第33話 サボリーマン、ハードウェアに苦戦する
夜になると、わしはスマホを開く。
家族は、わしが毎晩本を読んでいると思っている。
「あの子は、本の虫になったねえ。リーゼのがうつったんだよ」
母親はうれしそうに言った。リーゼが町の学校に行ってから、この家で夜に本を開いているのは、わしとノエル先生だけになった。わしの本には字が一つもないのだが、そこは誰も気にしない。
わしが読んでいるのは、字ではない。部品だ。
この黒い板の中には、何が入っているのか。どういう順で、何がどう動いて、母さんの写真が画面に出るのか。それが分かれば、いつかこの世界の材料で、同じようなものが作れるかもしれない。あいつらの入れ物を作れるかもしれない。
ただ、開けるわけにはいかない。
開けて、壊したら、母さんの写真は二度と見られない。六年かかってやっと見られた顔だ。
だから、まずは開けずに調べることにした。
◇ ◇ ◇
ときどき、わしは毛布をかぶって電源を入れる。
長く押すと、手の中で一度だけ震えて、画面が光る。母さんの写真を少しだけ見る。それから指を動かして、設定の画面の奥へもぐっていく。
いちばん奥に、スマホが自分の中身を自分で言っている画面がある。
字は、読める。前世の字だから。
だが、読めても、分からない。
この名前の部品が板のどこにあって、何をしているのか。どの部品がどの部品とつながっているのか。数字は並んでいるのに、その数字の向こうにある形がまるで見えない。
前世のわしは、ソフトの人間だった。
画面の中のことなら、何でも直した。三百件の不具合を三人にアサインして、ひと晩寝ているあいだに片づけてもらったこともある。だが、画面の外は、怖かった。
ハードといえば、趣味でパソコンを組んだくらいだ。箱を開けて、決まった穴に、決まった部品を挿す。挿せば動く。動かなければ、挿し直す。部品の中で何が起きているのかは一度も考えたことがなかった。考えなくても、店に行けば部品は売っていたのだ。
この世界には、店がない。
わしはエリクの帳面の白いページに、四角を描いてみた。頭の部品。覚えておく部品。電池。画面。光を取りこむ目。音を出す口。画面に並んでいた名前を四角の中に一つずつ書いて、線でつないでいく。
前世の会社で、こういう図は何百枚も描いた。どの箱がどの箱に話しかけるか、矢印で描く図だ。
帳面の四角はどれもブラックボックスだった。外から名前を書けても、中に何を描けばいいのか、分からない。
電池を長く使うと、もったいない。わしは画面を消して、黒い板を灯りにかざした。
いちばん下に、星のような形をした小さな小さなネジがある。
これを外せば、中が見られる。
わしは、そのネジをじっとにらんだ。指でさわった。さわって、やめた。
次の晩も、にらんだ。さわって、やめた。
三晩め、わしは小さな声で言った。
「……やめとこう」
この世界に、星の形の回し道具はない。外せたとしても、元に戻せる自信がない。戻せなければ、母さんの写真ごと、わしの前世がまるごと閉じる。
前世では、サーバーの箱を開けるのはハード係マターだった。
ここにはハードの係がいない。
隣の寝床でミナとニナが、なぜか寝たふりをしている気配がした。……気のせいだろう。
夜中に水を飲みに起きると、ノエル先生の部屋の戸のすきまから、まだろうそくの灯りが漏れていた。先生はいつも遅くまで起きている。
先生の部屋の前を通るとき、わしはスマホを胸に抱え直した。わしの寝床の毛布から、さっきまで青白い光が漏れていたかもしれない。
先生は、何も言わなかった。次の朝も、何も言わなかった。
その朝の授業は、いつものとおり「わからないことを、三つ」から始まった。
「一つめ。星の形の小さいネジは、何で回すんですか」
