瑞白雪の愚かな冒険 ~ああ白雪さん、僕のために命を張らないで!~
崇拝と親愛。思い返してみれば、あの頃の白雪がカケル様に抱いていた感情はそういった類のものでした。大穴に向かってごみのように投げ捨てられたあの日、あの時――待ち構えていたのがカケル様でなければどうなっていたのかと、白雪は時々考えるのです。
そして、二人で骨人形を砕く勢いでハンマーを振り下ろした瞬間のことを思い出しては、一人でくすくすと笑っていました。自分の気持ちを外に吐き出すことがあれほど気持ちの良いことだと、白雪は知らなかったのです。
カケル様はいつも意味不明なことを言ったり、気持ちの悪い笑顔を見せてきたりしたけれど、白雪がカケル様のことを避けることはありませんでした。
ううん、少しは避けたりしましたけど、それはカケル様にかまってもらいたかったからです。白雪は時々いたずら――視界に入らないように背後を取ったり――をしたりして、カケル様の反応を見ていました。
カケル様は決して乱暴に怒ったりすることはありませんでした。それどころか、少しの苛立ちも白雪に向けることはなかったのです。白雪にはその態度があまりにも新鮮で懐かしかった。父や母が言葉を発していたら、こんな風に話しかけてくれたのかもしれない――そんな風に考えては、ふさふさの尻尾を左右に揺らし、垂らしていました。
とにかく、カケル様は白雪にとっての居場所だったのです。常にその存在を感知しておきたかったし、できれば視界の中に入れておきたかった。
白雪の狐耳はとても優れていて、聞きたい音を聞き、そうでない音を聞かないことができました。白雪が常に聞くようにしているのはカケルの声と足音。カケル様は独り言が多いので、白雪にとって彼を見つけることは朝飯前だったのです。
『こんにちは。君もトイレに行くんですか?』
その言葉が二度繰り返された時、白雪は違和感を覚えました。
カケル様が二人いる。
そんなあり得ない感覚に、白雪は驚きました。耳を澄ませると、やはりカケル様は一人しかいない。気のせいだったのでしょうか。カケル様はいったい、誰に話しかけたのでしょうか。
『はぁぁぁぁん///』というカケル様の艶めいた声が聞こえた時、白雪の頭の中は自分の毛の色みたいに真っ白になりました。そしてすぐ、この声にどういう意味合いが含まれているのかと考えます。考えて数秒後、考えても仕方がないものだと直感しました。白雪はとても察しが良く、賢かったのです。
ところで、白雪はカケルの言う『エリート』という言葉の意味を感覚的に理解していていました。それは、端的に言ってしまえば『優れた存在』なのだろうと。
自分を優越的に捉える人間にろくなのはいないと、白雪は知っていました。なぜならそうした傲慢な人種というのは、白雪にとっては奴隷商や邪神教徒が当てはまるからです。
でも、カケル様は違う。いいえ、白雪もカケル様のことをエリートだと思っています。ただ、カケル様のそれはまったく異なるものだと理解していましたのです。
カケル様の足音はいつも淡々としていて、聞いていて心地いい。その歩き方、足音にもその人の性格が出るのだと、白雪は知っています。
「カケル様……?」
遠く離れた場所にいるカケル様の足音が、不自然に止まりました。不意に嫌な予感がして、白雪はいっそうカケル様に向けて全身の意識を集中します。
『赤いのが欲しいです』
赤いの? 欲しい? カケル様はいったい何を欲しがっている?
カケル様の独り言にしては妙だと白雪は感じました。明らかに話し相手がいるような声音だったんです。
「カケル様……!」
白雪の嫌な予感は的中しました。
カケル様の音が、完全に消えました。
お休み中のカナハ様を揺り起こした白雪は、カケル様のいたトイレの方へと駆け出します。しかし、蚕の化身たるカナハ様が狐の白雪の足に追いつける道理はなかったようで、カナハ様を置いてけぼりにしたことにも気づかないまま、白雪は独り走っていってしまいました。
カケル様の音が消えた場所――トイレにたどり着いた白雪は目と耳をあちらこちらに動かしてはカケルを探します。
いない。いない。いない。いない。
白雪の目から涙がこぼれ落ちてきました。でも、泣いたところで意味はないのだと、白雪は即座に気持ちを切り替えます。
「そうだ……」
白雪は意識を目に集中させました。以前、かくれんぼをした時にカケル様に教えてもらった残穢の知覚――【霊視】。カナハ様からは『強くなるまでは一人でいる時にやっちゃだめ』と言われてましたけど、そんなことも言っていられないと白雪は思ったんです。
「むぅぅぅ……!」
よくよく目を凝らすと、カケル様のどす黒い残穢がやっと見えました。白雪は嬉しくなってぴょんと跳ねましたが、それも束の間のこと。
黒い血だまりのような残穢がトイレの広い空間にぽつんと残っている以外に、カケル様の痕跡がなかったのです。それこそまるで、そこから忽然と消えてしまったかのように。
もう探しようもないのかと崩れ落ちそうになりましたが、白雪はとても賢かったのです。
とても賢く、とても愚かでした。
霊視は目で残穢を見たりすることだとカケル様は言っていたけれど、目じゃないとだめなのかな。霊視について教わった時にそんな疑問を抱いたことを、この瞬間に思い出したのです。
耳で視よう。音で残穢を探ろう。
目に流していた意識を耳に押し流すと、今度ははっきりと視えました。残穢が、音となって返ってきます。
《赤イマントガ欲シイカ? 青イマントガ欲シイカ?》
白雪は、一歩、二歩と後ずさりました。身の毛が逆立ち、後を追うように恐怖が全身を駆け巡ります。
こわい。いやだ。たすけて。
残穢を聞いた直後は恐怖のあまり、その音の意味を――そのやりとりを理解していませんでした。
たすけて、カケル様。そう心の中で叫んでようやく、白雪は自分がしようとしていたことを思い出します。カケル様に助けてもらうために来たわけじゃない。白雪がカケル様を見つけに来たのだと。
カナハ様が作ってくれた白衣をぎゅっと掴み、白雪は恐怖と戦いました。今度はきちんと、聞こえてくる残穢に向き合ったのです。
《赤イマントガ欲シイカ? 青イマントガ欲シイカ?》
「赤いのが欲しいです」
《【選択の赤と青】》
《【赤】》
白雪はようやく理解しました。繰り返し聞こえてくる残穢のやりとりはきっと、怪異による呼びかけとそれに対する応答なのだと。カナハ様が夜な夜な聞かせてくれた怖い話にも、そういう類のお話がありました。安易に怪異の問いに答えてはならない。答えてしまえば、その怪異と縁を結ぶことになる。
「赤いのが欲しいです」と繰り返される言葉は確かにカケル様の声でした。でも、どこか違うような気もしたのです。
『カケル様が二人いる』
あの時そう思ったのが勘違いではなかったとしたら。
カケル様の声を真似する存在がいたとしたら。
3番目のトイレから問いかけてくるナニカが、カケル様が答えたと勘違いしてしまったら。
白雪は最悪の想像をした上で、思ったのです。
カケル様を助けないと。
思い上がりの白雪は、愚かな愚かな冒険をしました。
「あかいのが、ほしいです」
《【選択の赤と青】》
《【赤】》
次回:話が違うでしょ話がぁッ!!!




