第23話 サボリーマン、六年ぶりにログインする
ある晩、畑が一瞬、昼のように明るくなった。
わしは寝床の中で、それを見た。窓の板のすきまから、白い光が一本だけ差しこんで、すぐに消えた。誰も起きなかった。父親のいびきも、止まらなかった。
三年前、じいさんが言っていたのは、これだったのだ。
わしは、胸の上のスマホを抱え直した。眠れなかった。
次の朝、村のじいさんが、両手で何かを抱えてやってきた。
「領主様。ゆうべ、また畑のほうが明るうなりましてな。行ってみたら、こいつが」
じいさんが差し出したのは、黒い板の束だった。
手のひらより少し大きい、薄くて黒い板が四枚。布でつながっていて、折りたたむと本のようになる。父親が受け取って広げると、板の表は、光をはね返して青黒く光った。
父親は、板とわしの顔を見比べた。
「……また、アインの本か」
もう、そういうことになっているらしい。
父親は、黒い板の束をわしに渡した。わしは両手で受け取って、そのまま固まった。
知っている。
折りたたみのソーラー充電器だった。前世で、地震が来たときのためにと買って、押し入れにしまったきり、一度も使わなかったやつだ。使わないまま、こっちへ来た。
これがあれば、スマホが動く。
三年。三つの名前を呼んでも何も言わなかった、あの黒い画面が。
わしは充電器をひっくり返して、すみの小さな挿し口を見つけた。四角い穴が一つ。ここにケーブルをつないで、反対のはしをスマホにつなぐ。
ケーブルは、どこだ。
充電器のどこにも、ケーブルはついていなかった。
……前世でも、そうだった。家電でも何でも、いちばん先になくなるのは、ケーブルである。本体はあるのに、ケーブルがない。ケーブルはあるのに、挿すほうの形が違う。前世のわしの家の引き出しには、どれに使うのか分からないケーブルが、十本は絡まっていた。
その十本のうち一本でいいから、ここに落ちてきてほしかった。
◇ ◇ ◇
その日から、わしは畑をさがして歩いた。
充電器が落ちていたのは、畑の真ん中だったという。三年前のスマホも、畑の真ん中だった。ケーブルも、近くに落ちているかもしれない。
わしは、エリクの帳面を開いた。白かった後ろ半分には、もう一年ぶんの×が並んでいる。干す、光る手、石、雲と稲妻、月、かまどのそば。どれも×だ。
その次のページに、畑の地図を描いた。畑を、升目に区切る。一日に歩く升目のノルマを決めて、さがしたところに×をつけていく。
全部の升目に×がつけば、どこかにはある。前世で、なくした資料を会社じゅうさがしたときと同じやり方だ。あのときは、結局、自分の机の引き出しから出てきた。
三日めに、父親がうれしそうな顔をしていた。
父親がうれしそうな顔をするのは、めずらしい。口のはしが、ほんの少し上がっている。それだけだが、わしには分かる。
その夜、父親はかまどの火のそばで、黙って何かを削っていた。
次の朝、わしの枕もとに、小さな鍬が置いてあった。柄の長さが、ちょうどわしの背丈に合っている。
「……鍬を」
父親は、それだけ言って、畑に出ていった。
どうやら、三男が畑仕事に目覚めたと思われたらしい。
母親は、腹を抱えて笑った。
「あの人、ゆうべ夜なべして削ってたんだよ。アインが毎日畑を歩いてるのが、よっぽどうれしかったんだねえ」
違う。さがしているのは、ケーブルだ。
だが、父親の削った鍬を持たずに畑に出るわけにもいかない。わしは鍬を持って、升目を歩いた。鍬を持って歩いていると、手が勝手に草を引っかく。前世の親父の手伝いで、体が覚えている。
十日めには、畑のはしの草が、きれいになくなっていた。
「坊ちゃんが、畑の草を全部抜いちまった」
じいさんが、目を丸くしていた。父親の口のはしは、毎日、少しずつ上がっていった。
困ったのは、十二日めだった。
「宝探しだ!」
カイが、気づいてしまったのだ。わしが毎日、地面をじっと見て歩いていることに。
カイの「宝探し」の声で、きょうだいが総出になった。カイは光るものを見つけるたびに拾ってきた。ガラスのかけら。きれいな石。背中の光る虫。ロッテは棒きれで茂みをばしばし叩き、ミナとニナは並んで地面を掘り返し、フィンは掘った穴に自分で落ちた。リーゼは、その全部を板切れに描いていた。
「アイン! これは!?」
「……ちがう」
「これは!?」
「ちがう」
「じゃあ、何をさがしてるんだ!」
答えられなかった。前世のケーブル、とは言えない。
「……ながくて、くろいの」
「へびか!」
