マーキング
僕は天岩戸目隠れ系女子になってしまったトイレの花子さん(自称)に尋ねました。
「前髪、どうしたんですか?」
自称花子さんは両手で顔を覆ってから、隠れていない右目を指の隙間から明らかにします。
「……食べられたのよ。あんたのペットに」
「自称花子さんが指さす方を見ると、赤いマントをしゃわしゃわ召し上がっているカナハ様がいるではありませんか」
「誰が自称よ……あと文章みたいに喋ってんじゃないわよ」
「このツッコミ属性、まさか花子さんの可能性が微粒子レベルで――」
「可能性しかないわよ!」
「ようやく君が花子さんであることが9割ほど実感できました」
「残りの1割なんなのよ」
「とりあえず無事で何よりです」
「とりあえずんじゃないわよ……」
さて、花子さんから『とりあえずる』とかいう新語が生まれたところで、後は白雪さん救出と赤マントもとい青マント抹殺が残るのみ。早急に動き始めるとしましょう。
「カケル様」
「いけない、ついに白雪さんの幻聴まで聞こえてきました」
「カケル様」
「困りましたねえ……」
「カケル様」
「白雪欠乏症候群、といったところですか」
「カケル様」
「案外悪くないかもしれません」
「……」
「カケル様カケル様カケル様カケル様カケル様カケ」
「うわあ白雪さんッ!!?」
「ル、やっと気づきました」
いつの間に僕の傍らに潜んでいたんでしょうか。
「いや気づきなさいよ……」花子さんが呆れた顔をしていますが、それは僕のことを第三者視点で見ているから気づくんですよ。
まあともかく。
「白雪さん……無事で良かったです」
白雪さんは見たところ身体欠損も怪我もなく、いたって健康体に見えました。衣服の汚れもなく、赤マントとはなんだったのかと思えるぐらい無事も無事ときました。
……。
「……本当に白雪さんですか?」
「……あえ?」
これまで散々ドッペルゲンガーに振り回されたので、白雪さんの偽物が現れたとしてもおかしくはないんですよ。
「白雪さん、君は今までどこに隠れていましたか」
「……」
「ちゃんと教えていた隠れ場所にいましたか?」
「……」
僕の質問に対し、白雪さんは考えるそぶりを見せました。
そして、意を決した表情で言います。
「カケル様は、白雪に隠れ場所なんて教えていません」
「……」
なんということでしょう。
「……さすが白雪さんです!」
本物です。
僕が安堵する一方で、花子さんは「え? え?」と動揺を隠せずにいました。
「死体の中に隠れてたんじゃないの??」
「僕がそんなこと白雪さんにさせるわけないじゃないですか。かわいそうでしょう」
僕が「ねえ白雪さん?」と尋ねると、白雪さんは「……」無言を貫きました。ありとあらゆる世界において沈黙は肯定と捉えられます。
と、花子さんが見えるようになった目でじっとりと睨んできました。
「あんたなら迷いなくそうさせる気がしたけど」
「ひどい……僕も人並みに傷つくんですよ……」
友だちによる予想外の評価に僕の心臓はぎゅっと締めつけられる気がしました。この程度の言葉は他人から言われてもなんともない人生でしたが、今になって効きますねえこれ。
「ああ、あんた人間だったわね一応」
「一応」
さらなる追い打ち。僕は膝をつきました。花子さんは一般エリート男性である僕をなんだと思っているのでしょうか。僕の花子さんに対する好感度、マイナス3億ポイントです。好感度残高2997億ポイントになってしまいました。
気を取り直して立ち上がり、僕は話を戻します。
「……いくつか可能性を考えていたんです。トイレの中で僕らがしていた密談が誰かに聞かれていたとしたら、赤マントやドッペルゲンガーに聞かれていたとしたらって」
「あんたそんなこと考えながら喋ってたの?」
「そうですね。ここ最近トイレの中から何度も声を聞いていたので、自分の声もトイレの外に漏れているんじゃないかとは思っていました。まあ、案の定という結果でしたね」
「はぇー……」
花子さんが感心しているような、なおかつ気持ち悪がっているような顔をしていますが、僕は素直に誇らしく思ってもいいのでしょうか。いいですよね。
と、白雪さんが妙な動きを見せていました。花子さんに対して怯えるように、僕の後ろに隠れているんです。
「白雪さん?」
「……」
まさか、この不完全目隠れ少女は本当の花子さんではない??
