第5話 サボリーマンと、凄腕の営業マン
「行商人が来たぞー!」
昼過ぎ、村の子どもの声が道を駆けていった。
長女のロッテが鶏を放り出して走り、次男のカイがそのあとを転がるように追いかけた。長男のエリクは次女のリーゼの手を引いて、二人のあとを歩いていく。わしは母親の腕の中から、それを見ていた。
村の広場に、馬車が止まっていた。
馬が一頭、のんびりと草をはんでいる。その後ろの荷台に、木箱や布の包みや麻袋が山のように積んであった。
……浮いていない。
異世界の行商人なら、さぞ立派に浮いて来るのだろうと思っていた。父親の台は浮くのに、行商人の荷台は馬が引く。前世でいえば、一輪車が宙に浮いていて、軽トラを馬が引いているようなものだ。
首がすわった今なら、のぞける。わしは母親の腕の中でぐいっと首を傾けて、荷台の下をのぞきこんだ。
車輪が、四つあった。
……車輪があるのに、なぜか、がっかりする。
四か月前より謎が深まっただけだった。
「やあやあ、奥方様! おや、また増えましたね」
馬車の横からひょろりと背の高い男が顔を出した。日に焼けた顔に、人のよさそうな笑いじわ。口がよく動く。
母親は芋と魔獣の干し肉と毛皮を出し、行商人は塩と針と布を出した。
「魔獣の干し肉! 奥方様、また、なさいましたね」
「なにをだい」
「いえいえ、なんでも」
◇ ◇ ◇
ロッテは荷台の甘い匂いに一直線だった。
壺の中に琥珀色のかたまりが入っている。蜂蜜を煮つめて固めた飴だ。
「これ、ほしい!」
「嬢ちゃん、こいつは銅貨一枚でさあ」
ロッテは、ぽかんとした。銅貨など、持っているはずがない。
ロッテはしばらく考えて、それから走って家に戻っていった。戻ってきたとき、両手に卵を二つ抱えていた。
「これと、こうかん!」
鶏小屋から、くすねてきたらしい。
母親の雷が落ちる前に、行商人が吹き出した。
「こりゃ参った。嬢ちゃん、商売の才能がありますよ」
飴は、卵二つで一つになった。母親はあきれ顔でロッテの頭をこつんとやった。
ロッテは飴をなめなかった。手のひらで大事に包んで、「あとで」と言った。
カイは荷台のすみの小箱にへばりついていた。
中にガラス玉が入っている。青いのや、緑のや、中に泡が入ったのが、昼の光を受けてきらきら光っている。
カイはふところから宝物を出した。きれいな石。まっすぐな枝。ひからびた虫。
「これと、こうかん!」
ロッテのまねだ。
行商人はひからびた虫をつまみ上げて、しばらく真顔で眺めた。
「坊ちゃん。……こりゃあ、虫ですね」
「たからもの!」
「ふむ」
断られると思ったのか、カイは胸を張った。
「おまえ、こぶんにしてやる!」
「おお、そりゃありがたい」
行商人はひざをついてカイの目の高さに合わせた。
「じゃあ親分、子分からの献上品です」
青いガラス玉が一つ、カイの手のひらに載った。虫はそっとカイのふところに返された。
……うまい。
子どもを喜ばせると、親の財布がゆるむ。前世の営業も取引先の子どもの誕生日だけは忘れなかった。この行商人はたぶんどこの村でも同じことをしている。そして、どこの村でもちゃんと好かれている。
◇ ◇ ◇
リーゼはずっと荷台の奥を見ていた。
麻袋のすきまに本が三冊、ひもでくくって立ててあった。リーゼは荷台のふちに手をかけて、背伸びをして、一冊の表紙をじっと見つめた。動かない。たぶん、息もしていない。
やがてリーゼは行商人の袖をちょいと引いた。
「これ、なんてよむの」
ふだん、エリクにしか言わない台詞だ。
行商人は少し驚いた顔をしてから、表紙を読み上げた。どこか遠い国の、旅の話の本らしい。ひもをほどいて中を開いてみせると、字の間に挿絵があった。山と、川と、見たことのない形の城。
リーゼの目が、まんまるになった。
「奥方様、こいつは銀貨が要りますが……」
行商人がちらりと母親を見た。
母親は少し黙ってから、首を横に振った。
「本は、腹がふくれないからね」
正しい。
だから、つらい。
リーゼは何も言わずに、本をそっと荷台に戻した。戻したが、目だけは本から離れなかった。
……前世のわしなら、ボーナスで全巻まとめ買いしてやれたのに。
いや、前世のボーナスは、ほとんどサーバーに消えたのだった。
わしは頭の中にタスクをひとつ積んでおくことにした。デッドラインなし。ただし、忘れない。
荷物をまとめる段になって、行商人が、包み紙に使っていた古い紙を一枚リーゼに差し出した。どこかの町の、古い貼り紙らしい。字がびっしり並んでいる。
「売り物にゃならないんで。嬢ちゃんに、あげまさあ」
リーゼは両手でそれを受け取って、胸に抱いた。
家の本は、四冊と、一枚になった。
◇ ◇ ◇
夕方、行商人が父親に一通の書状を渡した。
「領主様。近くの領主様がたの寄り合いのお触れを、預かってまいりました。今年は、三つ向こうの領地の町だそうで」
村の寄り合いの、領主版らしい。会議の上に、また会議がある。前世と同じだ。
「……半月か」
書状を読んだ父親がつぶやいた。
「あっしの帰り道と同じ方角です。ご一緒いただけりゃ、心強い。街道にも、たまに出ますんでね」
「お供は、おれにまかせとけ!」
いつのまにか戸口にいた声のでかいおやじが、胸を叩いた。後ろで猟師の若者が弓を握りしめている。村の護衛、ということらしい。
父親は、母親を見た。
「行っといで。家のことは、あたしがいる」
母親がからりと笑った。父親は黙ってうなずいた。
父親のいない夜が、半月も続く。わしが生まれてから、初めてのことだ。
その夜、ロッテが手のひらの飴をそっと開いた。
石でこつんと叩くと、飴は小さなかけらに割れた。ロッテはそれをひとつずつ配っていった。エリク、リーゼ、カイ、母親、父親。最後に、わしのかごをのぞきこむ。
「アインちゃんのぶん。においだけね」
鼻先に、甘い匂いが近づいて、遠ざかった。
ロッテの分は、いちばん小さいかけらだった。
部屋のすみではリーゼが古い紙を指で一行ずつなぞっている。ときどき指が止まって、エリクの袖を引く。
「これ、なんてよむの」
エリクは飴のかけらを口に入れたまま、もごもごと読んでやった。リーゼは、もごもごのまま、うなずいた。
カイはガラス玉を握ったままもう寝ている。
分析結果。長女、ロッテ。誰に似たのかは、だいたい見当がつく。
……まあ、今は、これでいいか。
わしは、目を閉じた。
――ビジネス用語――
※1 タスク:やるべき仕事。今回のタスクは「リーゼに本を」。
※2 デッドライン:しめきり。このタスクにはデッドラインがない。前世なら、いちばん後回しにされるやつだ。