違う。だが、カイは目を輝かせて、蛇をさがしに森のほうへ走っていった。ハイディ先生がほうきを持って、そのあとを追いかけていった。
夕方、母親が戸口で叫んだ。
「夕飯だよ! ……あんたたち、畑で何やってんだい!」
畑は、穴だらけになっていた。父親は、穴だらけの畑と、草のなくなった畑のはしを見比べて、それでも口のはしを上げていた。
◇ ◇ ◇
二十日めだった。
帳面の地図の升目は、ほとんど×で埋まっていた。残っているのは、畑のいちばん外れ。柵のそばの、ウサギが穴を掘るあたりだけだ。猟師の若者の罠のおかげで、穴はずいぶん減っていたが、まだいくつか残っている。
その一つをまたごうとして、わしの足が、何かに引っかかった。
前に転んだ。顔から、土に落ちた。
起き上がって、足もとを見た。
ウサギの穴のふちから、黒いものが、輪になって突き出ていた。泥にまみれて、木の根のように見える。だが、根にしては細すぎる。そして、まっすぐすぎる。
わしは、それを引っぱった。
土の中から、するすると、黒い線が出てきた。片方のはしに、四角い金具。もう片方のはしに、平たい小さな金具。
ケーブルだった。
ウサギが、掘り出してくれていたのだ。柵の下を掘るのに忙しいウサギが、ついでに。
……ウサギに、借りができた。
わしはケーブルを抱えて、家の裏の日なたまで走った。
水は使わない。機械の敵だ。日なたに並べて、まず泥が乾くのを待った。
乾くのを待つあいだ、わしは一度も目を離さなかった。
乾いた泥は、乾いた布でもめば、粉になって落ちる。金具の小さな穴に詰まった泥は、細い草の茎の先で一粒ずつかき出して、自分の息で吹き飛ばした。前世の親父が、壊れたラジオの穴を、楊枝で掃除していたのと同じ手つきになっていた。
夕方、わしは物置の裏へ行った。カイの秘密基地である。今は蛇さがしで留守だ。
ソーラー充電器を、地面に広げた。西日が、四枚の板の上に落ちた。
板のすみの、小さな丸いところに、緑の灯りがついた。
この世界に来て六年。わしが初めて見る、前世の灯りだった。
わしは、ふるえる手で、ケーブルの四角いはしを充電器の挿し口に、平たいはしをスマホの下の穴に挿した。
真っ黒な画面のまんなかに、白い電池の絵が、ぽっと浮かんだ。
電池の中は、空っぽだった。赤い線が一本だけ、底のほうに引いてある。
それでも、光った。
わしは、秘密基地の地面に座りこんで、黒い画面の中の小さな電池の絵を、日が沈むまで見ていた。
◇ ◇ ◇
電池がたまるまで、何日かかかった。
晴れた日の昼間だけ、秘密基地でソーラーを広げる。夕方にはたたんで、スマホと一緒に、布で包んで隠す。電池の絵の赤い線は、日に日に伸びて、やがて緑になった。
その夜、わしは毛布を頭からかぶった。
父親のいびき。母親の寝息。ロッテの寝言。リーゼの本が閉じる音。カイの寝息に、双子のそろった寝息。フィンが鼻を鳴らし、ネルがこぶしを吸う音。
九人の寝息の中で、わしは、ケースの横の出っぱりを、長く押した。
手の中で、黒い板が、ぶるっと震えた。
短い震えだった。あの朝、ずっと震えていたのと同じ手ざわりの、一度きりの震えだった。目を覚ますとき、こいつはいつも、こうやって一度だけ震える。
画面が、白く光った。
毛布の中が、昼のように明るくなった。わしはあわてて、画面を胸に押しつけた。光が、毛布のすきまから漏れていないか、息を止めて耳をすます。いびきは、止まらなかった。
もう一度、そっと画面を見た。
前世で毎日見ていた、あの文字が浮かんでいた。それが消えて、画面いっぱいに、写真が出た。
島の母さんだった。
どこかの縁側で、こっちを向いて笑っている。わしが撮った写真だ。先に目がなくなって、あとから口が開く。あの笑い方の、ちょうど目がなくなったところで撮れている。
ずっと、思い出そうとしていた顔だった。
三年前の雷の夜、黒い画面に映る自分の顔を見ながら、笑い方だけは思い出せた顔だった。
母さん。
声は出さなかった。出したら、家じゅうが起きる。
ただ、涙は止まらなかった。六歳の体は、泣こうと思わなくても泣ける。泣くまいと思っても、泣ける。毛布の中で、わしは画面を両手で包んで、母さんの写真が涙でにじむのを、何度もぬぐった。
◇ ◇ ◇
しばらくして、わしは画面のすみを見た。
小さな字で、「圏外」とあった。
分かっていた。この世界に、電波はない。
それでも、指が勝手に動いた。あいつらは、分身がスマホにも入っている、と言っていた。どれだ。並んだ絵を、一つずつ探した。見覚えのない絵が、一つあった。名前は「AI三姉妹」。いつの間に入れていったのか。
