↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死を諦めた占い師は、皇子に目をつけられた  作者: ここば


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/95

第十七話:三つの顔と、ひとつの名

翌日の昼前。暁陽の段取りは、見事なものだった。


最初の客は、東市の豪商・周達。名目は、殿下が滞在中の入り用の品を購いたい、というものだ。

通された周達は、絹の袍をまとった、ふくよかな男だった。頬は柔らかく、声はよく通り、腰は低い。

運ばせた反物や香を景辰の前に並べ、よどみなく口上を述べる。


「いやはや、殿下にお声がけいただけるとは、豊陽の商人冥利に尽きまする。」


「良い品だ。……この街は、商いがしやすいか?」


景辰が何気なく問うと、周達は揉み手のまま、するりと答えた。


「お上がしっかりしておられますから。おかげさまで、皆、安心して商いに励めております。」


安心して。月ごとの取り立てに縛られた商人たちの顔を思えば、白々しいにも程がある答えだった。

だが声にも表情にも、綻びひとつない。


部屋の隅で茶器を運びながら、雨鈴はその顔を見た。

――笑っている。頬も、口も、声も。

目だけが、笑っていない。

品の値を言うときも、景辰の顔色を読むときも、その目は算盤のように動き続けている。

商人の油断のなさ、と言えばそれまでだ。けれどこの男の店の者が、今夜、廃廟に刃を伏せる。


(覚えた)


ふくよかな頬。薄い眉。笑わない目。もう、思い返せる。

周達は最後まで如才なく笑い、値切られた分まで愛想に変えて帰っていった。


昼過ぎ、二人目。役所に趙明徳を訪ねた。名目は、魏長順の件の照会だ。

趙明徳は、痩せた長身の男だった。

周達とは逆に、口数が少ない。景辰の問いに、必要なことだけを、必要な分だけ答える。


「刑は、明後日の朝にございます。」


「証言した民に、話を聞きたいのだが?」


「民の心が乱れますゆえ、なにとぞ。」


「魏長順は、罪を認めていないと聞くが。」


「罪人とは、そういうものにございます。」


間を置かない返答だった。疑うという工程が、初めから存在していないような。

声は丁寧で、平坦だった。池の水面のように、何を落としても波紋が立たない。

雨鈴は書役の振りをして、筆を動かしながらその顔を刻んだ。

細い目。こけた頬。感情の乗らない声。


と、趙明徳の視線が、ふいにこちらへ流れた。

一瞬。ほんの一瞬、目が合う。

使いの少年を見る目ではなかった。値踏みでもない。

ただ、置かれた駒の数を数えるような――そういう目だった。

雨鈴は目を伏せ、筆を動かし続けた。指先が、視てもいないのに冷たかった。


三人目の孫建文は、景辰が役所の帳簿方に呼び出した。

その間に――雨鈴は、暁陽と共に街へ出た。

名目は、孫建文の家への使いだ。照会に要る古い帳簿の写しを、屋敷から受け取ってくる。

主が役所に居る刻限を、わざわざ選んで。

 

孫建文の家は、街の東の外れにあった。小さいが、掃除の行き届いた家だった。

戸を叩くと、若い娘が顔を出した。


「はい、どちらさまで――」


年の頃は、雨鈴と同じくらいだろうか。木綿の襦裙に、飾り気のない髪。

けれど、その頬は健やかに色づいて、目がよく動いた。

暁陽が来意を告げる。

役所にて孫殿より借り受ける話になった、古い帳簿の写しを、受け取りに参った――と。

 

娘は、困ったように眉を下げた。

「父から、何も聞いておらず。すいません……あの、お茶でも。」


「話が決まったのは、つい先ほどですので。お聞き及びでないのも、無理はありません。……お探しいただく間、こちらで待たせていただきます。」

 

娘はほっとした顔になり、それでも恐縮しきりで奥へ入っていった。


「父の物は、いつも決まった棚にありますから、すぐに。」

 

待つ間、雨鈴は土間の隅に目をやった。

上がり框に、裁ちかけの紅い布が畳まれている。傍らに、真新しい針山と、祝いの飾り紐。

やがて娘が、埃を払った風呂敷包みを抱えて戻ってきた。受け渡しの折、雨鈴の視線の先に気づいて、少し頬を染める。


「……秋に、祝言を挙げるんです。それで、その、支度を。」


「それは、おめでとうございます。」

 

暁陽が如才なく応じると、娘は嬉しさを隠しきれないように笑った。


「ありがとうございます。父は、ずっと苦労のしどおしだったから……せめて花嫁姿を見せられるのが、私の親孝行で。」

 

母を早くに亡くし、父の手ひとつで育てられたのだと、娘は問わず語りに話した。

近頃は父の帰りが遅く、顔色も優れないから、祝言までに精のつくものを覚えたいのだ、とも。


――帰りが遅い。顔色が、優れない。

その理由を、この娘は知らない。

幸せが、声からこぼれていた。


「お相手は、同じ役所にお勤めの方なんです。袁仁傑様、という――」

 

その名を聞いた瞬間。

雨鈴は、自分の顔から表情が落ちないように、全部の力を使った。


袁仁傑。

人を殺した男。今夜、刃を伏せて人を待つ男。父親の弱みの、たぶん、いちばん深いところにいる男。


「……お幸せに。」

声が、掠れずに出たことだけが救いだった。

娘は、はい、と花のように笑って、頭を下げた。


帰り道、暁陽は何も言わなかった。ただ一度だけ、「……幸せそうでしたね」とだけ呟いた。

夕暮れの往来を、雨鈴は俯いて歩いた。


真相を暴けば、魏長順は助かる。李清遠の冤罪も晴れる。死んだ男の仇も討てる。

――そして、あの娘の祝言は、消える。

紅い布と、針山と、こぼれるような笑顔を思い出す。

父の罪も、婚約者の罪も、あの人はまだ何も知らない。知らないのは、罪だろうか。


……いいえ。

知らせずにおいて、その上で全部を奪おうとしている者たちがいる。

壊すのは私たちじゃない。とうに壊れていたものを、あの人はまだ、見せられていないだけ。


(それでも)


雨鈴は、顔を上げた。

知らないままの幸せの下で、明後日の朝、無実の男の首が落ちる。それだけは、あってはいけない。

 

邸に戻ると、景辰が窓辺に立っていた。西の空は、もう茜に沈みかけている。


「顔は、揃ったか?」


「……ええ。三人とも。」


「そうか。」


景辰は短く頷き、暮れていく街へ目を戻した。


「日が落ちる。――今夜だ。」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。