第二十話:夜明けの刑場
夜明けの刑場は、役所の前の広場に設えられていた。
急な布告にもかかわらず、人垣は幾重にもなっていた。
眠い目の男たち、子を抱いた女、まだ暗いうちから駆り出された役人たち。
囁きだけが、波のように広場を満たしている。
その中央に、白い装束の魏長順が引き据えられていた。
痩せた背は、まっすぐだった。
三日と言われた命が一晩で尽きることを、この男はもう恨んでもいないように見えた。
壇上の鄭栄達が、書状を掲げる。
「これより、民を殺めし罪人・魏長順の刑を執行する!」
「お、お待ちください!」
壇の下から暁陽が叫んだ。
「昨夜、皇子殿下の名で通達を――」
「かような通達、正規の手続きを踏んでおらぬ。」
鄭栄達は、見向きもしなかった。
「布告は成り、刻限は来た。……始めよ。」
太鼓が、鳴り始めた。
一打ごとに、人垣の囁きが薄れていく。刑吏が進み出て、刀が朝の光を鈍く撥ねた。
二打。三打。
魏長順が、静かに目を閉じた――その時。
太鼓の音を、馬蹄が踏み割った。
「その刑、待てッ!」
人垣が割れる。馬上の景辰が広場を突っ切り、壇の前で手綱を引いた。
後ろに騎馬が続き、その一頭から縄付きの男が引き下ろされる。
雨鈴は使いの少年の姿のまま、馬を降りた。
心臓がまだ、馬蹄の速さで鳴っている。――間に合った。
「……これは、殿下。」
鄭栄達の声は、あくまで丁重だった。
「刑の場にございます。いかな殿下とて、県令の権をもって定めた刑を、私情でお止めになることは。」
「私情ではない。新事実だ。」
景辰は馬を降り、壇を見上げた。
「昨夜、東の廃廟にて、七名の者を捕らえた。得物を携え、人ひとりを待ち伏せ、殺せと命じられたと申し立てている。――この事件の証しを握る者の、口を封じるためにだ。」
人垣が、ざわりと揺れた。
「七名の仕着せには、東市の商人・周達の店の印があった。……鄭県令。裁きの済んだはずの事件で、なぜ今も人の口を封じる要がある?」
「ぞ、存じませぬ。商人の不始末など、当方の与り知らぬこと――」
「では、これはどうだ?」
景辰が顎をしゃくると、縄付きの男が引き出された。
その顔を見て、役人たちの列から、声にならない声が漏れた。
「……袁仁傑。」
袁は、広場の真ん中で膝をついた。一晩で十も老けたような顔を上げ、絞り出す。
「わ、私が……私が、やりました……!」
どよめきが、爆ぜた。
「あの日、裏道で、民の男を……刺したのは、私です……。 魏長順殿は、何も……何もしておられない……。」
「罪人の世迷い言だ!」
鄭栄達が壇上から怒鳴った。額に、汗が浮いている。
「刑を逃れんとする者と、罪を売らんとする者の猿芝居! 証拠が、どこにある!」
「ある。」
景辰は懐から、布包みを取り出した。解かれた布の中で、小刀が朝日を受ける。
「凶器だ。柄尻に『袁』の刻み名。死んだ男が己の腹から抜き、息を引き取る間際に託した――『これが奴のやった証拠だ』と言い遺してな。託された者は生きており、証言の用意がある。」
そして、と景辰は続けた。
「袁の申し立てには、傷の向き、刺した手、倒れた場所――検分の記録にすら残っておらぬ子細が揃っている。なぜ残っていないか? お前の役人が、現場をろくに検めもせず、洗い流させたからだ。その証人も、いる。」
鄭栄達は、口を開き――何も、出てこなかった。
広場は、もう静かではなかった。誰かが叫んだ。
「李清遠様の時と同じだ!」「あの取り立ても調べろ!」
堰を切ったような声が、波になって壇へ押し寄せる。
この街の民は、三年分、黙らされていたのだ。
「鄭県令。」
景辰の声が、その波を貫いた。
「刑の停止と、再吟味を求める。……これでもまだ、太鼓を打たせるか>」
長い、長い沈黙のあと。
鄭栄達は書状を下ろし、砂を噛むような声で言った。
「……刑を、停止する。当該の件は……再吟味と、いたす。」
広場が、沸いた。
魏長順はその場に崩れ落ち、両手で顔を覆った。
震える嗚咽が、歓声の下から聞こえた。
雨鈴は、詰めていた息をようやく吐き出し――ふと、視線を感じて顔を上げた。
人垣の外れ。歓声にも、どよめきにも染まらない場所に、痩せた長身の男が立っていた。
趙明徳。
騒ぎを見る目ではなかった。盤面の駒を、静かに数え直す目だった。
その目が一瞬、確かに雨鈴を捉え――男は何も言わず、踵を返して人垣の向こうへ消えた。
朝日が、刑場だった広場を照らしていく。
終わった、のではない。
――ここからが、断罪だ。




