第20話 サボリーマン、仕様外の大物を釣る
肉は、週に一度である。
猟師の若者の弓にウサギがかかった日だけ、夕飯の鍋に肉が浮く。一匹のウサギを、ハイディ先生まで入れて十一人で分ける。わしの椀に来るのは、だいたい指の先くらいのかけらだ。
収穫祭でもらった猪の脚は、三日でなくなった。三日のあいだ、家じゅうの顔がつやつやしていた。四日めには、もとに戻った。
わしは、自分の腕を見た。細い。赤ら顔の領主の家の子の、半分もない。
やはり、肉が要る。
ただ、わしは五歳である。弓は引けない。剣も振れない。魔獣の前に出たら、たぶん一口で終わる。
ならば、待てばいい。
罠である。
前世の親父は、島の何でも屋だった。屋根の雨もりも、ポンプの故障も、畑を荒らすイノシシも、頼まれれば何でも引き受けた。わしは子どものころ親父の後ろについて山に入り、くくり罠の仕掛け方を見て育った。
罠のいいところは、仕掛けたら、あとは寝ていればいいことだ。寝ているあいだに、仕事が勝手に片づく。前世で、夜のうちに仕込んでおいた処理が、朝には終わっていたのと同じである。
これほど、わしに向いた狩りはない。
問題は、体だった。
罠には、しなる若木を曲げる力が要る。縄を固く結ぶ指も要る。五歳のわしには、どちらもない。試しに曲げようとした若木に、わしのほうがはね飛ばされた。
力と指を、借りるしかない。
「カイにいちゃん。ひみつきち、つくろう」
「ひみつきち!」
カイの目が光った。薪の砦を積むようになってから、カイは砦と秘密基地のことしか考えていない。
「ひみつきちの、みはりの、しかけ。わるいやつが来たら、びよーんって、なるやつ」
「びよーん!」
わしはカイを連れて、畑の外れの柵のところへ行った。寄り合いのたびに、声のでかいおやじがこぼしている場所だ。ウサギが、柵の下を掘る。湿った土に、小さな足跡がいくつも行き来していた。
カイが若木を曲げて、わしが縄の輪を地面に置いた。結ぶのは、カイの役だ。
「にいちゃん。ここ、くるっと、まわして。くぐらせて」
「こう?」
「うん。もういっかい」
カイの指は、器用だった。木の皮でにせの札を十枚作った指である。わしが口で言うとおりに、縄はきれいに締まる結び目になった。カイは、自分が罠を作っているとは、たぶん最後まで思っていなかった。
仕掛けは、ウサギに合わせた。ウサギの重さ、ウサギの足の太さ、ウサギが輪を踏む強さ。プラミがいれば、若木のしなりと縄の太さを、ウサギの重さからきっちり計算してくれていた。いないので、目分量である。
目分量は、ウサギ一匹分で止めておいた。バッファは、取っていなかった。
その夜、わしは寝床でにやにやしていた。寝ているあいだに、肉がかかる。
◇ ◇ ◇
次の朝、畑の外れから、聞いたことのない音がした。
ぶお、ぶお、という太い声。若木がきしむ音。土をえぐる音。
カイと二人で見に行くと、柵の手前で、若木が弓のように曲がっていた。縄の先にいたのは、ウサギではなかった。
猪だった。
それも、収穫祭で丸焼きになっていたのより、ひと回り大きい。黒い毛が針のように逆立って、口の両はしから白い牙が突き出ている。その後ろ足の一本に、カイの結び目が、きっちり食いこんでいた。
罠は、ウサギ一匹に合わせて作った。かかったのは、ウサギ二十匹ぶんくらいの何かだった。
前世の現場でも、こういうことはあった。頼んでいないものが、頼んでいない大きさでやって来る。仕様外、というやつだ。そして仕様外のものが来ると、だいたい何かが壊れる。
若木が、みしり、と鳴った。
縄が、ぎりぎりと鳴った。猪が暴れるたびに、結び目の上の縄の毛羽が、一本ずつ切れていく。
あれは、もたない。
隣を見ると、カイはもういなかった。見上げると、いちばん近い木のてっぺんにいた。いつ登ったのか、見えなかった。
「アイン! のぼれ!」
登れない。わしは、五歳のちんちくりんだ。
わしは頭の中で、使えるリソースを並べた。
父親は畑の向こうで、ここからは遠い。それに父親は、ケガを治す人だ。猪を倒す人ではない。猟師の若者は、朝から森に入っている。声のでかいおやじは、熊と取っ組み合った話をするたびに熊が大きくなる人なので、今日の猪を任せたら、あとで話の中の猪が倍になる。
答えは、最初から一つしかなかった。
いちばん近くて、いちばん強い。アウトソーシング先は、そこしかない。
わしは、家に向かって走った。
◇ ◇ ◇
「かあさまー!」
戸口に飛びこむと、家じゅうの顔が、一斉にこっちを向いた。
「なに!?」
「まじゅう!?」
ロッテが棒きれをつかんで飛び出してきた。ミナとニナが、なぜかフィンの両手を引いてついてくる。リーゼは、板切れと炭を抱えている。ハイディ先生が、ほうきを構えて叫んだ。
「お客さまですか!?」
お客ではない。
母親は、ネルを背中にくくりつけ直しているところだった。
「どうしたんだい」
「いのしし! おおきいの! わなに……あ」
言ってしまった。わな、と。
母親は、何も聞き返さなかった。梁の上の布包みに手を伸ばして、すとんと下ろした。
「どこだい」
「はたけの、はし」
「そうかい」
