第25話 サボリーマンと、労災を治す天使
七つになったら鍬を持つ。小さいうちは石拾いと草取りだけだ。
この村の決まりらしい。わしは父親にもらった鍬をかついで、朝の畑に立った。
鍬が、重い。
大人の鍬を短く切っただけなので、刃のほうはそのままだ。持ち上げると刃の重さで、わしの体ごと前に引っぱられる。この世界のものは、なんでも前世の倍くらい重い。
わしの体は合わせられていない。七つになっても、ちんちくりんのままだ。
畑にはきょうだいが総出で出ていた。
ミナとニナは、かごを一つ二人で持って畝の石を拾っている。フィンは拾う係のはずが、蛙を見つけて追いかけて、耕したばかりの畝を三本踏んでいった。カイは畝のあいだの溝を、なぜか深く深く掘っている。
「カイ、そこは溝だよ」
「堀だ! とりでの、堀!」
カイの頭の中では、畑はもう砦になっているらしい。リーゼだけが黙々と種をまいていた。秋の儀式のあとは町の学校に行ってしまう。この畑で種をまくのも、今年が最後だ。
父親は、その全部を黙って直して回っていた。フィンの踏んだ畝を、もとに戻す。カイの堀を、埋める。ミナとニナの拾った石を、柵のそばに積む。
そして、鍬を振る。
父親の耕し方は、まっすぐだった。畑のはしから反対のはしまで、一本耕す。耕し終わると鍬をかついで、もとのはしまで歩いて戻る。それから隣の一本を耕す。
戻るとき、父親の鍬はずっと肩の上だった。
……もったいない。
行きで一本耕して、帰りは手ぶらで歩いている。帰り道でも隣の一本を耕せばいいのだ。行って、折り返して、帰りながら耕す。一筆書きの順にすれば、歩く道のりは半分になる。
わしは父親の隣の畝に立って、父親とは反対の向きに鍬を振りはじめた。
父親が、手を止めた。
はしまで耕した父親が、戻ってくる。わしの耕した畝の隣で、止まる。わしの畝と父親の畝を、交互に見る。
それから父親は、肩の鍬を下ろした。戻る道を、耕しながら戻りはじめた。
次の日から、父親は行きも帰りも耕すようになった。畑仕事が、昼前にずいぶん早く終わるようになった。
「あの人、急に手が早くなったんだよ。年取って、むしろ速くなるってのは、どういうことだい」
母親が首をかしげていた。手柄は父親のものである。わしが速いと知れたら、畝が倍になる。
わしはといえば、ほとんど耕していなかった。最初の半日で、手のひらにまめが四つできていた。
◇ ◇ ◇
ワークフローは組み替えられる。歩く道のりも半分にできる。
だが、まめはどうにもならない。
鍬の柄は硬くて、手のひらは柔らかい。振れば振るほど、柔らかいほうがすり減る。これは段取りの問題ではなく、木と皮の問題だ。プラミがいれば、鍬の重さとわしの腕の長さから、いちばん疲れない振り方を出してくれていただろう。いないので、まめが四つある。
わしは手のひらを父親に見せた。
父親は、わしの手のひらをじっと見た。それから、ぼそりと言った。
「……まめは、育てる」
治してくれなかった。
前世の親父も同じことを言った。まめは、つぶして、固くするもんだ、と。この父親の手のひらも、まめのあとで岩のように固い。
分かってはいる。分かってはいるが、七つの手のひらは柔らかすぎた。
わしは手のひらに息を吹きかけながら、畝のはしに座りこんだ。
前世の会社なら、まめ一つで労災の申請書を三枚書かされるところだ。上司の判子をもらいに行って、上司がいなくて、また次の日に行く。結局、まめのほうが先に治る。
ここには申請書もない。
ついでに言えば、寝ころんで眺めるものも、ない。
