第22話 子分二号〈ロッテ視点〉
あたしの朝は、棒きれから始まる。
裏の畑のはしに、大きな木が一本ある。その下が、あたしの稽古場だ。母さんが魔獣を倒したときの、あの動きをまねる。半歩よけて、一振り。半歩よけて、一振り。
半歩が、むずかしい。
あたしがよけると、だいたい一歩半になる。一歩半よけると、振ったときには、相手がもういない。相手はいないので、木の幹を相手にしている。木は動かないので、よけなくてもいいのだけれど、そこは気持ちの問題だ。
家の朝は、いつも大さわぎだ。
カイが寝ぼけて桶を逆さに持って井戸へ行き、ミナとニナがフィンの靴を片方ずつはかせようとして、フィンが両足とも片方の靴に入れられて転ぶ。ネルは母さんの背中で、朝からごきげんに怒っている。リーゼは、いつのまにか起きていて、いつのまにか朝の当番を終わらせている。ハイディ先生が「みなさん、朝のお支度です!」と手を叩くころには、あたしはもう棒きれを持って、裏へ走っている。
そして毎朝、子分二号がついてくる。
アインだ。うちの三男で、あたしの子分の二号。一号はカイだけど、カイは最近、自分の子分を作るのにいそがしい。
アインの朝の当番は、母さんが決めた。「ロッテの稽古の見張り」。あたしが棒きれで自分の足を叩いたりしたら、すぐ父さんを呼ぶ係だ。
見張りのくせに、アインはだいたい寝ている。
木の根もとに座って、あたしの棒を、はじめのうちだけじっと見ている。それから、こっくり、こっくりして、幹にもたれて寝てしまう。胸には、いつもの変な本を抱えている。黒くて、字の書いていない本。
それでも、毎朝ついてくる。
子分二号は、あたしの剣が好きなんだと思う。
◇ ◇ ◇
今年、あたしは十になった。
武の神さま、クラトスさまの年だ。二年前、エリク兄ちゃんの儀式の帰りに母さんから聞いて、あたしは宿で「けん!」と跳ねた。あれから二年、毎朝、この日のために棒きれを振ってきたのだ。
儀式は、秋だった。
町までは、歩いて五日。去年は、エリク兄ちゃんの二つめの儀式だった。今年は、あたしの番だ。
あたしは、いちばん前を歩いた。棒きれで道の草をなぎはらいながら、ときどき、半歩よけて一振りのまねをする。道の真ん中の石を相手にすると、石は動かないので、よけるのがうまくなった気がする。
父さんの浮く台の上では、小さい子たちが荷物と一緒に揺れていた。アインは、台に乗ったとたんに寝た。五日のうち、起きていたのは、たぶん二日ぶんくらいだ。
あたしは、ときどき振り返って、台の上の子分二号を見た。寝ている。見張りは、旅のあいだも寝ている。
町に着くと、神殿の前で、知っている子がアインに飛びついてきた。
寄り親様の孫の、お姫さまだ。
「アイン! けっこんしきは、まだ!?」
あたしは、アインがどうするか見ていた。
結婚式のときのアインは、袖をつかませたまま、じっとしていた。村に来たときは、積み木の町を作って、「おむこさん」の役で座っていた。どっちも、それでうまくいっていた。
今日のアインは、どっちでもなかった。
なぜか、片ひざをついた。お話に出てくる騎士みたいに。それから、お姫さまの手を取ろうとして――自分の服のすそを踏んで、前にころんだ。
おでこから、いった。
「……アイン、なにしてんの」
アインは、地面に顔をつけたまま、もごもごと言った。
「……ちがうの、やろうとした」
ちがうのって、何。前とおんなじで、いいじゃない。
リーゼは「アインは、変わってる」と言う。あたしも、そう思う。
お姫さまは、ころんだアインの袖を、さっさとつかんだ。
「おむこさん、ころんだ!」
それを見て、あたしの手が勝手に、アインのもう片方の袖をつかんでいた。
「子分二号は、あたしの子分! けっこんは、親分がゆるさない!」
「「だめ!」」
ミナとニナが、あたしの後ろから声をそろえた。神殿の前で、アインの袖を、四人で引っぱりあった。母さんが「神殿の前だよ」と言って、全員の襟首をまとめてつかむまで、それは続いた。
◇ ◇ ◇
神殿の中には、子どもがいっぱい並んでいた。十から十四までの子が、年の順に列になっている。
あたしは、いちばん前の、十の列だった。
振り返ると、二つうしろの、十二の列に、エリク兄ちゃんがいた。町の学校の服を着て、背すじをまっすぐにしている。目が合うと、兄ちゃんは小さくうなずいた。
そうだ。今年は武の年だから、十二の兄ちゃんも、クラトスさまからもらうのだ。
エリク兄ちゃんと、おんなじ。
あたしの背すじも、勝手にまっすぐになった。
剣を持った像の前の台に、黒い石の板が置いてあった。一人ずつ、その板に手を当てていく。あたしの番が来た。板は、冷たかった。
目をつぶると、まぶたの向こうで、光がちらちら降ってきた。
そのとき、体の中で、何かが、かちっとはまった。
手が、どこにあるか分かる。足が、どこにあるか分かる。目をつぶっても、指の先まで、自分の体のどこがどう動いているか、ぜんぶ分かる。
あたしは、目を開けた。板の上に、字が出ていた。
「剣術」
神官さまが読んでくれた。読んでもらわなくても、剣の字だけは分かった。ハイディ先生の剣の算術で、いちばんたくさん書いた字だ。
