第二十九話:三人の使い
茶会は、最悪の形でお開きとなった。
毒物の混入が疑われる以上、亭にいた者は誰ひとり、そのまま帰ることを許されない。
客も供も一人残らず禁衛(城の警護を司る兵)の検めを受け、口にした物、触れた器、座った場所を細かく問われた。
主催者である紫蘭と、配膳に関わった侍女たちは、参考人として禁衛の詰所へ連れられていった。
騒ぎを聞いて駆けつけた第一皇子・景恒は、青ざめた客たちの前で深く頭を下げた。
「私の宮の催しで、このような仕儀となったこと、まずは詫びる。……この一件、必ず解き明かす。皆はどうか、禁衛の調べに力を貸してほしい。」
その言葉が終わるのを待って、景辰が進み出た。
「兄上。ひとつ、願いがございます。」
「……景辰か。申せ。」
「毒を受けたのは、私の宮の女官です。主として、座視はできません。――調べに、私の者も加えていただきたい。」
兄弟の視線が、一瞬、絡んだ。
やがて景恒は、頷いた。
「よかろう。被害はそちらの人。道理だ。」
宮へ戻ると、医師が翠華の容体を告げに来た。
すぐに吐き出したことと、口にしたのがひと口だったことが幸いし、命は取り留める見込みだという。
ただし毒は強く、意識はまだ戻らない。数日は、予断を許さない――と。
雨鈴は、話を半分も座って聞けなかった。立って、座って、また立って。翠華の眠る部屋の方角ばかり見てしまう。
「雨鈴ちゃん、座ってなって。倒れますよ。」
「……だって。」
「今、あの人に必要なのは静かな部屋と医師です。俺たちに必要なのは――次の手」
蒼楽は珍しく、笑っていなかった。卓の上には、亭の見取り図と、客の名を書き出した紙。
「で、殿下。調べには誰を出します?言っときますけど、俺の本務はあくまで殿下の護衛ですからね。雨鈴ちゃんに専属を付けたいところですけど……正直、人が足りません。」
「分かっている。調べには高峻を出す。あれは文官だが、目端が利く。」
「禁衛と第一皇子の宮が相手じゃ、一人は心細いですねえ。それに、肝心の雨鈴ちゃんの傍が手薄なまま……」
そこへ、こん、こん、と扉が鳴った。
「殿下にお目通りを願う者が、三名参っております。」
現れたのは、見覚えのない三人だった。
年嵩の女官がひとり、屈強な警護がひとり、それに文官風の細面がひとり。
三人は揃って礼をし、年嵩の女官が口上を述べた。
「麗妃様の、お言いつけにございます。」
景辰の眉が、ぴくりと動いた。母の名だった。
「『翠華が倒れたとあらば、雨鈴どのの世話をする者がいないでしょう。女官の春燕を使いなさい。警護には厳鋭を。それから調べには、文修を加えるとよい。この者は毒に明るい』――以上にございます。」
「…………」
景辰は、長いこと黙っていた。
事が起きて、まだ半日。もう何もかも耳に入れて、人選まで済ませている。
世話役に、警護に、毒に明るい調べ役。今この宮に空いた穴の形、そのままの三人だった。
「……三人とも、ありがたくお借りする。春燕殿には雨鈴の世話を。厳鋭殿には、雨鈴の身辺の警護を頼む。文修殿は、高峻と共に調べに入ってもらう。」
「承りました。」
三人が下がると、蒼楽が小さく口笛を吹いた。
「いいんですか、殿下。あの三人、半分は麗妃様の目と耳ですよ。宮の中のこと、筒抜けになりますけど。」
「分かっている。」
景辰は、むっとした顔を隠しもしなかった。
「……だが、今は雨鈴の身が先だ。狙われていると分かっていて、傍を空けてはおけん。母上の目くらい、くれてやる。」
「はいはい、ご馳走さまです。」
「何がだ。」
蒼楽は答えず、笑いを噛み殺しながら見取り図に戻った。
その夜、雨鈴は自室へ戻された。眠れ、と言われたが、眠れるはずもなかった。
灯りを引き寄せ、筆を取る。
忘れないうちに。一つも、こぼさないうちに。
紙の上に、今日の記憶を書き出していく。座の並び。紹介された名。右頬に黒子の礼部尚書の姫。
翡翠の歩揺の大臣の奥方。数珠の刀自。配膳の侍女は幾人いて、菓子の皿はどちらの袖から出て、誰の手を経て、自分の前に置かれたか。
あの菓子は、私の皿だった。
つまりあの毒は、翠華ではなく――私に、盛られたものだ。
筆の先が、一度だけ震えた。構わず、書き続ける。怖がるのは後でいい。今やるべきは、視る相手の見極めだ。私の一日は、たったの五分。無駄撃ちは、できない。
書き終えた紙を、雨鈴はじっと見下ろした。
顔は、覚えている。名前も、繋いだ。
――さあ。誰の未来から、視る?