母親は歩きだした。走らない。鼻歌まじりだった。
その後ろに、家族が一列になってついていった。棒きれのロッテ、フィンを引っぱる双子、板切れのリーゼ、ほうきのハイディ先生。いちばん急いでいるわしが、足がいちばん短いので、いちばん後ろだった。
畑の外れに着いたとき、ちょうど、縄が切れた。
若木がはね上がって、空を叩いた。自由になった猪が、こっちを向いた。鼻を鳴らして、前足で地面をかく。
それから、まっすぐ走ってきた。
「下がってな」
母親が言った。棒きれを構えて前に出かけたロッテが、ハイディ先生に襟首をつかまれて引き戻された。
母親は、構えなかった。剣の布をほどきながら、ふつうに歩いていく。
猪との間が、ぐんぐん縮まる。三歩。二歩。
母親が、ほんの少しだけ肩を引いた。わしに見えたのは、それだけだった。
気がつくと、母親の剣の先が、さっきと反対の側にあった。
猪は、母親のいたところを突き抜けて、柵の手前で、前のめりに崩れた。今度は、起き上がらなかった。
背中のネルが、きゃっきゃと笑った。
ハイディ先生が、ほうきを下ろして、長い息を吐いた。
「……お客さまでは、ありませんでしたね。お肉さまでした」
「……この大きさは、久しぶりだね」
母親は、剣についたものを草でぬぐいながら言った。
木の上から、カイの声が降ってきた。
「かあちゃん、すげえ!」
母親はそれから、切れた縄の先を拾い上げた。
結び目を見る。はね上がった若木を見る。地面に残った輪のあとを見て、柵の下のウサギの穴を見る。長いあいだ、黙って見ていた。
「……結んだのは、カイだね。この結び目の固さは、カイの指だ」
母親は、縄を指でしごいた。
「でも、カイはこんなもの、思いつかないよ」
それから、わしのほうを向いた。
「……あんた、頭いいんじゃないかい?」
まずい。
わしは、五歳にできるいちばんの笑顔を作った。
「えへへ。カイにいちゃんが、つくった」
うそは言っていない。結んだのは、本当にカイだ。
「おれ、つくってない! ひみつきち、つくった!」
木の上から、カイが叫んだ。うそを言っていない者が、ここにもう一人いた。
母親はわしとカイを見比べて、それから、ぷっと吹きだした。
「そうかい、そうかい」
それ以上は、聞かなかった。帰り道の母親は、猪をどう分けるかで、もう頭がいっぱいだった。
夕方、畑から帰ってきた父親は、庭に転がった猪を見て、ひとことだけ言った。
「……でかい」
それから、走ったときに転んだわしの膝のすり傷に気づいて、黙って手をかざした。陽だまりのような光がこぼれて、傷がふさがった。
その夜、寝床の中で、両親の小さな声が聞こえた。
「ねえ、あんた。アインのことなんだけどさ」
「……ああ」
「まだ、何も言ってないよ」
「……ああ」
それきり、話は終わった。何が「ああ」だったのかは、分からない。分からないことにして、わしは毛布をかぶった。
◇ ◇ ◇
猪は、村じゅうの肉になった。
次の日の夕飯は、戦だった。
鍋に、肉がごろごろ浮いている。ロッテがいちばん大きいのに匙を伸ばし、ミナとニナが同じひとかけらを両側から引っぱり、フィンは自分の椀の肉を数えては、数え直していた。リーゼは黙って、いつのまにか二つめを食べている。
「おれの、ひみつきちが、つかまえた!」
カイが、肉を高々と掲げた。
「カイ兄ちゃん、すごい!」
「ひみつきちの、みはり、つよい!」
双子とロッテが声をそろえ、カイは胸を張って、肉をもう一切れ取った。手柄と肉の両方が、カイのところへ行った。わしの椀にも、生まれて初めて、匙からはみ出す大きさの肉が来た。黙って食べた。
その晩、声のでかいおやじは「熊より大きかった」と言いだした。次の寄り合いでは「熊二頭ぶん」になっていた。
何日かして、森から戻ってきた猟師の若者を、わしは柵の前でつかまえた。
「おにいちゃん。あそぼ」
地面に小枝を曲げて刺し、草の茎で小さな輪を作って、小石の上に置く。小石を指でつつくと、小枝がぴんとはね上がって、輪が締まる。
「びよーん」
猟師の若者の目が、だんだん丸くなっていった。
「……坊ちゃん、これ、もう一回やってもらえますか」
わしは、もう一回やった。三回めには、若者は自分でやっていた。五回めには、ぶつぶつ言いながら、柵の下の穴の数を数えはじめていた。
ひと月もすると、村の柵のまわりには、若者の罠がずらりと並んだ。ウサギは毎朝かかり、柵の下の穴は減り、鍋に肉が浮く日は週に二度になった。
「罠の名人だ」
村じゅうが、若者をそう呼んだ。声のでかいおやじまで、若者の背中を叩いて自慢していた。
わしはそのころには、もう罠に飽きていた。
仕組みは、作るまでが楽しい。毎朝見回って、縄を張り直して、獲れたウサギをさばくのは、どう考えてもラクではない。そういうのは、好きな人がやるのがいちばんいい。
週に二度の肉は、わしの椀にも、かけらではなく、ひと切れになって届くようになった。
腕は、まだ細い。ただ、ほんの少しだけ、細くなくなった気がする。
スマホは、今日も震えなかった。
――ビジネス用語――
※1 アウトソーシング:仕事の一部を外に任せること。今回の外注先は、鼻歌まじりの母。