でも、字を見る前から、あたしには分かっていた。
あたしの体が、あたしのものになった。
エリク兄ちゃんの番では、板に降る光が、あたしのよりずっと多かった。出た字は、あたしのと同じくらい短かったのに。
儀式のあと、エリク兄ちゃんに、どうだったか聞いた。
「……ぼくのは、ちょっとだけだ。前より少し、剣が重くなくなった」
兄ちゃんは、そう言って笑った。
「ぼくは、帳面のほうが向いてる。……ロッテは、どうだった」
「ぜんぶ、分かった!」
兄ちゃんは、目をまるくして、それから、あたしの頭をくしゃくしゃにした。
神殿の門のところで、レナーテ先生が待っていた。本屋のおかみさんになった先生は、前よりちょっとだけ、髪のまとめ方がゆるくなっていた。
「ロッテさん、おめでとうございます」
「先生! あたし、算術で手を挙げるようになったよ!」
「知っています。ハイディさんから、手紙で聞きました。剣の算術ですって」
先生は、くすくす笑った。それから、台の上で寝ているアインを見た。
「アインさんは、相変わらずですか」
「寝てる!」
「……そうでしょうね」
先生はなぜか、少しだけ考えるような顔をして、それから、またくすくす笑った。
その夜、宿の寝床で、あたしはなかなか眠れなかった。
目をつぶると、手と足の先まで、ぜんぶ分かる。分かりすぎて、体じゅうがむずむずする。あたしはそっと寝床を抜けて、宿の裏の井戸のそばで、棒きれを振った。橙色の月が明るかった。クラトスさまの月。あたしに剣をくれた神さまの月だ。
半歩よけて、一振り。……一歩半だった。体のことはぜんぶ分かるのに、半歩は、やっぱり半歩にならない。
部屋に戻ると、窓のそばに、アインが座っていた。
橙色の月の光の中で、黒い変な本の横のところを、指でぐっと押している。じっと見る。何も起きない。アインは小さく息を吐いて、それから、本を胸に抱えて、寝床にもぐりこんだ。
アインは、夜になると、変な本の横を押す。何も起きないのに、毎晩押す。あたしの半歩と、ちょっとだけ似ている気がした。
◇ ◇ ◇
家に帰った晩、夕飯の席で、あたしは言った。
「母さん、あたしに剣、教えて!」
母さんの匙が、止まった。
ほんの一瞬だった。母さんが、知らない人の顔をした。いつもの、大きな口で笑う母さんじゃない。あたしの知らない、どこか遠くを見ている人の顔。
父さんが、ちらりと梁の上を見た。布にくるんだ、母さんの剣が置いてあるところだ。
それから、母さんは、いつもの顔に戻った。
「……朝の仕事が済んでからだよ」
匙を置いて、もう一つ言った。
「町の学校は、春からにしな。冬のあいだは、あたしが見る。あたしの背中より、いい学校は、この村にはないからね」
次の朝から、あたしの稽古場に、母さんが来た。
母さんは、棒きれを一本持っていた。剣じゃない。でも、母さんが持つと、ただの棒きれが、なんだか剣に見えた。
稽古が始まると聞いて、ミナとニナとフィンまでついてきた。三人とも、木の枝を一本ずつ持っている。
「ミナも、けん!」
「ニナも、けん!」
「……ぼくも」
「あんたたちは、十になってからだよ」
母さんがそう言うと、ミナとニナはそろって頬をふくらませ、木の根もとのアインの両側に座りこんだ。フィンは、アインの膝によじ登った。見張りが、見物人に埋もれていく。
「さ、よけてごらん」
母さんの棒が、ゆっくり来る。あたしは、よける。
ぽこん。
右の肩に当たった。
もう一回。ぽこん。右の肩。
もう一回。ぽこん。また右。
何度やっても、右に当たる。スキルで、体のどこがどう動いているかは分かるのに、なぜ当たるのかが分からない。あたしは、だんだん、むきになってきた。
そのとき、木の根もとから、声がした。
「ねえちゃん。右に行くとき、いつも左を見てる」
アインだった。まだ寝ていなかったらしい。
「……え?」
右によけるとき、あたし、左を見てる?
母さんの棒が来た。あたしは右によけながら、今度は、右を見た。
母さんの棒が、あたしの肩のすぐ横を通って、空を切った。
――半歩だ。
初めて、半歩でよけられた。
母さんが、棒を下ろした。それから、木の根もとを見て、ゆっくりと言った。
「……よく見てるね、アイン」
あたしも、振り返った。お礼を言おうと思ったのだ。
アインは、もう寝ていた。幹にもたれて、口を半分開けて、変な本を抱えて。
◇ ◇ ◇
それから、あたしは、むきになって稽古をした。
見ているだけの子分二号が、親分より分かっている。くやしい。だから、もっと早く起きて、もっと振る。子分に教わってばかりの親分なんて、親分じゃない。
次の朝、あたしは、いつもより早く起きて、裏の木の下に走った。
アインが、もういた。
木の根もとで、幹にもたれて、寝ていた。
その次の朝は、もっと早く起きた。アインは、やっぱり先にいて、寝ていた。
見張りの子分二号は、親分より早く来て、親分より先に寝ている。あたしの剣が、よっぽど好きなんだと思う。
アインの胸の上で、黒い変な本が、朝の光を受けていた。
アインの変な本は、今日も、だんまりだった。




