第32話 変わっている兄〈ミナとニナ視点〉
わたしたちのすぐ上の兄は、なんだか変わっている。
リーゼ姉さまも変わっている。いつも本を読んでいて、いつも絵を描いていて、何もしゃべらないのに、何でも知っている。でも、おにいちゃんはそれに輪をかけて変わっている。
わたしたちはミナとニナ。七つの双子だ。おにいちゃんの変なところなら、ふたりでいくらでも言える。
ひとつめ。おにいちゃんは夜になると、黒い本に話しかける。
字の書いていない黒い本だ。おにいちゃんがずっと大事に持っている。夜中に目がさめると、おにいちゃんが毛布の中でその本に何か言っているのが聞こえる。いつも同じ三つの言葉だ。名前みたいに聞こえる。でも、うちの村にそんな名前の人はいない。
ふたつめ。おにいちゃんは母さまの薪割りを見て、拍手する。
毎朝だ。母さまが斧を振って、薪がきれいに二つに割れると、おにいちゃんは戸口でぱちぱちと手をたたく。母さまはもう慣れていて、振り返りもしない。でも、ちょっとだけうれしそうだ。
一度、わたしたちもまねをして拍手をした。フィンもした。ネルもした。ティアは母さまの背中で、よくわからないまま手をたたいた。
母さまは斧を下ろして、こっちを向いた。
「……あんたたち、拍手はいいから、薪を運びな」
それから、もう一本割った。今度は、いつもよりちょっとだけ高く斧を振り上げていた。
みっつめ。おにいちゃんは鍬の持ち方を、帳面につけている。
エリク兄さまからもらった帳面に手の絵がいっぱい描いてある。指をここにかける。ここは、かけない。まめができる持ち方と、できない持ち方。
「……なんで、まめができる持ち方まで、描いてあるの?」
ニナが聞いたら、おにいちゃんは帳面をぱたんと閉じた。
よっつめ。おにいちゃんは晴れた日の昼、黒い本をおひさまの下に寝かせる。
ほんとうに寝かせるだけだった。黒い板の束を地面に広げて、黒い本と細いひもでつないで、その横におにいちゃんも寝ころぶ。黒い本と、黒い板と、おにいちゃんが、ならんでひなたぼっこをしている。雲が来ると、おにいちゃんは起きあがって空をにらむ。雲が行くと、また寝る。何を待っているのかは、わからない。
いつつめ。おにいちゃんの寝言は、どこの言葉でもない。
「……しめきり」
「……かちょう、それは、まだ、決まってない……」
母さまも、父さまも、ノエル先生も、そんな言葉は知らないと言った。ノエル先生は帳面に書いていた。先生はおにいちゃんの言葉をいっぱい書いている。
むっつめ。おにいちゃんはかわいいものを見ると「みじょか」と言う。
これはもう、うちの言葉になった。わたしたちも言う。ティアを見ると、言う。みじょか。でも、おにいちゃんがティアを抱っこしたときだけ、ときどき「ざぁま、みじょか」になる。それは、おにいちゃんしか言わない。
ミナはそういうおにいちゃんが、好きだ。
ニナも、好きだ。眉間にしわを寄せながら、好きだ。
◇ ◇ ◇
むろを掘った年の、初夏のある日。若い領主さまが父さまを訪ねてきた。
戸口で「いらっしゃいませ」をするのは、わたしたちの係だ。ハイディ先生がいなくなってから、ずっとそうしている。
「「いらっしゃいませ!」」
若い領主さまは、にこにこしてお辞儀を返してくれた。それから、わたしたちの前にしゃがんで、ふところから、たたんだ紙を一枚出した。
「うちの娘から、アイン坊ちゃんに。渡してもらえるかい」
ミナが、受け取った。
若い領主さまが家の中に入っていったあと、わたしたちは戸口で紙を見下ろした。
紙のおもてに大きな字で書いてあった。
アインへ。
ニナの眉間に、しわが寄った。
この春、おにいちゃんは隣の村で柵を直す手伝いをした。そこで、若い領主さまの娘が、ずっとおにいちゃんのうしろにくっついていたのを、わたしたちは見ていた。水を運んで、何をするか聞いて、帰りには、おにいちゃんの頭に花の輪を載せていった。
あの子から、手紙。
「……ミナ」
「……ニナ」
わたしたちは顔を見合わせた。言わなくても、わかった。
◇ ◇ ◇
作戦会議は、物置の裏のカイ兄さまの秘密基地でした。カイ兄さまは、また木切れで何かを作っていて、わたしたちが入っていっても気づかなかった。
「おにいちゃんを、よそに、やらない作戦」
ミナが言った。
「手紙は、かくす」
ニナが言った。
それで作戦は決まった。決まったけれど、次でもめた。
「ミナが、持つ」
「ニナが、持つ」
「ミナがもらったんだから、ミナが持つ!」
「ニナのほうが、かくすのがうまい!」
そのとき、秘密基地の入り口から、おにいちゃんが顔を出した。昼寝の場所をさがしに来たらしい。眠そうな目で、わたしたちを見た。
「……また、けんか?」
「「なんでもない!」」
おにいちゃんは、わたしたちが二人で引っぱりあっている紙を見た。たぶん字までは見えていなかった。あくびをしながら言った。
「……はんぶんずつ、持てば」
それから秘密基地の奥の、日の当たる木切れの上に横になって、すぐに寝た。
