↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死を諦めた占い師は、皇子に目をつけられた  作者: ここば


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

61/95

第六十一話:親という名の

「――追い返せ。」

 

景辰の答えは、即座だった。


「あれには会わせん。名も告げるな。何も聞かせるな。」


「承知。」

 

蒼楽が階下へ降りていく。

景辰も、その後を追った。

あの娘の耳に届く前に、片をつける。

それだけを考えていた。

 

宿の土間に、二人は立っていた。

年の頃は五十がらみ。日に焼けた男と、痩せた女。

粗末だが、一張羅らしい衣を着ている。急いで着替えてきたのだろう。

景辰の姿を見るなり、二人は地面に額をこすりつけた。


「お、お目通りを賜り、恐悦にございます。わたくしども、雨鈴の父と母にございます。」


「用件を申せ。」


「は、はい。……娘が、都のお偉い方のお世話になっていると聞き及びまして。あの子は、その、身体が弱く、幼い頃から手のかかる子でございましたが、わたくしどもが手塩にかけて育てまして。」

 

女の方が、涙声で続けた。


「三年前、ふらりと家を出てしまいまして……。それはもう、心配で、心配で。毎日、村中を探し回りまして……」


嘘だ。

村の者は誰も探さなかった、と蒼楽は言った。

厄介払いができた、と。


「一目、会わせてはいただけませんでしょうか。親子にございます。三年ぶりに、ただ一目……」

 

男が、揉み手をしながら顔を上げた。その目が、景辰の衣の絹を、値踏みするように舐めた。

――ああ。

この目を、知っている。

市の外れで、拾った子を売りに来る手合いの目だ。


「断る。」

 

景辰は、短く言った。


「あれは私の宮の者だ。会わせる筋合いはない。」


「そ、そんな……! 親でございますよ!?」


「――親、ね。」

 

その時。

階段の上から、声が降ってきた。

景辰が振り向く。

翠華が、青い顔で階段の途中に立っている。

そして、その前に雨鈴が、いた。


「雨鈴、上へ戻れ。」


「いいの。」

 

雨鈴は、首を振った。


「もう、聞いちゃったから。」

 

一段ずつ、階段を降りてくる。

その足取りは、驚くほど落ち着いていた。

落ち着いているのが、かえって痛々しかった。

 

土間の二人が、雨鈴を見上げた。

その瞬間、二人の顔から、涙も、揉み手も、すっと消えた。


「……なんだ、本当に雨鈴じゃないか。」

 

男の声が、変わった。


「おい、お前。都で何をしてる。ずいぶんな身なりじゃないか。」


「あんた、黙って出ていって、三年も音沙汰なしでさ。」

 

女の声も、変わっていた。

媚びも、涙声も、そこにはなかった。

三年前まで、毎日この家で聞いていた声。

低くて、苛立っていて、こちらを人として見ていない声。

 

――ああ、そうだ。

雨鈴は、階段の下で足を止めた。

この声だ。この声が、怖かったんだ。

膝から力が抜けそうになる。

三年かけて剥がしたはずのものが、たった二言で、ぺたりと戻ってくる。

でも。

 

(……もう、いい。)

 

雨鈴は、顔を上げた。


「――お久しぶりです。」

 

自分でも驚くほど、静かな声が出た。


「わざわざ、ありがとうございます。ご用件は?」


「用件も何も、親に向かって。」


「用件は?」

 

もう一度、同じ調子で繰り返す。

男が、ぐっと詰まった。

それから、急に猫撫で声になった。


「……いや、なあ、雨鈴。お前もお偉い方に拾われて、良かったじゃないか。なあ。育ててやった恩ってもんが、あるだろう。うちも苦しくてなあ。ちょっとばかり、都合してくれてもいいんじゃないか。」


「銭ですか。」


「お、おい、言い方ってもんが。」


「いくら要るんですか?」

 

雨鈴は、まっすぐに男を見ていた。

その目に、男が一瞬たじろいだ。

そして、たじろいだことに腹を立てたらしい。


「……ちっ。相変わらず、気味の悪い目をしやがって。」

 

空気が、凍った。


「その目で、うちがどれだけ迷惑したと思ってる。近所からは白い目で見られる、店じゃ物も売ってもらえん。お前が余計なことを言うたびにだ。……こっちだって、好きで育てたわけじゃないんだ。押し付けられて、仕方なく――」


「――口を慎め。」

 

景辰の声が、低く落ちた。

それだけで、土間の温度が変わった。

男の口が、途中で止まる。


「私の側室に向かって、二度とその口を利くな。」

「そ、側室……?」

 

男と女の顔が、みるみる青くなり、そして次の瞬間、白々しいほどの笑みに変わった。


「そ、それは……! まあ、雨鈴、お前、そんな立派に! いやあ、母さんは信じてたよ、この子はやると――」


「聞け。」

 

景辰は、一歩前へ出た。


「この村で、この娘が何と呼ばれていたかも、家の内でどう扱われていたかも、私はもう聞いている。……全部だ。」

 

二人の顔から、笑みが落ちた。


「訴え出れば、貴様らの首は飛ぶ。この村ごと、二度と立ち直れんようにすることもできる。……私にはそれができる。」

 

男が、へたり込んだ。


「だが、しない。」


「!」


「この娘が、望まんからだ。」

 

景辰は、そこで初めて、雨鈴を見た。


「――どうする?決めろ。」

 

雨鈴は、しばらく黙っていた。

それから、袖の中から、小さな包みを取り出した。

旅の路銀として持たされていた、自分の銭だ。

それを、土間へ、静かに置いた。


「これで、終わりにしましょう。」


「あ、雨鈴……」


「育ててくれて、ありがとうございました。」

 

言葉は、丁寧だった。丁寧すぎるほどに。


「でも、もう二度と、私を探さないでください。都へも来ないで。……私は、あなたたちの娘じゃなくなりました。沈家の養女で、殿下の側室です。」

 

自分の口から出た言葉が、他人のもののように聞こえた。


「顔も、忘れます。」

 

それだけ言って、雨鈴は背を向けた。

階段を上がる。振り返らなかった。

背後で銭を掴む音と、何かを言い募る声と、蒼真が二人を外へ追い出す音が聞こえたが、一度も、振り返らなかった。

 

部屋に入り、戸が閉まった、その瞬間。

雨鈴の膝が、抜けた。


「雨鈴!」

 

景辰が支える。

その腕の中で、雨鈴は震え出した。声もなく、ただ、がたがたと。


「……こわ、かった。」


「ああ。」


「ずっと、こわかったの。あの声が。……三年経っても、全然、平気じゃなかった。」


「よく、やった。」

 

景辰の手が、背中に回る。

宿の一日目の夜と同じ、けれど今度は芝居でも何でもない、ただ人を支えるための腕だった。


「よく、やった。……あれ以上のことは、誰にもできん。」

 

雨鈴は、その胸に額を押し当てて、泣いた。

声を殺して、長いこと泣いた。

三年分と、それよりずっと前からの分を、全部。

 

戸口の外。

蒼真が、壁に背を預けて立っていた。

井戸端で村の女たちから聞いた話が、頭の中でぐるぐる回っている。

よく当たる子。不幸を呼ぶ子。あの子が言った通りになる。

 

――当たる、とは。

あの方が「私の力」と言った時、市井の目のことだと思っていた。

民の暮らしを知る目のことだと。

 

(……違う、のか?)

 

戸の向こうから、押し殺した泣き声が漏れてくる。

蒼真は、剣の柄を握りしめたまま、その場を動かなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。