選択の赤と青《デッドオアデッド》
トイレの花子さんが言っていた通りでした。この神殿に、このトイレに……とんでもない化け物が潜んでいたのです。
怪人『赤マント』
赤いマントに白仮面をつけた男は、トイレのドアの前に立つ者に対してあることを問います。
「赤いマントが欲しいか? 青いマントがほしいか?」
この問いに答えた先に待っているのは死です。赤いマントと答えれば、血まみれになって死ぬことに。青いマントと答えれば、体が青くなって死ぬことに。
バリエーションは色々ありますが、大体こんな話です。
「ふぅ……」
僕は冷静に息を整えました。こういう時に大切なのは落ち着くことです。物事を前向きに捉え、問題解決に努めてこそのエリートです。
……この怪異を最初に見つけたのが僕で本当によかった。
赤マントは少女ばかりを狙うロリコンで、誘拐した少女をトイレに連れ込み乱暴した後殺すと聞きます。この場にいたのが僕ではなくカナハ様や白雪さんだったらと思うと、ぞっとしません。
《赤イマントガ欲シイカ? 青イマントガ欲シイカ?》
ドアの向こうにいる赤マントが、もう一度問いかけました。二度問いかけたということは、もしかしたら答えないという選択肢があるのかもしれません。
僕はヒグマを前にした時のように、トイレのドアから目を話さずに後ずさりました。ずる、ずる、ずる、と靴裏が地面を舐める音がしばらく続きます。そうしている内に僕は『ああ、大丈夫だ』という確信を得たんですね。ちょっと鼻歌なんかを歌ってみたりして、気持ちは余裕しゃくしゃく八尺様です。
僕が答えなければ大丈夫……僕が
「赤いのが欲しいです」
僕は自分の口を手で塞ぎました。いえ塞がずとも声は発していなかったはずです。
ならいったい誰が。
振り返るとそこに僕がいました。その顔立ちといい、たたずまいといい、明らかにエリートな僕の生き写し。なのにその気持ち悪い笑顔だけがあまりにも不自然なんです。僕はそんな顔じゃない。
ドッペルゲンガーがそこにいました。ドッペルゲンガーは、僕が乾いた目でまばたきした瞬間に姿を消してしまいました。
間もなくドアから男性の重苦しい声が響いてきます。奇しくも花子さんと同じ3番目のドアからでした。
ぎぃとドアが開く音と共にぬーっと現れた白い仮面、赤いマント。こんなにも花子さんと同じカラーリングなのに、彼とは友人になれそうにありません。
《【選択の赤と青】》
『生か死か』ならぬ『死か死か』――彼は結末の変わらないマルチエンディングの糞ゲーを押しつけてくる怪人『赤マント』なのですから。
《【赤】》
赤マントから放たれた短い言葉――それを聞いた瞬間から僕の視界が血の雨垂れのように赤く染まっていきます。単語帳で暗記をする時に使う赤いシートがありますよね。あれで世界を見た感じに近いものでした。
赤い領域を展開され、僕は悟りました。逃れられないと。
「カナハ様……金羽織姫ッ!」
僕は必死に叫んでみましたが、花子さんの時のようにカナハ様が飛んでくることはなかったのです。
赤い世界の中で、白い仮面だけが浮き上がって見えました。
「はあ……はあ……はあ……はあ……」
僕は息を切らしながら神殿の歪な通路を駆け抜けることを繰り返していました。血液が網膜に張りついたような視界は本当に気持ち悪く、今いる世界が異世界というよりも魔界という方が適切なのではないかと思えてきます。
足があるんだかないんだか分からない赤マントの追跡には足音がなく、振り返ることでしか赤マントとの距離を測れない――そんな状況がいっそう僕を精神的に追い詰めていきました。
走りながら必死に赤マントに対する対抗策を考えてみるものの、赤マントに対する明確な対抗策なんて知りません。赤と青以外の色(紫だの黄色だの)を答えてみるとかありますが大抵の場合、どの色だろうが死亡ルートがあるんですよね。
もし本当の意味での対抗策があるとすれば、それはきっと呼びかけに答えないことでしょう。いわゆる禁忌と呼ばれる行為には様々ありますが(『決して振り返ってはならない』など)、怪異からの呼びかけに反応することはまさしく禁忌に入るかと思います。まあ、禁忌破っちゃったんですけど。僕の糞・ドッペルゲンガーが。
破ってしまったものは仕方がないということで、赤マントに関するキーワードを脳内でぐるぐるさせてみることにします。
未解決殺人事件、少女暴行殺人事件、紙芝居、クーデター事件――様々な出来事を通して、赤マントはその存在を確立させていったのだとは聞きますが、それが分かったところでどうにもならないというのが現状。
……そうですよ。現状をどうにかしなければならないんです。過去に囚われて温故知新を達成しようと試みるうちに、今この瞬間が過去となって加速し続ける時代です(なおここは異世界ですが)。今の自分が持っている武器を探さなければなりません。
カナハ様への呼びかけは続けていますが、反応がない。このことからして神殿中央のカナハ様がお休みしているであろう広場に出ても無意味だと考えるのが妥当でしょう。これは直感ですが、この赤い世界の中ではカナハ様に会うことはできないと思うのです。
この赤い世界は赤マントの縄張りに違いありません。となると僕が生き残るには赤マントを直接倒すか、この縄張りから脱するしかないのでしょう。倒すにしては相手の能力が未知数で、脱するにしても方法が思い浮かびませんが。
――いや待てよ。
僕はこの赤い世界に一筋に光を見出しました。それは一本の蜘蛛の糸のように細い可能性でしたが、それを試さなければきっと未練が残ってしまいます。
「花子さああああぁぁぁぁんッ!」
僕は通路を走りながら喉が枯れんばかりに叫びました。
「いらっしゃいますかああああぁぁぁぁッ!」
人が怪異に遭遇するのは、人の世界と怪異の世界の境界がなくなった時でしょう。僕が赤マントとトイレの花子さんと出会ったのも境界がなくなったからに違いありません。
境界とは何か――この場合の境界はトイレのドアになるのでしょう。トイレのドアという境界が取り払われた時、トイレの怪異たちの世界と僕らの世界が繋がったのです。
「はぁ……はぁ……」
では、今の僕の置かれた状況はどう捉えるべきでしょうか。おそらく僕は今、人でありながらトイレ怪異の世界に紛れ込んでいる――いわば神隠しの状態。ここは完全な敵地というわけです。
もし仮にここがトイレ怪異の世界なのだとして、入口がトイレならば出口もまたトイレのはず……ですが、赤マントが元の世界に返してくれるとは思えませんよね。返してくれたとしても、それはきっと血まみれの死体だけでしょう。
ならばどうするか――。
トイレは赤マントだけのものじゃない。だから僕は、今ようやく目の前にある3番目のドアに向かって呼びかけるのです。
「花子さん、いらっしゃいますか」
「いないわ」
「いますねえ!」
次回:開けて開けて開けて開けて




