↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死を諦めた占い師は、皇子に目をつけられた  作者: ここば


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/95

第三十九話:出遊日和

雨鈴の文に、明琳からはすぐに承諾の返事が来た。

文面は綺麗に整っていたが、墨の線がところどころ震えていた。


そして、当日。

約束の茶楼の前には、既に一人の青年が立っていた。

仕立ての良い、けれど華美ではない衣。

姿勢のいい文官風の立ち姿は、遠目にも生真面目さが滲んでいる。

 

――あれが、子謙様。

青年はこちらに気づくと、足早に歩み寄り、まず景辰へ深く礼をした。


「第三皇子殿下にはご機嫌麗しく。杜子謙(としけん)にございます。此度は、身に余るお誘いを賜り……」


「堅苦しいのはなしだ。今日は忍びでな。」


「は。……雨鈴様も、お噂はかねがね。お会いできて光栄です。」


そして、子謙の視線が、最後の一人へ移った。

時が、止まった。

数年ぶりに向き合う二人は、互いの顔を見つめたまま、動かない。先に口を開いたのは、子謙だった。


「……明琳。久しぶりですね。」


「…………はい。」


「いかがお過ごしでしたか?」


「そ、その……」


明琳の言葉が、そこで迷子になった。

文の中ではあれほど笑い合えた二人が、三歩の距離で凍りついている。


「さっ! まずは歩きましょう!ね!今日は市に、観劇に、盛りだくさんなんですから!」

雨鈴は両手を打ち鳴らし、凍った時を強引に溶かして歩き出した。


市を巡るうち、場は少しずつ、ほぐれてはきた。

子謙は任地の話を面白く語れる人だったし、明琳も時折、昔のような笑みを見せた。

けれど――その笑みは、ふとした瞬間に、すっと薄くなる。

楽しそうな声の底に、楽しみきれない何かが沈んでいるのが、隣を歩く雨鈴には分かった。

噂が、頭をよぎるのだ。よそに、心から愛する想い人がいる――。


そしてその硬さは、聡い子謙にも伝わってしまう。

会話が途切れ、気まずい沈黙が落ちるたび、雨鈴は必死に話題を投げ込んだ。

あの屋台の饅頭が評判だの、この通りの猫は肥えているだの、我ながらよくもまあ出てくるものだと思うほどに。

そんな雨鈴の横顔を、景辰が静かに見ていたことに、本人だけが気づいていなかった。


昼食を終え、一行は芝居小屋へ入った。

ところが席の並びが悪く、二人ずつ、離れて座るしかないという。願ってもない、と雨鈴は思った。

ここで明琳様と子謙様を並べれば――。

そう算段した矢先、袖を、くい、と引かれた。


「(む、無理です、雨鈴様……!)」


振り向けば、明琳が涙目で耳打ちしてくる。


「(二人きりなんて、何を話せば……お願いです、どうか……!)」


……これは、無理強いする段階ではない。


「はーい! じゃあ、こっちは女同士で観たいでーす!殿方はあちらでどうぞ!ね、いいでしょ?」

 

雨鈴のわがまま、という体で、席は女組と男組に分かれた。

景辰が一瞬こちらを見たが、何も言わずに子謙を連れて行った。

芝居が始まっても、隣の明琳は舞台を見ていなかった。


「……やっぱり、駄目でした。気まずくしてしまう。せっかく雨鈴様も気遣ってくださっているのに。」


膝の上の手が、白くなるほど握られている。


「このままでは、私……嫌われてしまいます。」


「大丈夫。」


雨鈴はその手に、自分の手を重ねた。


「大丈夫。……ゆっくりでいいんです、きっと。」


根拠なんて、なかった。ただ、そう言うことしかできなかった。

 

夕暮れ。別れの刻限が来た。

茶楼の前まで戻り、では、と挨拶を交わしかけた、その時だった。


「――明琳。」

 

子謙が、一歩、前に出た。


「少しだけ、二人で話せませんか?」

 

明琳の肩が跳ねる。けれど今度は、俯かなかった。

小さく頷いて、二人は柳の木の下へ歩いていく。

雨鈴と景辰は、物陰からこっそりとそれを見守った。

何かあれば飛び出せる距離で、聞こえるか聞こえないかの距離。

それでも、夕風がひとつ、言葉を運んできた。


「……噂のことを気にしていると、殿下から聞きました。。ですから、はっきり言わせてください。私が心から愛しているのは――昔から、あなた一人です。明琳。」


柳の下で、明琳が両手で顔を覆った。肩が震えている。

泣いているのだと分かるのに、少しも心配にならない泣き方だった。


「……ど、どういうこと?」


物陰で、雨鈴は小声で騒いだ。


「噂は?想い人がいるって話は?え、何がどうなって。」


「観劇の間に、聞いた。」


景辰は、事もなげに言った。


「男二人で座って芝居を観るほど、俺も暇ではないのでな。単刀直入に尋ねた。――噂は、本当だそうだ。」


「ええ!?」


「ただし、その『心から愛する想い人』とやらは、明琳のことだ。任地で持ち込まれる縁談を、あれは全部『心に決めた人がいます』と断っていた。その断り文句だけが独り歩きして、回り回って妙な噂になった。」

 

……なんだ、それは。


「おまけにあの男、今日の明琳の様子がおかしいものだから、『離れている間に、嫌われてしまったのでしょうか』と俺に悩みを吐き出す始末だ。だから言ってやった。――そのままの想いを、そのまま伝えろ。伝えぬまま後悔するのは、貴様だぞ、とな。」

 

雨鈴は、ぽかんと口を開け、それから――胸の底から、笑いが込み上げてきた。


「なーんだ……なんだあ。じゃあ私、朝からずーっと、一人で空回ってただけだったのね。」


「そうなるな。」


「……ふふ。でも、よかったぁ……」


柳の下では、明琳が泣き笑いの顔で何度も頷いている。

それを見ていたら、空回りの一日ごと、全部報われた気がした。

雨鈴は目尻を拭って、それから、隣の男を見上げた。


「でも、意外。景辰にそんな優しいところがあったんだね?」


精一杯の、意地悪な笑みを向けてやる。

景辰は前を向いたまま、ふん、と鼻を鳴らした。


「……まあな。」


そして口には出さず、心の中でだけ、付け足した。

――お前が、朝からずっと、頑張っていたからな。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。