ドッペルゲンガー×フェチ(尻)との遭遇
異世界の朝にも日の出があって青い空があります。吹き抜けの天井の向こう側から白い雲が僕を見下ろしていました。
両隣ではカナハ様と白雪さんという可憐な少女たちも一緒に日向ぼっこをしていて、ここがいわくつきの邪教神殿でなければ日常系作品のワンシーンに見えたかもしれません。
この平和な時間も果たしてどれだけ続くのか。
トイレの花子さんいわく、この神殿はその立地の特性上、予期せぬ来訪者が訪れるということでした。
例えば戦争から逃れた亡命者、飼い主から逃れた奴隷、命知らずの山賊や野盗、領土を広げんとする辺境領主などなど、その種類は多岐に渡るのだとか。
そういう治安の悪さを逆手に取った邪教集団は蜘蛛の巣を張るように生贄を待つわけです。
ところで、蜘蛛といえば絡新婦ですよね。滝壺に潜む美しい女の妖で、男の体を蜘蛛糸でからめとり滝壺に引き込んでしまうというあれです。エッチですね。
果たして水底にまで沈んだらいったい何が起こるのでしょうか。男と女、滝壺の底で二人きり、何も起きないはずもなく――
淡水よりも淡い期待を抱いた前世の僕は、何度も何度も近所の川を上って山の中に滝を探したものです。いやはや懐かしい。結局、綺麗なお姉さんの代わりに全然別な山の怪に憑りつかれたのはまた別のお話――
まあそんなことは本当にどうでもよくて、僕らは今後の方針を立てないといけないんですよ。
なにはともあれ生きることが大切です。衣食住に困らなくても、現状の僕は常に命を脅かされている状態。今いるこの神殿だって、ライオンの檻と変わりないですし――
「ね、カナハ様?」
「なにが『ね』なのか分からないけど、そこはかとない侮辱を感じるよご主人」
百獣の王ライオンならぬ万蟲の皇たるカナハ様のご機嫌を取りつつ、外部の脅威への対策も取らないといけません。内憂外患という言葉をまさか自分が意識するとは思いもしませんでしたね。
内憂といえば、トイレの花子さんが言っていました。
『ヤバい怪異ほど気配を消すのが上手いから気をつけなさい。この神殿にもまだ怪異は残っているみたいだし、とんでもないのが潜んでいるかもしれないわ』
ですって。怖いですね。でも、少し期待している自分もいるんです。花子さんとああして話ができたということは、他にも友人になれる怪異が存在するかもしれないではありませんか。
「ふふ、楽しみですねえ」
この神殿、トイレがいくつかあるので残りのトイレにも何か隠れているかもしれません。
いつの間にかすやすや眠っていたカナハ様と白雪さんを起こさないようにそーっと立ち、僕は未開拓のトイレへと向かうのでした。
駅地下が歪んだような通路を歩き続けること数分。前世では色々な廃線痕を歩いてきましたが、その時の静けさを思い出します。自分以外誰もいないはず、なのに背後を振り返ると誰かがいる気がする――この想像力は人を恐怖に追いやりますが、この恐怖があるからこそ人は生き残ってきたのでしょうね。
「ふふふ、後ろにいるのは分かっていますよ」
ホラー映画ではお約束の『振り返らなければいいのに振り返っちゃうぅ』を意識的に、なおかつ強キャラ感を出しながら行うことで恐怖を誤魔化す――この方法を使って背後に何かがいたことは一度もありません。
当然なにもいるはずもなく、背後霊はおろか、べとべとさんもテケテケもいるはずなく、そこには僕しかいませんでした。
そこには僕しかいませんでした。
これは別に、その場に僕しかいなかったという意味ではありません。
振り返った後ろ側に、もう一人の僕が立っていたのです。
『生き写し』
双子でもなければ存在するはずのない自分と同じ顔をした人物――それをドッペルゲンガーと呼ばずしてなんと呼びましょうか。
自己像幻視とも呼ばれるこの現象は、脳の異常がなせるわざなのか、それとも……。
確かめるとしましょう。
「こんにちは。君もトイレに行くんですか?」
彼が幻覚ではなく、本当にそこに存在する人間なのか。
「こんにちは。君もトイレに行くんですか?」
……。
まるで山彦です。幻聴でなければ、彼は僕の言葉をそっくりそのまま返しました。
ドッペルゲンガーが喋るなんてこと、あるんでしょうか。少なくとも僕の記憶ではそんな話は聞いたことがありません。目の前の彼がドッペルゲンガーなのであれば、僕は近いうちに死んでしまうのですが――というかこの前死んだばかりなのですが――彼はもしかしたらドッペルゲンガーではないかもしれません。
人の姿や声を真似する存在――例えば化け狸などであれば僕は死なないでしょう。はは、そうに違いないです。それによくよく思い返してみると実際の僕の声と少し違って、若干気持ち悪かったんですよね。
まばたきすると彼はいなくなりましたし、もしかしたら幻覚だったのかもしれません。
……。
トイレの花子さんがいたトイレからほぼ反対の位置にあるトイレに着きました。新たな友人ができるかもしれないという淡い期待は、たとえドッペルゲンガーを見た直後でも薄れません。
特に意味もなく10ある内の6番目の個室に入り、ズボンを脱ぎ、ウンチングスタイルへと移行します。前世ではもっぱら洋式トイレに座っていましたが、案外こちらのスタイルも悪くないですね。
側溝の水流にブツを落とした際に水が跳ね返るのが嫌なので、直で水面にお尻をつけスタンバイ。
ぼぶん。
行く川の流れは絶えずして、ウンコはどこに行くのでしょうか。そんなことを考えながら、僕は天然おしり洗浄機の心地よさにしばらく身を委ねます。
と、その時でした。僕のお尻を……な、何かが――
「ん……?」
――何かが撫でたのです。しつこく、入念に、それでいて手際よく。
「はぁぁぁぁん///」
艶めいた声が自分の口から出てしまい、僕は得も言われぬ恥じらいと快楽と背徳感を覚えたのでした。
あれはなんだったのでしょうか。気がつくとお尻なでなでタイムは終わっていて、尾を引くような切なさだけが残っています。
もしかしたら、カイナデだったのでしょうか。カイナデは便所をマイホームとする奇特な怪異で、人の尻を撫でることを生きがいとしています(語弊)。カイナデに撫でられたくない場合は、トイレに入る前に『赤い紙やろうか、白い紙やろうか 』などと言えばいいそうですが僕は言わないことにします。
ズボンを履き直し、ドアを開け、振り返り、一礼。僕はトイレに背中を向け、歩き出しました。
ですが、僕はまだ知らなかったんです。このトイレの怪異譚は、まだ終わっていないということを。
《赤イマントガ欲シイカ? 青イマントガ欲シイカ?》
3番目の個室から、その声を聞くまでは。
次回:時代は赤いマントよりも赤いジャンパースカートって決まってるんですよねえ!




