王の第一王女にあらせられます。御歳十八。それはもうお美しく、聡明で、我が国の珠と讃えられる御方で。」

 

賀昌の言葉は、よどみなかった。

よどみなさすぎた。まるで、用意してきた口上のように。


「此度の式典には、遠来の賓客をもてなす役を、自ら買って出られましてな。……とりわけ、貴国の皇子殿下をおもてなしできることを、楽しみにしておられる。」


「……光栄なことだ。」

 

景辰の返事は、短かった。


「ええ、ええ。まことに。」

 

賀昌は、深く頷いた。


「この度の御縁が、両国の末永き睦みの、始まりとなりますよう。……我が国の者は皆、そう願っております。」

 

――御縁。

その二文字が、妙な重さで、卓の上に残った。

 

部屋に戻り、人払いをしてから、景辰は低く言った。


「……蒼楽。高峻。今の口上、どう聞いた?」


「『縁』ですねえ。」

 

蒼楽の声から、軽さが消えていた。


「賓客のもてなしに、年頃の第一王女が自ら名乗り出る。使者は会う前から王女の器量を売り込んでくる。……あれはもう、婚儀の下見の口上ですよ。」


「私も、そう聞きました。」

 

高峻が頷いた。


「そもそも、即位十年の式典に、わざわざ皇子の御名指しで招きが来ること自体、異例にございます。……おそらくこの招き、初めから、同盟の縁組みを見据えたもの。式典は、その表看板かと。」

 

部屋が、静まり返った。

雨鈴は、卓の端で、湯呑みを握りしめていた。

縁組み。同盟。王女。

頭では、分かる。国と国との話だ。

皇子の婚姻は、政の道具だ。後宮で、嫌というほど教わった。

でも。

 

(……それって)

 

この旅は、初めから、そういう旅だったということか。

景明様が行くはずだった、お見合いの旅。それを、景辰が、代わりに。

――私を守るための取引で。


「……兄上め。」

 

景辰が、低く、吐き捨てた。


「面倒なのは、これか。」

 

行く気が進まぬ、と兄は言った。理由は言わなかった。

言わないことで、何かがあると教えるのが、あの人の癖だと知っていたのに。

押し付けられたのは、敵国の式典ではない。

敵国との、縁談だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。