第6話 出張〈父視点〉
俺は、しゃべるのが苦手だ。
言いたいことは頭の中でだいたい言い終わってしまう。口から出るころには、三語くらいしか残っていない。だから、よく怒っていると思われる。怒っていない。考えているだけだ。
ダリル・フォン・クローベル。名乗るだけで、三語を使い切る。
「行っといで。家のことは、あたしがいる」
出発の朝、女房はそう言って笑った。
俺が言いたかったのは、こうだ。体に気をつけろ。無理をするな。魔獣が出ても、一人で全部片づけようとするな。子どもらを頼む。半月も空けて、すまない。
口から出たのは、これだった。
「……頼む」
女房はそれで全部分かったような顔をした。たぶん、分かっている。何年も一緒にいれば、三語でも足りる。
子どもらが戸口に並んでいた。
エリクは口をきゅっと結んでいる。泣くまいとしているのが丸わかりだ。ロッテが「おみやげ!」と叫び、カイが「おみやげ!」とまねをした。リーゼは黙って、俺の顔をじっと見ている。たぶん、あとで描く。
女房の腕の中でアインが俺を見ていた。
あの子はときどき妙な目をする。赤ん坊のくせに、俺より年上みたいな目で俺を見る。
……気のせいだろう。
◇ ◇ ◇
三つ向こうの領地の町までは、歩いて五日かかる。
分かれ道の手前で行商人が石につまずいてひざをすりむいた。
「あいたた……領主様、すみませんねえ」
俺は黙って、ひざに手をかざした。手が光って、すりむいた傷がふさがっていく。
「いやあ、領主様の手は、相変わらずありがたい」
行商人はひざをさすって笑った。
村の者のケガなら、見ればすぐ分かる。歩き方ひとつ、腕の振り方ひとつで分かる。なのに、エリクの手には三日も気づかなかった。気づいたのは、アインがエリクの指をつかんだからだ。赤ん坊の、たまたまの力で。
……親として、あまり自慢できる話ではない。
行商人とはそこで別れて、そこから先は、声のでかいおやじと猟師の若者と、三人旅だった。
おやじは五日間ずっとしゃべっていた。若いころに熊と取っ組み合った話だけで、四回。熊は、話すたびに大きくなった。
若者は五日間ほとんど寝なかった。夜になると、弓を抱えて火の番をしている。もう寝ていい、俺が代わる、明日も歩くんだから――と言いたかったが、口から出たのはこれだった。
「……寝ろ」
一語しか、出なかった。
町の領主の屋敷はうちの十倍は大きかった。大広間に、近くの領主が八人。うちの席がいちばん端なのは、毎年のことだ。
「おお、クローベル殿。また子が増えたそうだな」
赤ら顔の領主がさっそく笑った。
「……五人だ」
「まだ増えるのか?」
「……たぶん」
広間が、どっと沸いた。
たぶん、と言ったのにはわけがある。ここ数日、女房は朝の鍋の匂いに顔をしかめていた。……まだ、本人からは聞いていない。
寄り合いは町の領主の話から始まった。太った体を揺らして、王都からの書状を読み上げる。
書状は毎年長くなるが、中身は毎年同じだ。税が上がる。
それから街道の修繕と、北の国境がどうもきなくさいという話。そのあとで、本題に入った。街道に、魔獣が増えている。
「森沿いの街道の見回りを、どこかに受け持ってもらわねばなりませんな」
広間が、しんとした。誰も目を合わせない。見回りには人手がいる。金もいる。命も、かかる。
赤ら顔の領主がぽんと手を打った。
「クローベル殿のところは、どうだ。奥方が、お強いのだろう?」
全員の目が、俺に集まった。
断れ、と頭の中の俺が言う。
うちは柵づくりで手一杯だ。畑も広げなきゃならん。女房はたしかに強いが、子どもが五人いる。見回りまで背負わせるわけにはいかない。そもそも、街道はうちの領地の外だ。それに――
頭の中で言うことを並べているうちに、広間の沈黙がどんどん長くなっていく。
村の寄り合いのときは、ちょうどいいところでアインが泣いた。あれで、みんなの頭が冷えた。俺にも、考える間ができた。
ここには、アインがいない。
「……分かった」
口から出たのは、それだった。
広間にほっとした空気が流れた。赤ら顔の領主が俺の肩をばんばん叩いた。
……言ってしまった。
広間を出たところで、いちばん若い領主に呼び止められた。去年、父親から領地を継いだばかりの男だ。
「クローベル殿、ありがとうございます。うちの村は、あの街道のすぐそばで……」
困ったときは、お互いさまだ。そっちも、継いだばかりで大変だろう。何かあったら、いつでも言え。
「……気にするな」
今日は、よく出たほうだ。
◇ ◇ ◇
帰りの町で市場に寄った。
財布の中には、銅貨が少し。宿代をおやじと若者の分まで払ったら、思ったより減っていた。
土産を、買わねばならない。
ロッテには飴だ。行商人の飴を、あの子が全員に分けていたのを俺は見ていた。自分の分を、いちばん小さくしていたのも。今度は、ひとりに一つずつ。
カイには、木彫りの小さな剣。女房が魔獣を斬ってから、カイは棒きれを振り回してばかりいる。
アインには、がらがら。
……年上みたいな目をした赤ん坊に、がらがらは合うのだろうか。
本屋の前で、足が止まった。
棚に本が並んでいる。表紙の字はところどころしか読めない。値札は、どれも銀貨だった。財布をのぞく。何度のぞいても、銅貨だ。
隣の店で白い紙を三枚買った。一枚で銅貨二枚。財布が半分になった。本は買えないが、紙なら描ける。
エリクには、何も買わなかった。
あの子は、何も欲しがらない。夜中にこっそり起きて、俺の帳面を写しているのは知っている。気づかないふりをしている。
だから、帰ったら字を教える。金はかからない。かかるのは、俺の夜だけだ。
最後に、髪を結ぶ飾りひもの前で、また足が止まった。
手に取る。戻す。もう一度、手に取る。
「領主様。そいつは、奥方様にですかい?」
いつのまにか、おやじが後ろでにやにやしていた。
俺は何も言わずに、それを買った。財布が、空になった。
その晩の宿の夕飯は、自分の芋を、おやじと若者の椀にひとつずつ回した。腹は、たいして減っていない。……ことにする。
◇ ◇ ◇
帰り道の最後の夜は、野宿だった。
おやじのいびきは、俺のよりうるさい。……たぶん。若者は相変わらず火の番をしている。今度は、寝ろとは言わなかった。
荷袋の中で、がらがらがころんと鳴った。
リュンは、見回りの件を聞いたら怒るだろうか。いや、たぶん笑う。笑ってから、怒る。それから、「しょうがないね」と言う。
明日には、家に着く。
……まあ、今は、これでいいか。
俺は、目を閉じた。