前世では仕事から帰ると、寝床に寝ころんで、手のひらの上で知らない国の市場を眺めた。眺めているうちに寝てしまうのが、一日でいちばんいい時間だった。スマホはもう動く。だが、映るのは前世の写真と、あいつらの最後の会話だけである。
町の市までは、歩いて五日。
……寝ころんだまま、町の市が見たい。
七つの年に、わしはこの世界での最初の要件を決めた。決めただけで、作り方はまだ何もわからない。
「あらあら。ずいぶん、ひどい手だねえ」
上から、声が降ってきた。
顔を上げると、女の人がわしをのぞきこんでいた。
二十代の後半くらいだろうか。日に焼けた丸い顔に、そばかすが散っている。頭に布を巻いて、袖を肘までまくっていた。隣の畑で毎朝鍬を振っている人だ。
「モニカねえちゃんだ!」
ミナとニナが、かごを放り出して駆け寄ってきた。フィンも蛙を放して駆け寄ってきた。村の子どもたちは、みんなこの人をそう呼ぶらしい。
「はいはい、モニカねえちゃんですよ。……坊ちゃん、手、見せてごらん」
モニカねえちゃんは、わしの前にしゃがんで、わしの手を両手でそっと包んだ。土の匂いがした。
「光よ、ここに」
短い言葉だった。
モニカねえちゃんの手のすきまから、やわらかい光がこぼれた。父親の光と少しだけ似ていた。
手のひらが、温かくなった。
光が消えると、まめが、なくなっていた。つるりとした七歳の手のひらだった。
「はい、おしまい。村の子のまめは、だいたい、あたしが治してるんだよ。領主様は、まめは育てろって言うからねえ」
モニカねえちゃんは、からからと笑った。
わしは自分の手のひらを見つめた。それから、モニカねえちゃんの顔を見た。日に焼けた頬が、笑うたびに丸く持ち上がる。
まめを、治してくれた。
頼んでもいないのに。申請書も判子もなしに。
「……やさしい。天使や~」
口から、出た。
モニカねえちゃんが目をぱちくりさせた。
「……どこの言葉だい、それ」
ミナとニナが顔を見合わせた。フィンが八の字の眉で首をかしげた。
そのとき、急にまぶたが重くなった。
まめ四つぶんの力が、わしの体からすうっと抜けていく。
わしは、畝のはしで、そのまま寝た。
日なたで、土の匂いがして、手のひらが温かかった。
目を覚ますと、隣にカイが寝ていた。その隣にミナとニナ。その隣にフィン。畝のはしに、きょうだいが一列に並んで寝ていた。
あとで聞いたところでは、わしが治してもらうのを見たカイが「おれも、まめ!」と言いだしたらしい。カイの手には、まめなどなかった。かわりに、さっき堀を掘ったときのすり傷があった。ミナとニナは膝のすり傷を探しあって見せた。フィンはどこにも傷がなかったので、蛙に噛まれたと言いはった。蛙は、噛まない。
モニカねえちゃんは、笑いながら全員に「光よ、ここに」とやってくれた。そして全員、その場で寝た。
畑から戻ってきた父親が、畝のはしの寝顔の列を端から順に眺めた。
「……畑が」
それきり、父親は黙って、一人で残りを耕した。
◇ ◇ ◇
次の日も、まめができた。
鍬の握り方くらい、前世の手なら知っている。だが七つの手は、前世の手の半分しかない。知っている握り方が短い指に合わない。倍の重さの刃に引っぱられて、柄を握る手につい力が入る。振り下ろすたびに、手のひらが柄の上ですべる。
昼までに、まめが五つできた。
「……持ち方、へん」
隣の畝で種をまいていたリーゼが、ぼそりと言った。リーゼはだいたい何でも見ている。どこがへんなのかは言わなかった。わしは握りなおしてみたが、指をどこに置いても短いものは短かった。
「あらあら」
モニカねえちゃんが、また来てくれた。
「光よ、ここに」
まめが消える。手のひらが温かくなる。まぶたが重くなる。わしは、畝のはしで寝る。
