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死を諦めた占い師は、皇子に目をつけられた  作者: ここば


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第六十話:白楊村

橋が、落ちていた。

前夜の雨で川が増水し、街道の橋脚が一本、持っていかれたのだという。

先触れの騎馬が戻ってきて、そう報せた。


「迂回路は?」


「北へ回る道が一本ございます。ただ、峠を越えますので、今日中に次の宿場までは……」

 

高峻が絵図を広げる。その指が、迂回路をなぞって、途中で止まった。


「この村で、一泊するほかないかと。」

 

指の先に、小さな文字があった。

――白楊村。

馬車の隅で、雨鈴の指が、掛布を握りしめた。


(……嘘でしょう。)

 

通り過ぎるだけのはずだった。街道から外れた、寄る理由もない村。そのはずだったのに。


「雨鈴?」


「……なんでもない。」

 

景辰が、こちらを見ていた。何か言いかけて、けれど言わなかった。

 

馬車が村へ入ったのは、日が落ちかける頃だった。

窓の隙間から、見覚えのある景色が流れていく。

井戸端。曲がった松の木。屋根の低い家々。

畑の向こうの、白い幹の並木。

この村の名の由来になった、白楊の木。

 

三年前と、何ひとつ変わっていなかった。

変わっていないことが、いちばん恐ろしかった。


(大丈夫。一晩だけ。誰にも会わない。会うわけがない。)


雨鈴は、膝の上で手を組んだ。

三年経った。背も伸びた。衣も違う。

誰も、あの頃の私だとは思わない。

思わないはずだ。

 

宿は、村の外れの、ささやかな建物だった。

馬車が停まり、扉が開けられる。

翠華の手を借りて、雨鈴は地面に降り立った。


久しぶりに踏む、この土の感触。

――その時だった。


「…………雨鈴か?」


背中に、声が刺さった。

振り向いてはいけない、と頭が言うより早く、身体が固まった。


道の向こうに、初老の男が立っていた。

籠を提げたまま、口を半開きにして、こちらを見ている。

あの顔を知っている。井戸の水汲みの順で、いつも大声を出していた男だ。


「おい、雨鈴だろ?お前、雨鈴じゃ――」


「――失礼。」

 

視界が、塞がれた。

蒼真だった。一歩で間に入り、こちらの姿を完全に隠す位置に立っている。

背中しか見えないのに、その背中が、はっきりと威圧していた。


「我らは、都よりの一行にございます。お人違いかと。」


「い、いや、しかし……」


「雨鈴様、こちらへ。」


翠華の手が、素早く肩を抱いた。

頭から薄衣を被せられ、視界が布で覆われる。

翠華はそのまま、雨鈴を宿の戸口へ押し込むように歩かせた。

布の向こうで、男の声が遠ざかっていく。


「……都の?じゃあ、あの娘、都で……偉くなったってのか……?」


戸が閉まった。

 

部屋に入ると、雨鈴は薄衣を握りしめたまま、その場に座り込んだ。

膝が、笑っていた。


「雨鈴様。お水を。」


「……ありがとう。」

 

差し出された碗を、両手で持った。

持ったまま、口に運べなかった。

手が震えて、こぼしそうだったからだ。

 

景辰が、静かに入ってきた。何も言わずに向かいに座り、雨鈴が落ち着くのを、ただ待っている。

どれくらい経っただろうか。


「……知り合い、なのか?」


「……うん。」


「この村に、いたのか?」


「……うん。」

 

それ以上は、言えなかった。

言葉にしようとすると、喉の奥が塞がる。あの家のこと。


「……ごめんなさい。まだ、うまく、言えない。」


「構わん。」

 

景辰は、それだけ言った。


「言いたくなったら言え。言いたくないなら、言わなくていい。」

 

その声が、あんまり静かだったので、雨鈴は少しだけ泣きそうになった。


景辰が部屋を出ると、廊下で蒼楽が待っていた。


「殿下。」


「――調べろ。」

 

声は、低かった。


「この村に、雨鈴がいたのはいつか。誰と暮らしていたか。……なぜ、村を出たか。」


「宿の連中に当たります。村の井戸端は、翠華さんが得意でしょう。」


「騒ぎにするな。あれの名は出すな。」


「承知。」

 

蒼楽が闇へ消えると、景辰は廊下の窓から外を見た。

宿の裏手。井戸の脇の暗がりに、灯りを持たない人影が一つ、音もなく動いていくのが見えた。

 

――柏峰。

あちらも、動いている。

同じ夜、同じ村で、二つの手が、同じものを掘り返そうとしていた。

 

報せが揃ったのは、夜半だった。


「――分かりました。」

 

蒼楽の顔から、いつもの軽さが消えていた。


「雨鈴ちゃんは、三年前まで、この村におりました。村の東の、古い家です。父母と、三人暮らし。」


「……父母。」


「はい。ただ。」

 

蒼楽は、そこで一度、言葉を切った。

「村での評判は、その……よくありません。よくない、というのは、あの子の方の評判です。」


「言え。」


「『不幸を呼ぶ子』と。」

 

部屋の空気が、動きを止めた。


「あの子は、幼い頃から、時々おかしなことを言ったそうです。あそこの牛が病む、とか。あの家の子が池に落ちる、とか。……で、その通りになる。」

 

当たり前だ、と景辰は思った。

当たり前だ。あれは、視えるのだから。


「初めは、よく当たる子だと言われていたようです。けれど、当たるたびに――当てたのはあの子だからだ、あの子が言ったからそうなったんだ、と。」

 

拳が、鳴った。


「村の者は、次第に近づかなくなりました。子どもらも、石を投げたと。……父母も、村での立場が悪くなる一方だったようで、あの子を家の内に置いて、外へ出さないようにしていたと聞きました。」


「……三年前は?」


「ある日、家から飛び出して、そのまま戻らなかったそうです。村の者は誰も探さなかった。……厄介払いができた、と。」

 

景辰は、答えなかった。

答えられなかった。

あの娘は、人の未来を視るたびに、人を助けてきた。

豊陽で、後宮で、何度も。

冷えて、震えて、倒れてまで。

その力を、この村は、そう呼んだのか。

――不幸を呼ぶ子、と。


「殿下。」

 

蒼楽の声が、いつになく硬かった。


「もう一つ、報せがあります。……たった今、宿の表に、人が来ています。」


「誰だ。」


「名乗っております。……雨鈴ちゃんの、父母だと。」


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