「二つめ。……本の中の線は、何本あるんですか」
先生は帳面に書きとめながら、うなずいた。
三つめを言おうとして、わしは先生の顔を見た。目の下が少しだけ青かった。
「三つめ。先生は、なんで、毎晩おそくまで起きてるんですか。……だれかに、手紙とか――」
言いかけて、口が止まった。
「……あかん」
台のときは、手が漏らした。今度は、口が漏らした。
先生は少しだけ目を伏せて、帳面に何か書いた。わからない言葉を書きためている、あの帳面だった。
「あかん、は、どういう意味ですか」
「……わかりません」
「では、先生のわからないことに入れておきます」
三つめの答えは、もらえなかった。先生の耳のはしが、少しだけ赤かった気がした。
◇ ◇ ◇
秋が来た。十のカイの、番だった。
今年は技の神さま、テクネさまの年だ。
四年前、エリクの儀式の帰りの宿で、カイは母親に聞いていた。テクネさまは、それ、つよい? 母親は、つよいよ、と答えた。カイは満足そうに寝た。
それから四年、カイはテクネさまを、剣の神さまの次に強い神さまだと思っている。
儀式の旅は五度めだった。
五度めともなると、支度はほとんど誰も何もしないうちに終わっていた。
フィンは前の晩から荷物の上で寝ていた。置いていかれないためらしい。ネルは自分の毛布を自分で丸めて、台の上のフィンの隣に積んだ。ティアは母親の背中だ。ミナとニナは、宿に着いたら宿のおかみさんに「いらっしゃいませ」をする練習をしていた。宿では、向こうが言うほうである。
カイだけが支度の途中で、何度も腰の木の剣を抜いて振っていた。
「今年は、おれの番だからな!」
去年から、ずっと言っている。
町の神殿の前に、今年はエマがいなかった。
寄り親様は、いた。組の儀式の日には毎年、神殿の前に立つ。寄り子の村の子どもの顔を一人ずつ見るのが、仕事なのだそうだ。
「姫は、風邪でな! 来られんで、すまん! わっはっは!」
寄り親様がわしの背中をばしんと叩いて、それから、なぜかわしに謝った。わしは背中をさすりながら、少しだけほっとした。少しだけ、物足りなかった。
神殿の中には、今年はうちから四人が並んだ。
十の列に、カイ。十一の列に、学校の服のリーゼ。十二の列に、ロッテ。十四の列に、エリク。
エリクは今年でいちばん後ろの列だ。テクネさまで、五つがそろう。
槌を持った像の前の台に黒い石の板が置いてある。四人は一人ずつ、その板に手を当てた。
エリクの板には今年もいちばん多く光が降った。光は板の上で字になって、前の四つの下に五つめが並んだ。
カイの番では、光はひとつまみだった。それでも、板にはちゃんと字が出た。
「構造看破」
神官が読み上げた。カイは首をかしげた。強そうな名前ではなかった。剣の字が、一つも入っていない。
儀式のあと、神殿の外でエリクが空を見上げた。
「……これで、五つ、そろった」
それだけ言って、エリクは父親の隣に並んだ。背が、もう父親の肩を越えていた。並んで立つと、なんだか二人とも領主に見えた。
ロッテは自分の剣の柄を、指でなぞっていた。
「……あ。ここ、ゆるんでる。あとで締めなきゃ」
リーゼは何も言わずに、炭のかけらを指の先で転がしていた。
そして、カイだった。
カイは自分の手のひらを見つめていた。それから、神殿の柱を見た。地面の石を見た。宿の柵を見た。
「……なんだ、これ」
カイは柱を指さした。
「木の目が、見える。どこを削ったら、どう割れるか、分かる。あの柵、三本め、もうすぐ折れる」
それから腰の木の剣を抜いて、ぶんと振った。
いつもと、同じだった。速くもならない。重くもならない。ロッテが武の神さまからもらったときのように、体がかちっとはまる感じもしない。
カイの顔がだんだん、くしゃくしゃになっていった。
「……つよくない!」
