第21話 サボリーマンと、北から来た経理部長
冬支度の日は、家じゅうが一斉に動く。
ロッテとカイは、冬用の薪を積んでいた。夏の砦より、ふた回り大きい。カイは「とりでの、とりで!」と叫びながら塔まで建てはじめて、ロッテに「まっすぐ積みな!」と怒鳴られている。
双子とフィンは、壁のすきまに藁を詰める係だった。詰めたぶんより、自分たちの髪と服に刺さったぶんのほうが多い。三人とも、歩く藁束になっていた。
リーゼは、物置の梁に吊るした干し肉の数を、板切れに描いていた。罠のウサギと、あの猪の残りを、母親が塩と煙で干したものだ。物置をのぞいたハイディ先生は、それを見上げて「お客さまのお夕飯が、ぶら下がっていますね」とうれしそうに言い、毛布を抱えて外へ出ていった。冬でも干すらしい。
父親は、エリクの帳面を開いて、物置の芋箱を数えていた。一箱に芋がいくつ入るかは、エリクが町の学校へ行く前の秋に数えて、帳面に書いていった。箱は、毎年同じだ。箱の数を数えて、かける。かけ算の得意でない父親が数え終わるころには、日が傾いていた。
「……足りる、か」
父親は、帳面の数字をしばらく見つめていた。
冬の夜の見回りは、今年も父親と母親の二人だ。わしの係は、春から変わらない。寝かしつけである。冬は夜が長いので、仕事の時間も長い。つまり、寝られる時間も長い。
冬は、わしにとっていちばんいい季節かもしれなかった。
◇ ◇ ◇
雪の降る夕方、猟師の若者が、戸口に飛びこんできた。
「領主様! 森のはずれに、人が――」
若者の背中には、子どもが一人背負われていた。その後ろを、女の人がよろよろとついてくる。二人とも、見たことのない毛皮を着ていた。白くて、毛が長い。眉にも、まつげにも、雪が凍りついている。
罠を見回っていて、国境の森のはずれで見つけたのだという。
母親が二人をかまどの前に座らせて、白湯を持たせた。ハイディ先生が、干したばかりの毛布を二枚、二人の肩にかける。父親は黙って、二人の手と足を、一本ずつ光る手で包んでいった。凍えかけた指に、色が戻ってくる。
女の人が、白湯の椀を両手で包んだまま、小さな声で話しはじめた。言葉に、わしらの村とは違う、硬い調子が混じっている。
北の国から来たのだという。
今年は、村に冬の芋が半分しか配られなかった。毛皮を芋に換えようと、南の村をめざして森に入り、雪で道を見失った。帰りの森の道は、もう春まで雪で閉ざされる。
その夜、村の寄り合いが開かれた。
「北の者だぞ」
誰かが言った。
「北の国境は、ずっときなくせえって話じゃねえか」
「芋は、自分たちの冬のぶんで精いっぱいだ」
いちばん声が大きかったのは、声のでかいおやじだった。腕を組んで、北の者を村に入れたら何が起きるか、熊の話より長く並べた。
囲炉裏の火が、ぱちんと鳴った。
おやじが、急に立ち上がった。
「……ちょっと、家に忘れもんだ」
戻ってきたとき、おやじは毛布を二枚と、干した魚をひと束抱えていた。
「……うちの余りだ。余ってただけだ」
誰も、何も言わなかった。言ったら、おやじが毛布を持って帰りそうだったからだ。
母親が、膝を叩いた。
「冬は、越させてやんな」
全員の目が、父親に集まった。
父親は、かまどの前で眠っている親子のほうを、ちらりと見た。
「……うちの芋で」
それで決まった。
親子は、うちに泊まることになった。寝床はかまどのそばで、いちばん暖かい場所だ。ハイディ先生が、毛布を三枚重ねて、枕を二つ並べた。
「本物の、お客さまです!」
ハイディ先生の目が、今までにないくらい輝いていた。
◇ ◇ ◇
北の子の名前は、次の朝、母親が呼ぶ声で分かった。
「ルカ。……ルカ、起きて」
わしと同い年くらいの男の子だった。背は、わしより少し高い。目つきが鋭くて、笑わない。でも、母親の袖だけは、ずっとつかんでいた。
うちのきょうだいは、新しいものを見ると、一斉に寄っていく。
「子分、三号!」
ロッテが、ルカの肩を叩いた。カイは、かくしから青いガラス玉と、ひからびた虫と、きれいな石を出して並べた。宝物を見せるのは、カイのいちばんの歓迎である。ミナとニナはルカの両側の袖を引っぱり、フィンはわしの後ろに隠れて、八の字の眉でルカを見上げた。ネルは母親の背中で、ルカに向かって手を伸ばしていた。
ルカは、母親の袖をつかんだまま、わしら八人を端から順に見ていった。それから、ぼそりと言った。
「……数が、多い」
わしも、生まれた日に同じことを思った。
朝の食卓では、ハイディ先生が、ルカの前にいちばん先に椀を置いた。
「どうぞ。お客さまからです」
ルカは、椀と先生の顔を見比べて、眉を寄せた。いちばん先に来た椀を、ルカはしばらく手に取らなかった。
ルカは、着いた次の朝から、おかしなことを始めた。
物置にこもって、芋箱を数えはじめたのだ。
壁ぞいに三段に積んだ箱のうち、ルカは、いちばん上の箱のふただけを開けた。中の芋を、一つずつ数える。数え終わるとふたを閉めて、今度は箱の数を指で数えた。それから、白樺の皮をとじた小さな帳面に、炭で印をつけた。
