第34話 弟のガラクタ〈カイ視点〉
剣を物置にしまってから、おれは屋根の上にいることが多くなった。
屋根の上は、いい。誰も来ない。空しか見えない。ロッテ姉ちゃんの剣の話も、母ちゃんの薪割りの音も、ここまでは届かない。届くけど、聞こえないふりができる。
「あの子が、屋根から降りてこないよ」
下で母ちゃんが言っているのが聞こえた。
降りない。
剣の神さまのスキルをもらえるのは十三になってからだ。それまでの三年、おれには剣がない。ロッテ姉ちゃんは十のときに剣をもらって、母ちゃんに稽古をつけてもらっている。おれは、木の目だ。
剣がだめなら、おれには何もない。
そう思って屋根の上で寝ころんでいた。
三日めに、はしごがきしんだ。
ミナとニナが芋を一つずつ持って、はしごを上ってきた。その下からフィンも上ってきた。ネルは、はしごの下で「ネルも!」と言って、自分で上ろうとして、母ちゃんに襟首をつかまれていた。母ちゃんの背中のティアは何がおもしろいのか、けらけら笑っていた。
「「カイにいちゃん、いも」」
双子は屋根の上に芋を二つ並べた。
「……降りないぞ」
おれは言った。言ったけど、芋は食べた。
ミナがおれの隣に座った。
「カイにいちゃんは、けんがなくても、カイにいちゃんだよ」
ニナが眉間にしわを寄せて、屋根の板を指でなぞった。
「……きのめ、って、これ?」
「……ちがう。それは、ただの傷だ。木の目は、こっち」
おれは屋根板の筋を指でたどって見せた。どっちに向かって割れやすいか。どこに水がしみるか。どの板が次の冬でだめになるか。
双子はぽかんと口を開けて聞いていた。フィンは八の字の眉のまま、おれの指の先をじっと見ていた。
ちょっとだけ、いい気分だった。ちょっとだけだ。
◇ ◇ ◇
困ったのは、夜だった。
目をつぶると、昼間に見たものが勝手に浮かんでくる。
門の蝶番。開け閉めするたびに、ぎい、と鳴る。あれは軸のところが少しだけ削れていて、片側に寄っているからだ。
台所の桶の取っ手。左の根もとにひびが入っている。あと十日もすれば、水を入れたまま取っ手だけが抜ける。
ネルの小さな椅子。脚の一本が、ほかの三本より爪の先ぶん短い。だからネルは椅子に座るたびに、ぐらっと揺れて、けらけら笑っている。
気になって、眠れない。
ある晩、おれはこっそり寝床を抜け出した。
門の蝶番の軸に、かまどの灰を少しすりこんで、片寄りを直した。桶の取っ手は、ひびの上から細い紐をきつく巻いた。ネルの椅子は、短い脚の先に薄い木のかけらを一枚かませた。
全部、銀色の月明かりでやった。今年いちばん大きいのはテクネさまの銀の月だ。剣をくれなかった神さまの月の下で、手が勝手に動いた。どこをどうすればいいか、見れば分かった。
次の朝、母ちゃんが門を開けて首をかしげた。
「……門が、鳴らなくなったね」
母ちゃんはそれから、卓でぼんやり芋をかじっていたアインのほうを見た。
「……アインかい?」
「ちがう」
アインは首を振った。
おれは、黙っていた。
なんで黙っていたのかは分からない。言えばよかったのかもしれない。でも、言ったらなんだか、剣をあきらめたみたいな気がした。
母ちゃんはアインとおれを見比べて、それ以上は聞かなかった。
ネルはその日、椅子に座っても揺れなかった。揺れないので、つまらなそうな顔をしていた。
昼すぎ、ノエル先生が門のところで立ち止まっていた。門を何度か開け閉めして、蝶番の軸をのぞきこんで、それから屋根の上のおれを見上げた。
先生は何も言わなかった。みんなの前では。
夕方、おれが屋根から降りると、先生がはしごの下で待っていた。
「門を直したのは、カイさんですね」
小さな声だった。
「手で考える人は、夜になっても、手が考えるんですね」
それだけ言って、先生は家の中に戻っていった。おれは、なんだか顔が熱くなって、しばらくはしごの下から動けなかった。
◇ ◇ ◇
次の日の昼、アインが秘密基地にやってきた。
秘密基地は物置の裏の、おれの場所だ。屋根の次に誰も来ない。アインだけは昼寝の場所をさがして、ときどき勝手に入ってくる。
今日は、昼寝ではなかった。
アインは両手に、何かを抱えていた。
黒い板の束と、黒い本。
黒い板の束は二年前の秋に畑に落ちてきた「アインの本の、二冊め」だ。黒い本のほうは、アインが毎晩毛布の中で開いている。
アインは黒い板の束を、おれの前に広げた。
「カイにいちゃん。これ、なんで、たためるの?」
おれはそっぽを向こうとした。
向こうとして、目が板に吸いついた。
見えた。
黒い板は一枚の板じゃなかった。薄いものが何枚も重なっている。いちばん上はガラスに似ているけど、ガラスじゃない。少しだけ曲がる何かだ。その下に葉っぱの筋みたいな細い銀の線が、びっしり走っている。いちばん下は薄くて固い、知らない板。
それから、板と板のあいだの布。
布の中に線が一本、通っていた。布と一緒に曲がるように、くねくねと余裕をもたせて縫いこんである。
「……布のとこで、曲がるんだ」
