開けて開けて開けて開けて
3番目のドアが開かれ、はみ出た白い手に誘われるがまま、僕はトイレの中へと飛び込みました。
黒髪のおかっぱ頭の目隠れ少女が僕を見上げています。
「花子さんッ!」
「ちょっとうるさいんですけど」
後ろでドアが閉じる音がすると、赤い世界が元の色を取り戻していくではありませんか。そして、目の前の少女が着ているのは白いブラウスに赤いジャンパースカート。
「ああ、花子さんだ……!」
「あーあ、ノロイカケルだ」
「花子さ~ん、聞いてくださいよ~」
「距離間キモイんですけど。物理的にも心理的にも」
ドッペルゲンガーに遭遇したこと、ドッペルゲンガーのせいで赤マントに追いかけられることになったこと……僕はそれらについて、ユーモアを交えつつ説明しました。
「――ということがあったんですよ」
「はぁ……あっそ……」
ただでさえうんざりしたような空気を醸していた花子さんでしたが、僕の話を聞いていっそううんざりしたように肩を落としています。長すぎる前髪の向こうにジト目が見えた気がするのは気のせいでしょう。
「まあ……状況はなんとなく分かったわ」
「あっ! 大事なことを言い忘れていました!」
「なによ」
「カイナデさんに尻の隅から穴まで入念に撫でられたんですよ」
「言い忘れろ」
どこが大事なことなの、と花子さんは言いますがお尻は大事な部位なので大事な話に違いありません。
「で、あんたもう目の前は赤くないんでしょ。早く出ていきなさいよ」
「嫌ですよ。『赤マントとの遭遇』という絶体絶命イベントを乗り越えて念願だった『花子さんと個室で密着お喋り』という千載一遇のチャンスを手に入れたのに――じゃなくて怖いですし」
「アタシはあんたが怖いわ」
そんな楽しい雑談をしていた時のこと、コンコンとドアを叩く音がしました。
コンコン、コンコン、とトイレのドアは二回というお約束を守る律義さには共感しますが、
「カケル、開けちゃだめよ」
「はい」
花子さんも言っていますが、僕もその律義さに応えるつもりはありませんでした。簡単な話、トイレの個室は10個もあるのにわざわざ人が入っている個室に入る意味がないからです。
「ご主人、開けて。ボクだよ。開けて」
「……カナハ様!」
ドア向こうから聞こえてきたのは愛らしき金羽織姫様のお声でした。早く開けなければ。
僕がスライド式の鍵に手を伸ばすと、その手を花子さんが止めました。
「開けちゃだめって言ったでしょ」
「え、でもカナハ様が……」
「いいから、しばらく無視しときなさい」
「ですが……」
無視なんてしては後が怖い。蟲は無視してもカナハ様だけは無視してはならないのです。とは思うんですけど、花子さんの手の力が思ったよりも強くて振りほどけそうにありませんでした。これが【三番目の玉座】の力……!
静寂に息をのんだその時、ドア向こうから抑揚のない声が響いてきました。
「開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて」
連続『開けて』攻撃が止んでしばらくして花子さんが言います。
「ほら、ヤバい奴じゃない」
僕は答えました。
「でもカナハ様ならああいうこと言います」
それからやや沈黙があって。
「「え」」
僕は開けていません。開けようがありません。もちろん花子さんも開けていない。鍵はかかっていたはずなのに、いつの間にか開錠されていました。
「ありえないわ……アタシの【三番目の玉座】外部からの干渉は不可能……! あんたあんかやったでしょ……!」
「何もやってません……! 何も……!」
そんなやりとりをしながらも花子さんは壁を蹴るように足をかけ、ドアノブを引っ張り、ドアを閉じていました。
「花子さん! スカートの中が見えそうです!」
「今はそんなことどうでもいいでしょうがぁ!」
言われてみると確かに。ということで僕はもう一度鍵をかけたのです。
二人でため息をつくと、花子さんが「ドアが開いた理由、分かったわ」と僕の方を恨めしそうに見ました。目は見えませんが。
「あんたがそいつを連れてきたのよ」
「はい?」
目隠れ花子さんの目線をなんとか追ってみると、僕の股の間に白く伸びる手が水面から踊り出て手を振るように揺らいでいるではありませんか。そしてその手はおもむろに僕のお尻に手を伸ばして
「はぁぁぁぁん///」
撫でまわしたのです。ズボン越しだというのに恐ろしい感触でした。
「気持ち悪い声出さないでくれる」
「すみません」
いやはや世にも奇妙な尻フェチがいたものです。
それにしても、僕が連れてきたとはいったいどういうことでしょうか。僕が目をぱちくりさせていると、察してくれたのか花子さんが「はぁ」とため息をついて言うのです。
「あんたがそいつを受け入れちゃったせいで縁が結ばれちゃったのよ。そんなあんたをアタシが嫌々今この瞬間だけ受け入れちゃったから、連鎖的にそいつもこの部屋の中に入ってこれちゃったんでしょうね」
「なるほど」
わざわざ僕についてくるなんて可愛い怪異もいたものです。いっそう愛着が湧いてきました。
「勝手に鍵を開けたらだめですよ、カイナデさん」
「……(しゅん)」
なんだこの可愛い腕……。飼いたい……。まるで叱られた子犬のようではありませんか。
カイナデさんと見つめ合うことしばらく(なお目はないもよう)、今度は弱弱しい力でドアがノックされました。
「ご主人、いつまでトイレにいるの。呪い殺すよ」
その声を聞いて僕は花子さんの方を見ました。花子さんが「いいわ」とうなずいたので、僕は鍵を開錠し、ドアノブに手をかけました。
「カナハ様!」
正真正銘カナハ様でした。立っているのもおぼつかないふらついた感じとか、まさしく要介護(妖蚕)系女子です。
急いで駆け寄り、そのふわふわの体を支えると、カナハ様は身を預けるようにして倒れこんできました。
そして、恨みがましい声で言うのです。
「ご主人の気配が消えたから、ボクから逃げたのかと思った。呪い殺してやろうかと思った。けど一応、探してみることにしたの」
「やだなあ。カナハ様から逃げるわけないじゃないですか」
危ない危ない。違う形で命を落とすところだったようです。
カナハ様いわく、先ほどドアが開いたことで僕のあふれんばかりの気配が外に漏れ出し、僕がトイレにいるということが分かったそうです。結果論ですが、カイナデさんのおかげというわけですね。
「ところで、白雪さんは?」
先ほどから気になっていたのですが、いつもカナハ様に寄り添っている白雪さんの姿がありませんでした。
「ボクを起こしてすぐに走っていっちゃった」
狐の足は速くて追いつけないよ、とカナハ様はぼやくように言います。僕はそれを聞いて、心臓の鼓動が速まるのを感じました。
「どこに向かったんですか……?」
カナハ様が目をぱちくりさせます。
「多分、こことは反対の方にあるトイレ」
そのつぶらな赤い瞳は、僕に最悪の未来を想像させました。
次回:瑞白雪の愚かな冒険 ~ああ白雪さん、僕のために命を張らないで!~