僕がそんな疑問を抱いたところで、白雪さんが花子さん(疑惑)を指さし口を開きました。
「だれ……?」
「花子よ!」
おもむろに花子さんが両手で顔面上半分を隠すと、白雪さんが「花子さんだ……!」と嬉しそうに尻尾を振り始めました。僕も「……確かに花子さんだ!」と続きます。
「あんたたちもっとトータルで人を判別しなさいよトータルで! みなさいよこの服! スカート! 声とか!」
「「ごめんなさい」」
今さら花子さんだという確信が得られたところで、僕らは全員無事だということがはっきりしました。ここまで長かった……残るはオリジナル赤マント(青マント)の抹殺のみです。
抹殺のみ、なのですが、その前に抹殺されてしまうかもしれません。え、なに突然どういうこと? と思われても無理はありませんが、事実そのような事態になりうる状況なのです。
というのも先ほどからずっと直視しないようにしていたことがありまして。
と、というのも、カナハ様が真っ赤な目を凄まじく見開いて、触覚をぴんと立てて、じーっと僕を睨んでいるんです。正確には僕と、僕の足元を8の字にぐるぐる動いている猫又さんを。
多分、白雪さんも花子さんも見てみぬふりをしていたんだと思いますが……いい加減このままでいるわけにもいきませんよね……。
「あの、カナハ様?」
「くさい」
「え?」
「そいつからドブみたいに発情した雌猫の匂いがする」
ドブみたいにという表現は初耳でしたが、おそらくいえ十中八九マイナス表現ですね。ここはなんとか調和を目指さなくては。
「め、雌猫ですからねえ!」
「くさいくさいくさいくさい」
「カナハ様! 相手はただの猫です!」
くさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさいくさい
……。
……ふふ。どうしましょう。久しぶりにカナハ様が怖いです。死が近づいています。生死の手綱がぎゅっと絞られている感じがあります。
というか僕はどうしてカナハ様のお怒りを買っているのでしょうか。何かしましたっけ。
くさいって……猫又さんの匂いはそんなに臭いのでしょうか。まあ確かにトイレの水で体を流そうとするぐらいには衛生リテラシーに欠けた猫さんであることに間違いないわけですが……そこまで怒らなくてもと思ってしまう自分もいるんですはい。
そういえば雌の匂いとかどうとか言っていましたがカナハ様という偉大なる怪異に限って嫉妬なんてするわけもないですし、そもそも嫉妬するなら白雪さんや花子さんはどうなるんだという話であって、でも確かに猫又さんはちょっとばかり淫乱ですが、
「あ、そうだ」
頭の中がぐちゃぐちゃしていたところ、極めてシンプルな解答が僕の脳裏に降りてきました。
「大変申し訳ございませんでした」
ジャパニーズ土下座。納税する機械だったころに何度もしてきた奥義です。
ついでに猫又さんにも土下座させておきます。
「いにゃん///」
「シャラップ」
……。
…………。
………………。
………………いけるか?
「殺す」
あ、だめみたいですね。
と、予期せぬ最期が訪れるかと思いきや、僕の首から上が柔らかな感触に覆われました。いえ、むしろこれこそが死? 死とはこれほど甘きものだったのでしょうか。
「あれ、カナハ様?」
死んでいません。僕、生きています。
カナハ様はというと、くたっと僕によりかかって、おそらく……僕の頭を抱きかかえています。なんで?
恐る恐る顔を上げてみると、カナハ様のジト目が僕を見つめています。そして、おもむろに僕のおでこに彼女のおでこをこすりつけてきました。さらに上半身から下半身にいたるまで念入りにそれが行われていきます。特に足のすね付近は徹底していて、すねこすりという妖怪が思い浮かびました。
何がされるのかと気が気でない僕。でしたが、やがて理解しました。
(あ、これマーキングー!)
強大なる猛獣、ヒグマの背こすり行動と同じです。自分の匂いを木や岩にこすりつけることで縄張りを主張するあれ。おそらくカナハ様は嗅覚強い系女子なので、匂いこすりつけてくる系女子の猫又さんに対して激しくお怒りだったのでしょう。で、マーキングし直したと。
……。
……なにはともあれ、九死に一生を得たようです。猫又じゃないので僕は一回死んだら死にます。まあ一回死んだんですけど。
というわけでひとまず、おそらく多分、カナハ様の言葉とは裏腹に、僕の命は失われずに済んだのでした。
次回:あめのはばかり