おれは気がついたら、しゃべっていた。
「板は、曲がらない。曲げたら、割れる。だから、板と板のあいだを布にして、布のとこで曲げる。中の線は、布の中を通ってて、曲げても切れないように、たるませてある。……うまいこと、考えてあるな、これ」
アインは目をまるくして、うなずいた。
それから、聞いてきた。
「この、ぎんの、すじは?」
「光を、集めてるんだと思う。葉っぱの筋と、おんなじだ。集めたのを、この線で、端っこまで運んでる」
「はしっこは?」
「この穴。ここから、外に出す」
アインは、ふところからエリク兄ちゃんにもらった帳面を出して、炭で何か書きはじめた。おれが一つ言うたびに、一つ書く。
おれは、のぞきこんだ。
字だった。でも、ところどころに見たことのない字が混じっていた。ぐにゃぐにゃして、細かくて、おれの知っている字のどれとも違う。
「なんだ、その字」
「……じぶんの、しるし」
アインは帳面を胸に引き寄せた。こぶんにも、こぶんの字があるらしい。
◇ ◇ ◇
それからアインは、黒い本のほうを差し出した。
「これも、みて」
おれは黒い本を手に取った。
表紙を開くと、真っ黒な板がはまっている。その板をひっくり返して、横から見て、下から見た。いちばん下に、星みたいな形の小さな小さなネジがあった。
中が、見えた。
板が一枚。その上に小さな四角がたくさん並んでいる。四角と四角のあいだを、髪の毛より細い線が数えきれないほど走っている。いちばん大きな四角のまわりだけ、線が蜘蛛の巣みたいに集まっていた。
おれは黒い本を、そっと閉じた。
「……これ、開けるなよ」
アインがおれを見た。
「開けたら、たぶん、もとに戻らない。この線、細すぎる。一本切れたら、もう、つなげない」
アインは黙って、黒い本を受け取った。胸に抱えた。それから小さな声で言った。
「……あけなくて、よかった?」
「ああ。おまえ、開けなかったのは、正解だ」
アインの肩から、すとんと何かが下りたように見えた。何をそんなに心配していたのかは知らない。
おれはもう一度、黒い板の束を見た。
布の継ぎ目。たためる板。
「なあ」
おれは言った。
「これ、木でも作れるぞ」
◇ ◇ ◇
その晩から、おれは三晩、秘密基地にこもった。
薄い板を四枚削った。木の目に沿って、割れないように。四枚とも同じ厚さ、同じ大きさにそろえた。母ちゃんにもらった古い布を細く切って、板と板のあいだに、しっかり縫いつけた。
四日めの朝、できあがった。
たたむと、一冊の本くらいの大きさになる。広げると、四枚の板がぴったり並ぶ。炭で絵を描くのに、ちょうどいい広さだ。
町の学校にいるリーゼ姉ちゃんにやるつもりだった。リーゼ姉ちゃんは、いつも板切れを何枚も抱えて歩いている。これなら一枚にたためる。
できあがった画板を母ちゃんに見せた。
母ちゃんは広げて、たたんで、また広げた。それから、おれの頭をぐしゃぐしゃにした。
「……つよいじゃないか」
おれは返事をしなかった。でも、屋根には上らなかった。
その夜、寝床に戻ると、枕もとに布の包みが一つ置いてあった。
開けると、小刀と、のみが三本入っていた。どれも柄がすり減って、手の形にへこんでいる。
父ちゃんの道具だった。柵の杭を削り、アインの積み木を削り、腰かけを削った道具だ。
隣の寝床から父ちゃんの声がした。
「……使え」
それきり父ちゃんは、いびきをかきはじめた。
おれは包みを胸に抱えて、しばらく眠れなかった。
画板は次に村に来た行商人に頼んで、町の学校のリーゼ姉ちゃんに届けてもらった。
ひと月して、行商人がリーゼ姉ちゃんからの包みを持ってきた。中には、あの画板が入っていた。広げると、四枚の板いっぱいに炭で絵が描いてあった。
おれの顔だった。
のみを握って木を削っている、おれの顔。
絵の中のおれは、ずいぶんうれしそうな顔をしていた。おれは、こんな顔で削っていたらしい。
剣は、母ちゃんとロッテ姉ちゃんにまかせる。
おれは、作る。
「春から、学校に行く」
夕飯のとき、おれは自分から言った。母ちゃんは「そうかい」とだけ言った。
それまでに、門と、桶と、ネルの椅子のほかに、家の壊れかけが、あと十一ある。数えたら、ちょうどひと冬ぶんだった。
◇ ◇ ◇
あとになって、ときどき思う。
あの日、アインはなんで黒い板の束を持ってきたんだろう。
おれをなぐさめに来たんだと思う。屋根から降りてこない兄ちゃんを、こぶんなりに心配したんだろう。あいつは、ときどき、そういうことをする。
でも、それにしては、あいつは、ずいぶん熱心に帳面に書いていた。おれが言ったことを、ひとつ残らず。ぐにゃぐにゃの字で。
あの帳面は、何だったんだろう。
なんだか、こぶんが、おれから何かを持っていったような気がする。
何を持っていかれたのかは分からない。分からないけど、損をした気はしない。
おれは父ちゃんののみで、今日も何かを削っている。
弟の黒い本の中身は、おれには見える。何をするのかは、弟が十になってから、だそうだ。