わしは戸口から、それを見ていた。
一箱だけ数えて、箱の数をかける。前世の工場なら、抜き取り検査と呼ぶところだ。
ルカは、箱の横腹に、炭で短い線を引きはじめた。一本が、一日ぶん。五本ごとに、斜めの線で束ねていく。箱の芋を、この家の十一人と、ルカと母親が一日に食べる数で割ったのだ。ひと箱で、およそ三十本になった。
日割り計算である。前世の経理部が、月末になると鬼の顔でやっていたやつだ。
それを、五つか六つの子どもが、炭でやっている。
マネが見たら、その場で弟子にしていただろう。
全部の箱に線を引き終わると、ルカは、線の束を端から端まで数えた。それから、眉を寄せた。
物置のすみから、空き箱を一つ引きずってきた。春に空いて、すみに寄せてあった箱だ。ルカはそれを列の端に置いて、横腹に、足りない日数ぶんの線を引いた。
線だけあって、中が空っぽの箱である。
春まで、届かない。
その日の夕飯で、ルカは自分の椀の芋を、半分だけ食べて、残りを鍋に戻した。ルカの母親も、黙って同じことをした。
「おや」
母親が、眉を上げた。
「遠慮は、いらないよ」
「……冬の芋は、名前の数で分ける」
ルカが、ぼそりと言った。
「北では、冬の前に、国が芋を配る。帳面に書いてある名前の数で。ぼくらの名前は、この家の帳面にない。だから、ぼくらのぶんは、ない」
卓が、少しのあいだ止まった。
父親が、自分の芋を一つ、黙って鍋に戻した。
そこから先は、三年前と同じだった。鍋が、また芋だらけになった。
この家の人間は、足りないと聞くと、まず自分のぶんを削る。そして、削ったぶんは鍋に戻るので、結局、誰の腹にも入らない。
このままでは、冬じゅう鍋に芋が余って、全員の腹が減る。わしの昼寝も、腹の虫で起こされる。
それは困る。
◇ ◇ ◇
その夜、わしは物置に行った。
ルカの線を引いた箱は、青白い月の光の中で、まだ壁ぞいに積んであった。列の端に、空っぽの箱が一つ。わしは、その線を端から見ていった。
ルカの棚卸しには、芋しか、ない。
だが、この家には、芋のほかにもある。
わしは物置の梁を見上げた。干し肉が、ずらりとぶら下がっている。それに、猟師の若者の罠は、冬でもときどきウサギを捕まえてくる。
わしは踏み台を引きずってきて、干し肉を一本ずつ外した。それを、空っぽの箱に、一本ずつ詰めていった。
次の朝、物置の戸口で、ルカが固まっていた。
空っぽだった箱に、干し肉が詰まっている。
わしは、ルカの袖を引いた。
「これも、ごはん」
ルカは、わしと干し肉を見比べた。それから、箱の前にしゃがみこんで、数え直しはじめた。干し肉を一本、芋いくつぶんと数えているらしい。箱の横腹の線を、手でこすって消して、また引く。消して、また引く。
長い時間がかかった。
最後に、ルカは列の端の箱を見た。線の数だけ、干し肉が詰まっていた。
「……足りる」
ルカが、小さな声で言った。
それから、もう一度、確かめるように言った。
「足りる」
その日から、ルカは椀の芋を、全部食べるようになった。
◇ ◇ ◇
冬のあいだ、ルカはわしの隣にいた。
わしが寝かしつけで床を叩くと、ルカも横で床を叩いた。ルカは毎朝、物置で、その日の線に横から一本重ねて消して、帳面に印をつけた。わしは横で、昼寝をした。
一度だけ、ルカが、北の話をしてくれた。
北では、一年の半分、雪が降る。麦は育たない。芋が足りなければ、誰かが毛皮を持って、南へ行く。
「父さんは、毎年、行ってた。今年は、兵隊で、いない」
それだけ言って、ルカは箱の線を数えに行った。
わしは、北の国のことを、ほとんど知らない。名前も知らない。きなくさい、と大人たちが言うのを聞いていただけだ。
ただ、あの国では、五つか六つの子どもが、毎朝、芋の山を数えている。足りなければ、自分の椀を半分にする。
悪い国、というより、必死な国なのだと思った。
◇ ◇ ◇
春になって、森の道の雪が消えた。
親子は、北へ帰ることになった。持ってきた毛皮と引き換えに、父親が芋の袋を一つ渡した。毛皮のほうがずっと高いはずなのに、ルカの母親は、袋を受け取って何度も頭を下げた。
出かける前の朝、ルカが、白樺の帳面をわしに見せた。
いちばん最後のページだった。
「冬を越させてくれた人の名前は、帳面に書く。北の決まりだ」
そこには、知らない字で、名前が並んでいた。ルカが、一つずつ指でなぞって読んでくれた。
ダリル。リュン。エリク。ロッテ。リーゼ。カイ。アイン。ミナ。ニナ。フィン。ネル。ハイディ。
町の学校にいるエリクの名前まで、ちゃんとあった。冬のあいだに、ルカはロッテを質問攻めにして、一人残らず聞き出していたらしい。いちばん上の二つは、わしも、この帳面で初めて知った。
わしの名前の横にだけ、小さな絵が描いてあった。
干し肉の絵だった。
「……ばれてたか」
わしがつぶやくと、ルカは、初めて、少しだけ笑った。
それから母親の袖をつかんで、森の道を、北へ歩いていった。一度も振り返らなかった。帳面のいちばん最後のページを、胸に抱えたまま。
スマホは、今日も震えなかった。




