第三十二話:子の刻の映像
翌日の昼、景辰は調べへの参加の権を、初めて目に見える形で使った。
「取り調べの様子を、こちらからも検分したい。……口は挟まん。見るだけだ。」
禁衛の詰所の奥、格子窓のある小部屋が用意された。
景辰の後ろには、使いの少年がひとり。誰も、少年の目が何をしているかなど気に留めない。
格子の向こうに、三人が順に引き出された。
厨の下役、陳三。日に焼けた首を縮め、問われるたびに大声で無実を喚く男。
差配役、李順。背筋を伸ばし、淀みなく、しかしどこか他人事のように答える男。
そして、梅香。
細面の、四十絡みの女官だった。取り乱しもせず、卑屈にもならず、問いには短く、正確に答える。その姿は「綺麗すぎる身辺」の紙束と同じで――どこにも、掴みどころがなかった。
――三人とも、覚えた。
雨鈴は目を伏せ、三つの顔を胸の奥に刻み込んだ。
その夜から、未来視を始める。一時間ごとに、三人をそれぞれ十秒ずつ視る。
それが景辰と決めた矢の使い方だった。
問題は、ひとつ。部屋には常に、春燕と厳鋭の目があることだ。
そこで。
「……ねえ、殿下。」
雨鈴は意を決して、部屋に来た景辰の胸に、ぽすん、と額を押し付けた。
「わたし、不安で、不安で仕方ないの……。お願い、少しだけ……ふたりきりに、して?」
部屋の空気が、固まった。
春燕が目を丸くし、厳鋭の眉がわずかに動く。
言った本人は、羞恥で頭から湯気が出そうだった。
誰よ、この台詞を考えたの。私よ。他に思いつかなかったのよ。
「……そ、うか。」
頭上から降ってきた声は、心なしか上ずっていた。
「不安、なのだな。うむ。……皆、下がれ。しばし、二人にしてくれ。」
春燕たちが心得顔で下がっていく。戸が閉まった瞬間、二人は同時に距離を取った。
「~っ、言っておくけど、演技だから!」
「分かっている!いちいち言うな!」
言い合う景辰の耳が赤いことには、幸い、雨鈴が自分の顔の熱さで気づく余裕はなかった。
互いの心の臓の音が、妙にうるさい夜だった。
未来視は、淡々と進んだ。
亥の刻。陳三は牢の隅で鼾をかき、李順は座したまま目を閉じ、梅香は膝を揃えて壁を見ていた。
そして、日付が変わる頃合いを視た、その時だった。
――子の刻。梅香の牢。
薄闇の中、梅香が床に伏している。
眠っているのではない。胸が、上下していない。指の一本すら、ぴくりとも動かない。
「……っ!」
雨鈴は跳ねるように目を開け、景辰の袖を掴んだ。
「梅香が――子の刻、動かなくなってる。一時間前は、生きてた。座って、壁を見てたのに。」
「……その間に、何かがある。刻め。」
頷いて、また目を閉じる。半刻先。四半刻先。矢を細かく、細かく――そして、とうとう核心の場面が、視えた。
牢の隅で、梅香が膝をついている。
その手の中に、あるはずのないものがあった。……縄だ。牢の中に、あるはずのない。
梅香は縄を胸に抱くように持ち、天井ではなく、どこか遠くへ向かって、囁いた。
「――小蓮。ごめんね。姉ちゃんは、先に逝きます。……私の分まで、生きて。」
静かな、覚悟しきった声だった。
梅香が立ち上がる。そこで、十秒が尽きた。
雨鈴は目を開けた。頬に、冷たいものが伝っていた。いつの間にか、泣いていた。
「……縄で、自害するわ。今夜、子の刻。小蓮って誰かに、私の分まで生きてって……」
「――牢の中に、縄だと。」
景辰の声が、刃の温度になった。
「差し入れた者がいる。禁衛の牢の、奥の奥にだ。……つまり敵の手は、牢の中まで届いている。そして梅香は、死んで口を閉じる側の駒だ。」
景辰は立ち上がった。
「未来は、変えられる。縄が届く前に、届けに来る者ごと押さえる。――蒼楽!」
子の刻より、半刻前。
牢の奥へ続く通路で、水桶を提げた下働きの男が、音もなく取り押さえられた。
桶の底の、二重底。細く固く編まれた縄と、小さく畳まれた文が一枚。
「……確保!殿下、ブツもあります!」
だが、蒼楽が縛り上げるより早く、男の喉が、ごきりと鳴った。
「っ、しまっ――」
男は白目を剥いて崩れ落ち、そのまま、こと切れた。奥歯に、毒を仕込んでいたのだ。
差し入れの駒にまで、死に装束を着せてある。どこまでも、周到な敵だった。
それでも。
景辰は、桶の底から出てきた文を、灯りにかざした。梅香に宛てたものと思われる、短い文面。
『妹の命が惜しくば、これを使い、自ら始末をつけよ。なお、この文は持参の者に返すこと』
「……文は、回収させる段取りか。とことん、跡を残さん奴らだ。」
だが、と景辰は口の端を上げた。
運び手は死に、回収されるはずだった文は、いま、この手の中にある。
「――初めて、尻尾を出したな。」




