あおーん
「この世界にいるのは僕だけですか」
見渡す限り青い世界。まるで青の洞窟の中にいるような気がしてきますが、ここは紛れもなく邪教神殿の中でした。
「まったく、ドッペルゲンガーを見た者は必ず死ぬというのはつまり、ドッペルゲンガーが積極的に殺しに来るから、ということなんですかね」
僕が今ここにいる理由。それはドッペルゲンガーが僕の代わりに赤マントの『問い』に答えたからに違いありません。『青イ紙ガ欲シイカ?』という、あの問いに。僕のそっくりさんは勝手に答えておきながら、さっさと隠れてしまったのでしょうね。
思うんですけど、僕からしたらドッペルゲンガーがドッペルゲンガーなわけですけど、ドッペルゲンガーからしたら僕がドッペルゲンガー、なんて理屈になったりしませんかね。だとしたら、僕の方が先にドッペルゲンガーを死に追いやれば僕は生き残るのでは?
「はあ」考えすぎて頭痛が痛くなってきました(エリートな誤用)。
僕はため息を吐きつつも、背後にある3番目のドアにノックします。
「花子さん、いらっしゃいますか」
……。
……返事はなし、ですか。
花子さんの返事がなかったのは、彼女が赤い世界にいるからでしょう。つまり、赤と青の間には明確な境界が存在し、直接行き来することはできないということ。
僕一人を殺すにはこれ以上ない状況ですね。
僕は手に持った刀を何度か片手で振るい、手応えを確かめます。一対一の殺し合いの経験なんて僕にはありませんが、幸いこの手には武器がある。それも、カナハ様特製の妖刀【虚空】が。
さて、希望的観測をするなら赤マントは僕を殺しに来るでしょう。
ですが、赤マントだったらこう思うのではありませんか。
『男を一人殺すより、かわいい女の子を三人殺す方がいい』
は? 僕の大切な友だちを殺すとか許せないんですが?
僕は自分で作った空想上の赤マントにキレ散らかしそうになりましたが、なんとか気持ちを抑えます。
その代わり、僕は神殿内の反対位置にある赤マントが潜んでいたトイレの方に向かって全力で駆け出しました。
「万に一つでも抜け道とかあったら嫌ですからねえ!」
僕にとっての最悪のシナリオは、僕がこの世界に取り残されたままオリジナル赤マントが赤い世界に行ってしまうこと。そんな方法があるのかは分かりませんが……とにかく、白雪さんや花子さんが襲われるという事態だけは避けなければなりません。
……カナハ様は、果たして二人を守ってくださるのでしょうか。それ以前に、カナハ様はどうも蚕由来の貧弱さがあって心配です。すぐ寝てしまうし、もしかしたら案外ころっと殺されてしまうかもしれません。
やはり、急いで戻らないと。
極めて糞な状況です。
オリジナル赤マントと遭遇できません。
僕を恐れて逃げ隠れしているならいいですが、そうでないとしたら先手を取られていることになります。
「はぁ……はぁ……」
焦る気持ちがいっそう僕の足を動かしますが、それに比例して体力ばかりが失われていきました。いつの間にか息も切れてきて、僕はついにどこぞの通路の真ん中で立ち止まってしまいます。
膝を曲げ前かがみになり、床に汗を垂らす。見える景色が全て青いせいか、流した汗のせいなのか、心なしか肌寒い。
誰もいない世界というのは、こうも孤独なものでしたか。僕はふとそんなことを思い、おかしくなりました。エリートたるもの、孤独ではなく孤高たれ。
「誰かいませんかぁぁぁぁぁッ!!!」
知ってますか? 人は苦痛には耐えられても、幸福には抗えないんです。僕はもう孤独ではない自分を知ってしまいました。
「誰かぁぁぁぁッ! 赤マントでもいいですよぉぉぉーッ! ただし殺しまあすッ!」
「あおーん」
「……」
「あおーん」
「……??」
なんですこの声。繰り返される「あおーん」という鳴き声には聞き覚えがありました。ただ、実際のそれとはわずかに違うというか、若干人間味を感じるのは気のせいでしょうか。
ですがやはり、生き物がいます。尻尾のある、ほのかな熱を帯びた大人気の毛玉生物が、盛りのついた鳴き声を発しています。それは僕の足元で8の字を描くように歩き回り、明らかに僕の両足にその軟体をこすりつけています。
「なんでここに猫さんが??」
「あおーん」
足元にいる猫を両脇から抱えると、猫はされるがままに持ち上がりました。
「あおーん」
「やはり発情している……猫と人の区別がつかないのでしょうか」
動物が人間に発情する事例は僕もいくつか聞き覚えがあります。鳥ならインコ、霊長類ならチンパンジー、哺乳類ならイルカなど。記憶が正しければヒグマの例もありませんでしたっけ。教えて●ツゴロウ先生!
まあともかく、象のような猛獣に愛され過ぎて人間が踏みつぶされたとかいう例もあるそうですし、やはり人間は人間同士、動物は動物同士で収まるべきなのでしょう。
「あおーん」
「残念ながら僕は動物性愛者ではないんですよね」
と、僕は不意にあることに気がつきました。
この猫の尻尾、先が二つに分かれてるんです。さらに、その枝分かれした尻尾が左右対称に動き、ハートマークを作ったではありませんか。
「人間やったらいいのん?」
猫が言葉を発したかと思えば、僕の手からすり抜けます。一瞬の出来事で混乱しましたが、猫の行方を追いかけようと僕は目線を下げました。
開いた口が塞がりません。なぜって痴女がいたからです。腰までなびくロングヘア―全裸レディ(首輪をつけているですって!?)が、猫みたいに手を丸め、こめかみのあたりをこすっています。赤い舌をペロペロと見せてくる姿が大変煽情的です。
「あおーん」
人間形態で発情しています。犯罪臭がありますが、僕は何もやってません。
「ああ……僕としたことが孤独を拗らせてスケベな妄想をしてしまったのでしょうか。しかも猫耳尻尾とは業が深い……やはり人類の脳みそは猫に汚染されている。昨今では猫に飼われる飼い主も増えていると聞きますし……」
「お兄やん、難しいこと考えてるにゃん?」
青い世界に赤マントはいませんでしたが、代わりに痴女と出くわした――これが状況を打破するきっかけになるに違いありません。ええ違いありませんとも。
次回:しょーもない理由ですねぇ!




