第十五話:遺された刃
「……あなたこそ。」
先に口を開いたのは、蒼楽だった。声はいつもの調子のまま、目だけが笑っていない。
「なぜ、この事件のことを知りたいんです?」
旅人は、すぐには答えなかった。
「……犯人は捕まった、と聞きました。なのに、まだお役人様が調べていなさる。それは、なぜかと思いまして。」
そう言って、こちらを値踏みするように、蒼楽と暁陽を交互に見る。着ているものを、腰の剣を、そして顔つきを。値を付けるような、用心深い目だった。
「細かいところまで調べ、真実を突き止めるためです。」
暁陽が答えると、旅人は少しだけ首を傾げた。
「……隠すためでは、なく?」
空気が、張り詰めた。
この男、何かを知っている。
だが、こちらを試している。役人と名乗った瞬間に口を閉ざす類の、何かを。
蒼楽は暁陽と目を見交わし――いちかばちか、言った。
「我々は、別の犯人の可能性を考えています。捕らえられた男は、無実かもしれない。」
旅人の眉が、動いた。
「もし何か知っているなら、教えてほしい。……あと三日で、無実の男の首が落ちる。」
長い沈黙だった。
旅人は通りの左右を確かめ、それから声を落とした。
「……私は、あの日、この近くを歩いておりました。」
旅人の話は、こうだった。
あの日、街の喧噪を避けて裏道を歩いていると、短い叫び声が聞こえた。
駆けつけてみれば、この通りに男が一人、腹を刺されて倒れていた。
「呼びかけると、まだ、かすかに息がありました。」
助けを呼びに大通りへ走ろうとした。
その腕を、血に濡れた手が掴んだ。
男は、自分の腹に刺さったままの小刀を――最後の力を振り絞って、引き抜いたのだという。
「『これが……奴がやった、証拠だ』と。そう、かすれた声で。」
そのへんの役人に渡せば、なかったことにされるかもしれない。
だから。
「『後生だから……こいつを、うまく使って……俺の、仇を』……そこで、こと切れました。」
旅人は、目を伏せた。
「見ず知らずの私に、です。よほど、この街の役人が信じられなかったのでしょう。」
旅人はとっさに小刀を懐へ隠し、人を呼びに走った。検分に来た役人に渡すつもりだった。だが――。
「その検分が、あまりにひどかった。倒れた場所も、傷も、ろくに見もせず……『とりあえず、きれいにしておけ』と、掃除夫に洗わせて、それで終いです。」
調べる気がない。むしろ、消している。
そう感じた旅人は小刀を渡しそびれ、以来、毎日この場所へ足を運んでいたのだという。
いつか、信じられそうな誰かが、ここを調べに来るのではないかと。
「……あなた方が、その誰かであればよいのですが。」
蒼楽と暁陽は、顔を見合わせた。
「――その小刀、見せてもらえますか?」
旅人は懐から、布に包んだものを取り出した。
解くと、鞘のない小刀が現れる。刃にこびりついた血は、すでに黒く乾いていた。柄は役人が帯びる官給の拵え。そして、その柄尻に――名が、彫り込まれていた。
「……袁。」
暁陽の声が、かすれた。
袁仁傑。あの日の朝番。
調べも受けず、問えば逃げた男。
「悪いようには、しません。」
蒼楽が旅人をまっすぐ見た。もう、へらりとした笑みはなかった。
「これを、預からせてください。亡くなった方の言伝ごと――必ず、うまく使います。あなたの名と宿も、教えてもらえますか。決して表には出さない。」
旅人は小刀と二人の顔を何度か見比べ、やがて、深く頷いた。
宿に駆け戻った二人の報告を、景辰は黙って聞いた。
卓の上に置かれた小刀を手に取り、柄尻の刻み名を、灯りに透かす。
「……これだけでは、証拠にならんな。」
静かな声だった。
「袁の名が彫ってあろうと、盗まれたと言い張ればそれまでだ。死人の言葉を聞いたのは、旅の者一人。鄭の法廷では、握り潰される」
「ですよねえ……。」
蒼楽が肩を落としかけた、その時。
「だが。」
景辰は小刀を置き、口の端を上げた。
「使い道はある。死んだ男は、命と引き換えにこれを遺した。無駄にはせん。――よくやった、二人とも。」
蒼楽と暁陽が、思わず顔を上げる。
景辰の視線が、ゆっくりと部屋の隅へ動いた。
使いの少年の姿のまま、話を聞いていた雨鈴へ。
「雨鈴。」
「……何?」
「お前の出番だ。」
ニヤリ、と。
この皇子には珍しい、悪童のような笑みだった。