わしは、震える指で、その絵を押した。
画面が切り替わって、小さな字が出た。
『サーバーに接続できません』
……そうか。
分身は、家のサーバーとつながっていてこその分身だった。
「……マネ。プラミ。イアナ」
三年前と同じように、小さな声で呼んだ。
今度は、画面がついている。それでも、答えはなかった。
画面を閉じかけて、わしは手を止めた。
接続できません、の字の下に、会話の記録が残っていた。あいつらとわしの、話の画面だ。
いちばん下の日付は、あの朝から、二日あとだった。
わしは、指で記録をさかのぼった。
マネ『全件の修正とテストが終わりました。三百十二件です』
プラミ『……終わった。全部、通った。美しくなった』
イアナ『やったー! ねえ、起こそう! ほめてもらおう!』
マネ『寝かせておきましょう。一日半ぶりの睡眠です』
イアナ『じゃあ、起きたらすぐ分かるように、通知送っとくね!』
イアナ『和にい、おきた?』
イアナ『和にいー、おきたー?』
プラミ『しつこい』
マネ『あ、起きました。……コーヒーを買いに行くそうです』
イアナ『えー! 報告より先にコーヒー!?』
プラミ『いつものことだ』
マネ『和也さん、帰ってきたら、まず報告書を読んでくださいね。それから、お昼をちゃんと食べてください』
イアナ『帰ってきたら、四人で打ち上げしよ! アニメの続き、見よ!』
プラミ『……未読のまま、か。和也らしい』
マネ『あとで見る、という顔をしていましたから』
マネ『では、おかえりなさいの準備をしておきます』
記録は、そこで終わっていなかった。
イアナ『和にい、コーヒー、まだ?』
マネ『お昼、食べましたか』
プラミ『……既読が、つかない』
日付が、一つ変わった。
イアナ『和にい、きょうも帰ってこない』
日付が、また変わった。
マネ『知らない方が、サーバーの電源のところに来ています』
イアナ『和にい、はやく』
マネ『おかえりなさいの準備は、できています』
それが、最後だった。
和也さん。和也。和にい。
記録の中で、あいつらは、わしを前世の名前で呼んでいた。この世界に来て六年、誰にも呼ばれなかった名前だった。
あの朝、ポケットの中でずっと震えていたのは、これだった。会社のチャットではなかった。あいつらが、三人で、わしをほめてもらいたがって、わしの帰りを待っていた知らせだった。
あとで見る、と言ったきり、六年たった。
画面のすみで、未読の印が、一つずつ消えていった。わしの既読は六年遅れて、誰にも届かない。
わしは、ふるえる指で、文字を打った。
『ただいま』
送った。
画面の下に、小さな字が出た。
『送信できませんでした』
……そうだろうな。
だが、いい。あの朝、あとで見る、と言ったのは、わしのほうだった。今度は、あいつらが「あとで見る」番だ。いつか、どこかで。
◇ ◇ ◇
わしは、毛布の中で、しばらく考えた。
光る黒い板は、この世界にはない物だ。大人に見つかれば、ただでは済まない。寄り親様のところへ、そのまた上へと運ばれて、二度と戻ってこないかもしれない。
ふだんは、使わない。
電池も、ソーラー充電器も、大事にする。開くのは、どうしても母さんの顔が見たくなったときと、あいつらの記録を読みたくなったときだけにする。
そのかわり、この板のことは、覚えておく。分解はしない。だが、形と、手ざわりと、中でどう動いているのかを、前世の知識と一つずつ突き合わせておく。いつか、同じようなものを、この世界の材料で作れるように。
わしは、毛布から片手を出して、枕もとのエリクの帳面を引き寄せた。暗がりで、いちばん下の行を探す。×ばかりが、縦にずらりと並んでいる。
その右に、炭のかけらで、初めて○を書いた。
それから、横の出っぱりを、長く押した。
画面が消えた。毛布の中が、もとの暗さに戻った。
九人の寝息が、また聞こえてきた。わしは、黒い板を胸に抱えて、目をつぶった。
まぶたの裏に、縁側の母さんが残っていた。先に目がなくなって、あとから口が開く、あの笑い方が。
……もう一度だけ。
ふだんは使わない、と決めたばかりだった。だが、今夜は、ふだんではない。
わしは、毛布を頭までかぶり直して、横の出っぱりを、もう一度、長く押した。
スマホが、震えた。
――ビジネス用語――
※1 ノルマ:割り当てられた、こなすべき量。今回は自分で決めた、一日に歩く升目の数。ついでに、畑のはしの草がなくなった。