わたしたちは引っぱりあったまま、固まった。
半分ずつ。
ミナが右を、ニナが左を持って、それぞれ自分のほうへ、ほんの少しだけ引いた。
びり、と音がした。
手紙が、ほんとうに半分になった。
わたしたちは半分ずつの紙を持って、真っ青になった。おにいちゃんは木切れの上で、すうすう寝ていた。
「なんだ、作戦か? 作戦なら、親分が要るだろ!」
カイ兄さまが木切れから顔を上げた。今ごろ気がついたらしい。
「「いらない!」」
わたしたちは半分ずつの紙を背中に隠して、秘密基地から逃げ出した。カイ兄さまは「なんだよう」と言って、また木切れに戻った。
半分は、ミナが靴の中に隠した。もう半分は、ニナが台所の芋のかごの、いちばん下に隠した。ニナは芋のかごがいちばん安全だと思った。毎日数える人がいるので、かえって誰も中を見ない。
次の日の夕方、母さまがそのかごの芋を鍋に入れはじめた。
ニナは悲鳴を上げそうになるのをこらえて、かまどの前に飛びこんだ。母さまの手が最後の芋をつかむ前に、かごの底から紙を引っぱり出した。
「……ニナ、何してんだい」
「……むし」
ニナは紙を握りしめて言った。どこかで聞いたことのある、ごまかし方だった。
◇ ◇ ◇
その日から、わたしたちは少しだけ元気がなかった。
ニナの眉間のしわは三日ほどけなかった。寝ているときも、ほどけなかった。ミナの口はもぐもぐしなくなった。
それなのに、わたしたちは毎日けんかをした。元気がないと、なぜか、けんかが増える。
夕飯の最後の芋で、けんかになった。
おにいちゃんが自分の芋を、黙って半分に割った。それをさらに半分に割って、わたしたちの椀に一つずつ入れた。残りの小さいのを自分で食べた。最後の芋も、おにいちゃんの芋も、ちょうど同じ大きさになった。
寝る場所で、けんかになった。
窓のそばか、かまどのそばか。おにいちゃんは黙って、わたしたちのあいだに寝ころんだ。右がミナ、左がニナ。どっちも、おにいちゃんの隣。それで、けんかは終わった。
ティアの抱っこの順番で、けんかになった。
おにいちゃんは当番表を持ってきて、わたしたちの名前の枠を指さした。二人一組の枠。ミナが抱っこして、ニナが頭を支える。半分ずつ。今度は、破れなかった。
おにいちゃんは、いつも、ちょうどいい。
わたしたちが、おにいちゃんの手紙を破ったことも知らないのに。
三日めの昼、ノエル先生がわたしたちの顔をのぞきこんだ。
「お二人とも、何か、わからないことが、ありますか」
先生は、わからないことを聞くのが好きだ。わたしたちは顔を見合わせて、それから、ミナが小さな声で聞いた。
「……やぶれた紙って、なおる?」
先生は少し考えた。
「なおらない紙も、あります。でも、二枚を並べてぴったり合わせれば、ちゃんと読めます」
それから先生は、それ以上は何も聞かなかった。
三日めの夜、ニナが毛布の中で言った。
「……返そう」
ミナはうなずいた。
◇ ◇ ◇
次の朝、わたしたちは半分ずつの紙を持って、おにいちゃんの前に並んだ。
「「ごめんなさい」」
二枚の紙をおにいちゃんに差し出した。
おにいちゃんは目をぱちくりさせた。二枚の紙を受け取って、地面に並べて、破れたところをぴったり合わせた。それから、しゃがみこんで読んだ。
わたしたちは、まだあまり字が読めない。でも、短い手紙だったので、おにいちゃんが声に出して読んでくれた。
「……アインへ。つぎの、しゅうかくさい、くる? また、かぞえる」
おにいちゃんは、しばらく手紙を見ていた。
それから顔を上げて、わたしたちを見た。
「……ミナとニナも、いっしょに行こう」
わたしたちは顔を見合わせた。
それから、そろってうなずいた。
おにいちゃんは破れた手紙をていねいに重ねて、黒い本のあいだに挟んだ。怒らなかった。何があったのかも、聞かなかった。
そのかわり、夕方、おにいちゃんは炭と板切れを持ってきた。
「返事、書くの、手伝って」
おにいちゃんが字を書いて、わたしたちが、そのまわりに絵を描いた。ミナは芋を描いた。ニナは柵を描いた。おにいちゃんは、いちばん下に小さく、杭の絵を一本描いた。
板切れは次に若い領主さまが来たときに、わたしたちが渡すことになった。戸口の係だからだ。
その日の夕方、わたしたちは秘密基地で最後の作戦会議をした。
「……おにいちゃんって、なんでいつも、ちょうどいいの?」
ミナが聞いた。
ニナは長いこと考えた。眉間のしわが深くなって、それから、ほどけた。
「わかんない。でも、ちょうどいい」
おにいちゃんは、ちょうどいいことを、だれにも言わない。芋を割ったことも、真ん中に寝たことも、半分ずつの枠も。
ニナは、たまたまだとは思わない。いつか、わけを探ってやろうと思う。
ミナはそんなことはどうでもよくて、おなかがすいた。
今日のおにいちゃんも、変わっていた。でも、好き。
おにいちゃんは、黒い本のなぞは、十歳になったら、って言った。




