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死を諦めた占い師は、皇子に目をつけられた  作者: ここば


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第四話:城の温度

通された部屋は、広すぎて落ち着かなかった。

磨き上げられた床には曇り一つなく、調度は過不足なく整えられている。

整いすぎた空間が、ここが自分の居場所ではないのだと静かに主張していた。


「失礼いたします。」


振り返ると、一人の女性が入ってくるところだった。

落ち着いた所作で一礼するその姿には無駄がなく、慣れた動きの中に確かな自信が見える。


「本日よりお世話をさせていただきます、翠華すいかと申します。」


「……お世話?」


「衣食住の管理をはじめ、身の回りのお世話全般を。」


「聞いてないんだけど。」


「承っております。」


会話が噛み合っているのか分からない。

雨鈴は窓の外を見た。

手入れの行き届いた庭。白い石畳の先に水盤があり、風が吹くたび水面がかすかに揺れている。

きれいだと思う。

でも、息が詰まる。


「翠華。」


「はい。」


「ここって、いつもこんなに静かなの?」


「静かでございますか?」


「人がいるのに、音がしない。裏路地の方がよっぽど賑やかだった。」


翠華はわずかに間を置いた。


「この場所では、大きな音を立てる方が不自然なのです。」


「どういう意味?」


「声が大きいほど、聞かれる言葉も増えますから。」

さらりと言う。


でもその一言に、城の空気が凝縮されている気がした。

「……みんな、聞かれたくないことがあるの?」


翠華は否定しない。

雨鈴は昨日の光景を思い出した。

城に入った瞬間、人垣の中にいた冷えた目。

心配するふりをしながら、景辰を値踏みしていた視線。


「翠華。景辰の敵って、城の中にいる?」


直接的すぎる問いだったかもしれない。

でも遠回しにしている余裕がない。


翠華は少しだけ目を細めた。


「殿下には味方も多くおられます。ですが——それと同じだけ、そうでない方もおられます。」


「城の中に。」


「ええ。」


「昨日見た。景辰を値踏みしてる目が、人垣の中に何人かいた。」


沈黙が落ちる。

翠華は答えない。でも否定もしない。


「気のせいじゃないよね?」


「……雨鈴さまは、よく見ておられるのですね。」


それが答えだった。

やっぱり、そうだ。


「ここで生き延びるには、何を知っておけばいい?」


翠華は静かに口を開いた。


「余計なことを話さないこと。余計なところへ行かないこと。

そして誰が殿下の味方か、そうでないか。見極めるまでは、誰も信じないこと。」


「翠華も?」

間髪入れずに問い返すと、翠華は一瞬だけ目を丸くした。


それから、静かに微笑んだ。


「私のことは、ご自身でお確かめください。」


その答えが、妙に誠実に聞こえた。


その日の午後だった。

廊下を歩いていた雨鈴は、角を曲がりかけたところで足を止めた。


「珍しい顔だな。」


廊下の先に、男が立っていた。

年の頃は景辰と同じくらい。

柔和な顔立ちに、穏やかな笑みが浮かんでいる。

身に着けている衣は豪奢で、腰に下げた玉飾りの品が目を引いた。


「景辰殿下に呼ばれた者です。」


警戒しながらも、短く答えた。


「ああ、君が蘇雨鈴か。」

男はにこりと笑った。


「……ええ。」


予想外の言葉に表情を崩さないまま答えながら、内心で息を整える。

この男は、既に自分の存在を知っていた。

いつから。

どこで。

誰から。


「俺は志遠しえんという。ちょうど景辰殿下の見舞いに行こうと思ってね。」

男は穏やかな声で続ける。


「景辰とは、古い付き合いだ。」


「そうですか。」


「景辰殿下の具合はどうだった?側にいたなら、分かるだろう?」

さらりと落ちてきた問いに、一拍置いた。


「医師方がついておられますので、私には。」


「そうか。」

志遠と名乗った男は微笑んだまま頷く。


「では、これから確認しに行くとしよう。」


「はい。」


「またな、雨鈴。」


軽く手を上げて、男は廊下を歩いていく。

その背中を、動かずに見送った。


足音が完全に聞こえなくなってから、ゆっくりと息を吐く。

手が、少しだけ冷えていた。

名乗っていないのに、名前を知っていた。

景辰の古い知人だと言ったが、それだけで城に来た客の名前まで把握しているものだろうか。


(……何者なんだろう。)

何故か胸がざわつく。

そのざわつきを抱えながら部屋へ戻ると、翠華がさきほどの場所にいた。


「翠華。」


「はい。」


「廊下で志遠という人に声をかけられたの。景辰の見舞いに行くと言っていたけど。」


翠華の手が、一瞬だけ止まった。

「……どのようなお方でしたか。」


「年は景辰と同じくらい。柔和な顔で、衣が豪奢だった。」


翠華はわずかに考えるような顔をした。

「志遠、でございますか。」


「心当たりある?」


「いいえ。」

翠華は静かに首を振る。

「ただ——衣が豪奢で、景辰殿下と同じくらいの年頃とあれば、身分のある方かもしれません。」


名前を知っていた。

景辰の見舞いに来た。

でも翠華は知らない。


「翠華。明日、景辰のお見舞いに行ってもいい?」


翠華は少し考えてから、静かに頷いた。


「殿下もそれを望まれると思います。」


「そうかなぁ。」


窓の外、庭の水盤に風が吹く。

水面が揺れて、また静かになる。

(あの男が何者か、景辰に聞いてみよう。)

そう思いながら、景辰の憎まれ口が恋しくなっている自分に驚くのだった。




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