よくできている、と一瞬思った。
まめができる。天使が来る。治してもらう。そのまま昼寝ができる。しかも寝ているあいだ、誰にも働けとは言われない。ケガ人だからだ。前世の会社にこんな仕組みがあったら――
……これは、仕組みではない。モニカねえちゃんの手間だ。
そこまで考えたところで、寝た。
三日めも、まめができた。持ち方はまだ直らなかった。
三日めは、寝ているあいだになぜか体が揺れていた。
目を開けると、大きな背中の上だった。土と汗の匂いがする。見たことのない、広い肩だ。
「お、起きたか、坊ちゃん。もうすぐ家だ」
知らない男の人が、わしを背負って歩いていた。体が大きくて首が太くて、振り返った顔がまるごと笑っていた。
「モニカの亭主だよ。うちのが、坊ちゃんが畑のはしで毎日寝てるって言うからさ。日が暮れちまうと、冷えるだろ」
旦那さんは、歩きながら楽しそうに話した。
「うちのはさ、人の世話ばっかり焼くんだ。村じゅうの子のまめを治して、隣の畑のばあさんの腰をさすって、帰ってきたら、おれの晩飯の芋の皮まで、むいて待ってる。自分のことは、いつもあとまわしでさ」
それから、少しだけ照れくさそうに笑った。
「だから、おれが、あいつの世話を焼くことにしてるんだよ」
大きな背中の上で、わしは何も言えなかった。
……その世話の中に、わしも入っていた。
旦那さんは、わしを背負ったまま家の戸口まで歩いて、母親に渡した。母親が礼を言うと、旦那さんは「いやいや」と大きな手を振って、それから、わしの頭をくしゃっとなでた。
その手は、父親と同じくらい、固かった。
次の朝、畑に出ると、わしの鍬が柵に立てかけてあった。
柄に、布が巻いてあった。
手で握るところに、やわらかい布がぐるぐると、きっちり巻きつけてある。端はほどけないように、細い紐でしばってあった。
「うちの亭主がね、ゆうべ巻いたんだよ」
モニカねえちゃんが、隣の畑から笑って言った。
「これで、まめはできねえよ、だってさ。……あの人、そういうとこ、気が回るんだよねえ」
モニカねえちゃんは、少しだけ得意そうに、それから、うれしそうに笑った。わしにまめを治してくれたときとも、子どもたちに笑いかけるときとも違う顔だった。
わしは布の巻かれた鍬を握った。
やわらかかった。手のひらが布に吸いついた。力が入っても、すべらない。すべらなければ、こすれない。こすれなければ、まめはできない。
わしが三日かけて直せなかった持ち方を、旦那さんは布一枚で直してしまった。
その日、まめは、一つもできなかった。次の日も、その次の日も、できなかった。
その次の日には、父親の鍬の柄にも同じ布が巻いてあった。旦那さんが、ついでに巻いていったらしい。父親は布の巻かれた柄をしばらく握ったり離したりして、それから黙って畑に出ていった。まめは、育てるものではなかったのかもしれない。
勝てない。
治してもらう理由も、畝のはしで寝る理由も、旦那さんの布一枚でまるごとなくなった。しかも旦那さんは、ただ親切にしただけだ。悪いところが、どこにもない。悪いところがない相手には、勝ちようがない。
失恋である。四件め。
わしは布の巻かれた鍬で、行きも帰りも耕した。まめができないので、昼寝の理由もなかった。
悪いところのない相手に勝つ方法は、十歳のわしに、先送りである。
――ビジネス用語――
※1 ワークフロー:仕事の流れ。今回は、行きも帰りも耕す、父の一筆書き。
※2 労災:仕事中のけがや病気を、保険でみてもらうこと(労働災害)。今回の労災は、まめ四つ。申請先は、隣の畑の天使。