カイは母親のほうを振り向いた。
「母ちゃん、つよいって言った!」
母親はしばらくカイの顔を見ていた。それから、宿の柵の三本めを見た。
三本めの柵は、ほんとうに根もとにひびが入っていた。外からはほとんど見えないひびだった。
「……つよいよ」
母親はカイの頭に手を置いた。
「剣とは、違うつよさだけどね」
カイは、返事をしなかった。木の剣を腰に戻して、宿のほうへ、ずんずん歩いていった。三本めの柵の前で一度だけ立ち止まって、ひびを指でなぞってから、また歩いていった。
その夜、カイは宿の夕飯をほとんど食べなかった。カイが夕飯を残すのを、わしは生まれて初めて見た。
「カイ。技なら、これ、締めてよ」
ロッテが自分の剣を、カイの前にごとんと置いた。昼間、柄がゆるんでいると言っていた剣だ。
カイは、ふくれっつらのまま、剣の柄を手に取った。くるりと回して、眺めて、柄の根もとの小さなくさびを指の先で押しこんだ。それから宿のおかみさんに細い紐をもらってきて、柄に巻き直した。
あっというまだった。
ロッテが剣を振った。柄がぴたりと手に吸いついた。
「……すごい! 前より、持ちやすい!」
「……こんなの、ふつうだ」
カイはそっぽを向いた。
父親がカイの隣に座った。しばらく黙っていた。それから、カイの頭に手を置いた。
「……直すのも、強い」
カイは、何も言わなかった。
父親は人のケガを直す人だ。三語に満たない言葉だったが、たぶん、父親がいちばん言いたかったことだった。カイは父親の手の下で、少しだけ肩を下げた。
◇ ◇ ◇
次の朝、宿を出るとき、リーゼは学校の服のまま町に残った。カイは、残らなかった。
「……学校なんか、行かない」
カイはそう言って、浮く台に乗った。母親は、何も言わなかった。
家に帰った次の日、カイは物置にこもった。
わしは戸のすきまからのぞいた。
カイは木彫りの小さな剣を持っていた。八年前、父親が寄り合いの旅の土産に買ってきた剣だ。カイはあれから八年、この剣を振り回してきた。
もう、しまうらしい。
カイは剣を棚に置こうとして、手を止めた。
刃のところを指でなぞった。小さなひびがあった。八年、振り回してきたひびだ。
カイは、腰の小刀を抜いた。
ひびのまわりを、ほんの少しずつ削っていく。削っては、指でなぞる。なぞっては、また削る。ひびが、だんだん浅くなって、やがて消えた。
それから、布で剣の表面を磨きはじめた。木の目に沿って、ていねいに。何度も、何度も。
磨き終わると、カイは物置のいちばん奥の棚に、剣をまっすぐ置いた。ほかの何にもぶつからないように、少しだけ離して。
ふてくされているのに、しまう手つきが、ていねいだった。
ふてくされているのに、手が勝手に直してしまうらしい。
わしは戸のすきまで、息を止めていた。
木の目が見える。どこを削れば、どう割れるか分かる。どこが、もうすぐ折れるか分かる。
前世でいえば、ハード屋の目だ。
箱を開けなくても、どこに何が入っていて、どこが壊れかけているのか、分かってしまう目。わしが六十年近く生きて、一度も持てなかった目。
それが壁一枚向こうの、ふてくされた兄の手の中にある。
物置の中でカイが小さく鼻をすする音がした。それから棚の上の剣の向きを、もう一度だけ、ほんの少し直す音がした。
……この兄にスマホの中を見せたら、どうなるだろう。
わしは胸の中のスマホを、そっと抱え直した。
スマホの中身は、十歳のわしに、先送りである。
――ビジネス用語――
※1 ブラックボックス:中身や仕組みが外から見えないもの。今回のブラックボックスは、四角の一つ一つと、それを全部しまっているスマホそのもの。
※2 マター:その人の担当の案件。サーバーの箱を開けるのはハード係マター。この家には、ハード係がいない。




