トイレの花子さん
夜といえば、怪談です。
怪談といえば、百物語。
百物語といえば、蟲毒。
蟲毒といえば、金蚕。
金蚕といえば、カナハ様。
今夜はカナハ様が子守唄代わりに怪談を聞かせてくれていました。カナハ様の語り口は淡々としていながらも、聞く人の首を真綿でじわりじわりと締めていくような怖さがありまして。
白雪さん、怖すぎて眠れなくなっちゃいました。
で、語り手のカナハ様は言うと、
「すぴー、すぴー」
幸せそうにぐっすりです。
「カケル様、カケル様」
「どうしました? 白雪さん」
「おしっこ行きたいです」
「そうですか。行ってらっしゃい」
「……」
「ちなみに、そういう時は女性なら『お花を摘みに行きたくなった』と言うのがセオリーだそうです。もしくは『お手洗いに行きたくなった』あたりが無難なのかもしれません」
「むぅ……」
「白雪さん?」
白雪さんの反応が悪いのはなぜでしょうか。皆目見当がつきません。
「一緒に行ってほしいです……」
「ああ! お安い御用ですよ!」
この邪教神殿、中世ヨーロッパかと思いきや水道設備が整っているのでトイレも割としっかりしてます。もっとも現代の便座式からほど遠い形式ですが、それもまた一興。イメージとしては、道端の側溝にそのままブツを落とす感じでしょうか。糞ですね。
複数人で同時にいたせるように仕切りの壁とドアもあり、プライバシーは最低限保護されているので及第点と言えましょう。
トイレ、トイレ、トイレといえば、トイレにまつわる怪談は枚挙にいとまがありません。密室であること、水場であること、不浄な場所であることなどの要素が重なって、トイレは怪奇イベント会場と化しています。
「カケル様、そこいますか」
「いますよー」
「ぜったいそこいてください」
「はーい」
トイレ怪談の例を挙げるとすれば、ここはやはり王道を行く『トイレの花子さん』でしょうか。学校の校舎三階のトイレの三番目のドアをノックして「花子さんいますかー」なんて呼ぶと「はーい」なんて返事が返ってくるそうです。それでドアを開けてしまったが最期、トイレに引きずり込まれてしまうのです。
まあ、結論から言いますと、あれは単なる噂に過ぎないでっち上げです。だって、僕が色々な学校を巡っては『花子さんいらっしゃいますかー』と呼びかけてもまったく返事がなかったんですから。
これは花子さんに限りませんが、昨今では怪異が友好的になったりエロティックになったりとバリエーションが様々ありますし、花子さんと友だちになれるのではないかという淡い期待を抱いていた僕はドアを何度もノックした――というわけです。
まあ? もちろん? どうせ反応なんてないのは分かってますけど?
トイレに入ったらドアをノックするのはエリートとして当然なので(錯乱状態)、今宵も花子さんを呼ぶとしましょう。
こん、こん、とノックを二回。三回ではなく二回です。いいですね?
「花子さん、花子さん、いらっしゃいますか」
こっくりさんこっくりさん、みたいなノリで呼びかけてみますが、水道を流れる水の音がするばかり。ぱちゃぱちゃ聞こえてくるのは白雪さんが洗っている音でしょう。
「やれやれ、トイレの花子さんなんてやっぱりいないんですね」
「はい」
「白雪さんもそう思いますか」
「はい」
いいんです。今は白雪さんという年の離れた友人もいることですし、今さらトイレの花子さんが現れたところで――
「カケル様」
「ああ白雪さん、終わったんですね」
振り返るとそこには尻尾をゆらゆらさせている白雪さんがいました。
「終わりました。でもカケル様」
「はい?」
「さっきから誰と話してるんですか?」
「はは、何を言ってるんですか白雪さん。僕はずっと白雪さんと――」
言いかけて、背筋が冷たくなるのを感じました。
よくあるトイレと同じように、神殿のトイレのドアの下にはわずかな隙間があるんですが、そこから冷たい風が這い寄って、僕の足元から上ってきているような……そんな気がしたんです。
「カケル様……はやくかえりましょ?」
「い、いや。待ってください……これはもしかしたら、もしかするかもしれません……!」
こ、このチャンスを逃したら、僕の前世でのトイレ巡りはなんだったというのでしょうか!
「カケル様! カケル様!」
「白雪さん、止めてくれるな! これは僕の、ある種の本能なんだ……!」
腰にしがみつく白雪さんを引きずりながら、僕はドアの取っ手に手をかけたのです。
ぎぃ
古い木造りのドアが嫌な音を立てました。ドアがゆっくりゆっくり開いていくと、
「――っ!」
確かに、気配があるんです。人か獣か化け物か――どれかは分かりませんが、確かにそこにいます。
この胸の高鳴りは恐怖か歓喜か……あるいは両方かッ!
僕は意を決してそれと向き合ったのです。
「花子さんっ!?」
白いブラウスに赤いジャンパースカート。
黒髪のおかっぱ頭。
前髪が伸びていて目は見えませんが、彼女は紛れもなくトイレの花子さんでした。
「は、は、はな、はなはな……」
僕の口が思うように動いてくれません。
白雪さんも固まっているのか、何も言いません。
水音ばかり大きく聞こえる中、花子さんの口がついに開くのです。
「チェンジで」
ぱたり、と花子さんの手によってドアが閉められました。さらにかちゃりと鍵の閉まる音。
チェンジ……ってなんです?
変更……?
「は、花子さん! いらっしゃいますか!」
ドンドンドンッ! 僕は借金の取り立てのごとくドアを叩きますが、
「……」
まったく反応がありません。
「エリートキックッ!!!」
全力でドアを壊す勢いで蹴ったのですが、
「なにぃッ!!??」
びくともしません。
そんな……やっと憧れの花子さんに会えたのに……ここで終わるのか。
己の非力を嘆いていると、ドアの向こうから「ふっふっふ」という笑い声が聞こえてきます。花子さんです。
「アタシの固有呪術の一つ――【三番目の玉座】は、三つ以上の仕切りのある空間における三番目の個室にいる間、アタシを含めた三番目の個室が無敵となる」
「なんですってぇッ!!?」
な、なんて限定的な能力なんだ……。
じゃなくて――
「そんなバトルものの解説みたいなこと言ってないで開けてください!」
「嫌よ。アタシ、小学生までしか生理的に受けつけないの」
「そんな! 僕が小学生のとき一度も現れてくれなかったくせに!」
「知らないわよそんなこと。赤いキャンディーでも舐めて出直しなさい」
「くそぅ、くそぅ……! なんだよ赤いキャンディーって……!」
これが、僕にとっての初『トイレの花子さん体験』となったのでした。
「……ってこれで終わるわけにはいきませんよぉ!」
次回:VSトイレの花子さん ~能力バトルなんて聞いてません~




